第24話 いっそ、貸し切りますか?
嵐のような
「さて、では残った我々はお茶を楽しむとしようか?」
直前までのやり取りがなかったかのように平然と、
そのひと言で4701号室のリビングに漂った空気が急速に弛緩していった。
「朽木君も飲むといい」
「あ、はい。でも、仕事中だったんじゃ? いきなり押しかけてすみません」
どちらかというと
すると、ようやく冴香も自分の不調法に気づいたのか、気まずげに視線を逸らしていた。
「それほど差し迫った仕事ではないのだ。むしろ、君が訪ねてきてくれた方が嬉しいくらいさ」
本音なのか冗談なのか、幽月から妖艶な流し目を向けられ、昴としてはドギマギするしかなかった。
「学校に通いはじめて数日経つが、何か不自由していることはないかね? 娘は役に立っているかな?」
「あ、はい。アンジェリカが引っ越してこられるように計らってもらいましたし、
水姫と二人きりでは神経がもたないと思いアンジェリカも交えた共同生活にさせてもらえないかと訴えたところ、幽月はすぐにそう取りはからってくれた。
既に三人の共同生活ははじまっている。
昼間、昴とアンジェリカが学校に行っている間、水姫は掃除や洗濯といった家事を甲斐甲斐しくこなしてくれる。
もちろん目が不自由になったばかりであるため多少の不手際はあるが、充分に助かっていた。
何より、家に帰ったとき、「お帰りなさい」と言って出迎えてくれる相手がいるのは、昴にとっては何よりも贅沢だったのだ。
「ふふ、無欲なことだ」
そう言って笑う幽月だが、昴の隣に座っているアンジェリカが何故かそわそわしているのに気づく。
「どうした? あ、子どもは紅茶とか苦手だったか? お砂糖増やす?」
昴が目の前に置かれた砂糖のポットを取ってやろうとするが、アンジェリカは「んなっ!?」と変な声を上げる。
「せ、拙者は立派な忍者でありますれば! 別にそのような茶が多少甘かろうと苦かろうと関係ありませぬ! か、可能でありましたらあと二つほど足していただいて、ミルクももう少し……」
「やっぱり苦かったのですね?」
反対側で水姫が苦笑する。
「いやいやいや! そうではなくて、お館様、チケット、チケットはよろしいのでござるか?」
言われて昴は「あっ」と声を出していた。
「ん? 何かあるなら言ってみるといい」
幽月に促され、そういうつもりでここを訪れたわけではなかった昴は多少心の準備が必要だったが、喜ぶであろう咲良の顔を想像して、思い切って事情を説明した。
「テーマパークの、アトラクションの、チケット……?」
話を切り出した時、幽月は彼女にしては珍しく、一つ一つの単語を区切って確認するようにしながら復唱している。
昴としては、いきなり図々しいのではと冷や汗をかいていたのだが、隣に座っていた水姫は「
「ふふ、改まって切り出すからどのような難題かと思いきや。……なに、そのぐらいは容易いことだよ」
あっさりと言い切ってから「ふむ」と幽月は考えるような仕草を見せる。そして、
「しかし、チケットぐらいでいいのかな? ほら、なんだったか、東京の日本で一番大きなテーマパークだって条件が揃えば貸し切れるそうじゃないか? なんだったらチケットだけと言わず、そこも一日貸し切った方がいいのではないかね?」
とんでもない提案を上乗せしてきた。
おまけに水姫も「はい、そのぐらいした方がよいのではないでしょうか?」と至極真面目に頷くのでたまらない。
「じゅ、充分です。普通じゃ手に入らないので、チケットだけで充分ありがたいです!」
もしテーマパークを貸し切りにされてでもしまった暁には、涼音や咲良がドン引きする様子が目に浮かぶようだ。
こっちの二人とはほとんど付き合いがないが、基本的な性格が同じなのだから、確実にドン引きする。
「じゃあ、せめて、テーマパークの支配人に挨拶させて、一日コンシェルジュに案内させるぐらいのことはさせてもらった方がいいだろうか」
「よくないですっ!」
ふふふ、と笑っている幽月を見て、まだからかわれていると察した昴は肩を落とした。
「しかし、お館様が足を運ばれるのですから、一般人と同じ扱いなどというのは拙者、納得いきかねまする! にんにん」
ところが、冗談が通じていないアンジェリカはさらに乗っかってくる。
「僕は一般人なの!」
この場の顔ぶれで、まだしも一般常識が通用しそうなのは冴香だが、彼女は先程の軽挙妄動ぶりを猛省中らしく、援護は期待できそうになかった。
昴が若干後悔しはじめたところで、幽月がようやく「いやいや、すまないな。つい悪ふざけがすぎてしまったようだ」と言葉を翻した。
