第三章 終焉に至る選択
第23話 夢とうつつと
世界の、終わりを見た。
ありとあらゆるものが、虹色の塵になって崩れていく光景。
壁も、床も、人間も例外はなく、ついには自分の体にまで異変が及ぶに至り悲鳴を上げて意識を失った。
――そして目覚めたとき、信じられないことに、全てが元通りだった。
ただの幻か、悪夢だったかのように、当たり前の日常がはじまった。
あまりに非常識な光景と、あまりにリアルな感触の狭間で困惑しながら登校するために家を出たところで、決定的な違いと遭遇する。
それは、近所に住んでいる幼馴染みの女の子だった。
ずっと親しく過ごしてきた女の子。だが彼女は、二年前に不慮の事故で命を失っていた。記憶違いなどではない。
彼女は、彼女の両親と共に他界しており、たった一人残された彼女の兄――同じく幼馴染みの少年はその日からずっと悲しみ、苦しみながら過ごさなければならなかった。
そばで見ているのが辛くなるほどの悲しみは、絶対に幻ではない。
ならば、この目の前にいる少女は何なのか。
何より、ここには悲しみに暮れているはずの――妹や両親が生きているとわかれば歓喜するはずの少年が、存在していなかったのだ。
家が近所で、幼稚園、小学校、中学校、高校とずっと一緒に育ってきた少年。
彼がどこにもいない。
だが、疑問をぶつけることはできなかった。
普段は思ったように動けるのに、そうしたこの世界のおかしさに触れたり、指摘しようとしたりすると、まるで自分の体が自分のものでなくなったように動かなくなってしまうのである。
動かなくなるといっても麻痺するわけではなく、その瞬間だけ、心と体がずれるといえばいいだろうか。
たとえば歩いているときに、「おかしさ」を見つけて立ち止まろうとしても、体は止まらず歩き続ける、とか――そういう奇妙な状態に陥っているのである。
とはいえ、目覚めて数日はほとんど問題なく過ごしていた。
むしろ、あの虹色に彩られた破滅の方が、何かの間違いだったのではないかと思いはじめたほどだった。
――そんな中、「彼」を見つけてしまう。
その瞬間、目の前に火花が散ったかと思った。
それほどの衝撃だったのだ。
だが彼は、彼女の知っている彼ではないのだという。
転校生として引っ越してきたのだという。
この街とは関係ない場所で生まれ育ったのだという。
……やはり、疑問はぶつけられなかった。
日常的な行動は不自由なく行えるのに、自分が知っていることとの食い違いに触れようとすることだけができない、奇妙な状態で彼女――
(もう一度、
その問いも、自分の口から発することができないまま、胸の内に蟠り続ける。
代わりに、何かが涼音の耳元で囁き続けていた。
終わりは近い――と。
◆◆◆
「指令、やはり
開口一番、
マンションに帰宅後、昴の部屋である4801号室に立ち寄って、昴の帰宅を待っていた
「おや、どうかしたのかな」
リビングで書類仕事をしていたらしい幽月が、冴香の剣幕を見ても気圧されることなくマイペースにそう問いかけた。
そう、突然現れた比嘉
「どうしたか、ではござらん! あの無礼者はあろうことかお館様に乱暴を働いたのでござるぞ!」
と、アンジェリカも怒りを露わにしている。
こちらは予想の範囲だが、冴香が腹を立てるというのは意外だった。
「なにか……?」
文句があるのかとばかり、冴香に睨まれ、昴は「いや、文句なんてないよ」と慌てて答えた。
「ふむ。朽木君に乱暴を、か。それは確かに問題だね。怪我はなかったかな?」
幽月に問われ、
「あ、はい。怪我をするようなことはありませんでした。驚いたけれど」
そう答える。
誰でも、いきなり襟首を掴まれたら驚きもする。
「ちっ、いきなりチクってんじゃねーよ」
冴香に引っ張られてきた立場の昴はどう報告したものか迷っていたのだが、その背後からいきなり声をかけられて飛び上がりそうになった。
「それよか幽月サン、酒かなんか置いてないんスか?」
「やれやれ、帰還の報告をしにきて、そのまま他人の台所を漁る馬鹿がいるか。うちに酒はないよ。飲みたかったら、任務の邪魔にならない範囲で、自分の部屋に戻ってからやるといいさ」
「比嘉さん! 指令にまで、なんという口の利き方ですか!」