「お母様? 悪ふざけだったのですか? もしかして、わたくし、昴様にご迷惑をおかけしまったのでしょうか!?」
「あ、いや、迷惑というほどではないよ」
本気で驚いている水姫をなだめる。
「そうだね。過ぎたるは及ばざるが如く。……だが、私としては、君が何かを望んでくれたこと――それ自体が嬉しくて仕方がないのだよ」
そう言いながら、再び艶然と微笑む。
「僕が、望んだから、嬉しいんですか?」
幽月は笑みを浮かべたままで答えない。代わりに水姫が口を開いた。
「それは、当然です。この世界に昴様がお越しいただいたおかげで、わたくし共はこうして生きていられるのです。残念ながらそれを周知する術はありませんが、生きとし生けるもの、全てが昴様に感謝しながら生きなければならないぐらいなのです!」
「生きとし生けるものって――」
表現のスケールが大きすぎて若干困惑する。
しかし水姫の方はと言うと、さらに熱を帯びて語り続けた。
「どれほどの金銭、物資、環境を整えたところで、昴様自身に受け入れていただかなければ張子の虎も同じです。ですから、どんな些細なことでも昴様のお役に立てることが無情の喜びなのです! ですよね、お母様!」
お淑やかな水姫にしては珍しくはしゃいだ様子で幽月に話を向ける。
幽月自身も、娘のはしゃぎ振りを持て余したように「やれやれ、もう少し慎ましく振る舞えるとよかったのだがね」と苦笑を浮かべていた。
泰然と構え、マイペースを崩さなかった幽月が、実は昴のこんな些細な行動一つを喜んでくれているということ自体が意外過ぎて、昴はどう答えていいかわからなかった。
水姫にしても、日頃は物静かで控え目なのに、昴が絡むとこうして感情が前に出過ぎてしまうようだ。
幽月から指摘され、我に返ったように水姫は赤面していた。
「あの、じゃあ、もう一つだけ。お願いというか、質問してもいいですか?」
「もちろんだとも」
ずっと気になっていたことを、せっかくなのでぶつけてみることにした。
「あの、水姫のことなんですが……。病院とか、行かなくても大丈夫なんですか? その、目の方の。〈精霊器〉とマナの関連でこうなっているのはわかっているんですが、病院に行っても回復はしないんですか? あと学校に行ったりとかはしなくていいんですか?」
考えてみれば当たり前のことで、当たり前のことだが、今までは自分の身に起こった出来事をどう受け止めるかだけで手一杯だった。
その意味で言えば、昴自身、少しは周囲に気を配る余裕が戻ってきたのかもしれない。
「そうだね。君の目から見れば、さぞや異質なものと映るだろう。娘の人生は、特殊な〈精霊器〉と適合した瞬間、君という人間を迎え入れるための触媒と定められた」
「前に言っていた、もう役目を果たしたって、そういう意味ですか……」
「ああ、そうだ。だから次の人生を、という発想に至る気持ちはわかる。だが娘が望むのは、君の支えになることなのだよ」
「いや、でも、僕は……」
とっさに、どう言うべきか迷った。
積極的に厚意に甘えるとも、不要だとも、言えない。ただ、同じ歳の水姫が普通の生活を諦めるのもよくない気がしたのだ。
「しばらくは、娘のやりたいようにさせてやってもらいたいと思っている。朽木君の目からどう見えているかはわからないが、娘自身の希望なのだよ」
昴は水姫を見ると、彼女は「はい」と力強く頷いていた。
「だが、医者に診せるというのは悪くない。回復することはなくとも、生活のコツを指導してもらうのは有益だろう。朽木君、娘に心を砕いてくれたこと、感謝するよ」
「そうですね。昴様、ありがとうございます」
「いや、僕は、当然のことを言っただけですよ」
それ以上はどうにも気恥ずかしくなってしまって、普通にお茶を飲んで雑談に興じた。
話の内容は学校の生活ぐらいしかないが、そんな些細な話を幽月は嬉しそうに聞いてくれる。
雑談の種が尽きた頃、昴達は幽月の部屋を辞去した。
チケットは週末までには手元に届くようにしておく、という言葉に送り出された昴は、水姫を伴って自分の部屋へと戻った。
水姫だけではなく、人を食ったような言動ばかりという印象を持っていた幽月までもがそこまで昴のことを想ってくれているという事実に、何も感じないといえば嘘になる。
だが大人しく、全面的に「今」を受け入れられるかというと、やはり難しかった。
「……昴様、焦る必要はありませんから」
移動中、目が不自由な水姫のために手をつないでいたのだが、その手から何かを感じ取ったのか水姫はそんなことを言った。
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