最初に見た時から何となく感じてはいたが、この二人の相性は最悪であるらしい。
出向していた、という話だったが、案外この性格のせいで飛ばされてただけなのではないだろうかと邪推する。
ただ、もしそうだとすれば、性格に難を抱えているような人間ですら呼び戻さなければならないほど人手が足りないということでもある。
同じ歳の冴香が任されている任務がそんなに厳しい状況なのだろうかと心配になってくる。
一方的に守られているだけの昴が言うべきことではないのかもしれないが。
「まぁ、落ち着きたまえ。水姫、人数分のお茶を煎れてきてくれるか? 茶葉の位置は変えていない」
相変わらずマイペースな幽月の提案で、ささくれ立った空気から毒気が抜けていく。
「はい、お母様」
周囲の気配から緊迫感を感じ取っていたらしい水姫は、小さく安堵の息を漏らしながら慣れ親しんだキッチンへと向かった。
「ったく。俺ぁ、とっととレヴェナントをぶち殺しにいきたいんだがね」
ふて腐れたように、近くにあった背の低い本棚の上に腰を下ろす。
ソファを使わないのは、昴達と馴れ合いたくないという意思表明だろうか。
「比嘉さん! 指令に対して――」
「うっせー、四番目! 悔しかったら腕を上げて、番手を俺より高くしてから言いやがれ!」
そのひと言で、抗議しようとした冴香は封殺されてしまった。
「番手って?」
口を差し挟むのは悪いかと思ったのだが、冴香が抗弁を諦めたようだったので昴は思い切って問いかける。
しかし、その問いに答えたのは、意外にも比嘉鬼火斗の方だった。
「はっはー。俺様が教えてやろう。〈精霊器〉を使えるオフェンスは、実力順にナンバーが振り分けられる。その女はウチで四番目ってことだ」
いかにも好戦的な鬼火斗だから実力差でマウンティングしたがるのは理解できるが、それで冴香が黙り込むのは、今一つ納得できなかった。
それとも、ミドガルズオルムは、昴が思っている以上に実力差による上下関係が厳しいのだろうか。
「朽木君、それに冴香とアンジェリカも、席に座りたまえ。人間、立ったままだと好戦的になる」
「あ、はい」
テーブルに広げた書類を片づけながら幽月が勧めてくる。
三人掛けの真ん中に昴が、隣にアンジェリカが座り、冴香は一人がけのソファに腰を下ろす。
その頃になると、紅茶の用意をトレイに乗せた水姫が戻ってきた。
「あ、手伝うよ」
座ったばかりの席から立ち上がってトレイに乗せられたカップやポットをテーブルの上に並べる。
「ありがとうございます」
「いや、最初から手伝えばよかった」
他人の家のキッチンに勝手に入るのは気が引けるが、水姫一人に任せきりにしてしまったのは少し反省する。
視界の隅っこで鬼火斗が「はん」と鼻で笑っていたが気にしないことにした。
「お湯を注いだばかりですので、少しお待ちくださいね」
どうやらこちらの会話が気になって、早めに戻ってきたらしい。
並べ終えると、三人掛けの最後の席――昴の隣に腰を下ろす。
全員が落ち着くところに落ち着いたところで、幽月が口を開いた。
「で、比嘉君。朽木君に乱暴を働いた、ということだが?」
静かに問われ、鬼火斗は肩をすくめた。
「緩いツラで呑気に学校通いしてやがんのを見かけてね。一回、痛い目に遭わせて、危機感を煽っといた方がいいと思ったんスよ」
その返答に、昴と幽月以外の全員が――水姫ですらもが苛立ちを見せる。
もちろん、鬼火斗はそんな空気を歯牙にもかけていなかったが。
「なるほど。言いたいことはわからんでもないが、そういう判断は組織の長に任せてもらいたいところだね。君の流儀に従うなら、君はオフェンスの三番手――自分の仕事に専心したまえよ」
やんわりと窘められ、鬼火斗は舌打ちする。
あれだけ強気に出ているので、てっきり鬼火斗が一番手なのかと思ったのだがどうやら違うらしい。
「オフェンスの一番強い人って……?」
かなりデリケートそうな話題なので、隣にいる水姫にこっそりと聞いてみる。
「っせーな、ガキッ、ぶっ殺すぞ!」
かなり声を抑えたつもりだったが、しっかり聞こえていたらしく、即座に鬼火斗が怒声を張り上げた。
「相性の問題なんだよ! 純粋な
どうやら本人の取ってもその話題は地雷であったらしい。
「オフェンスのナンバーワン。つまり01は、不破さんよ」
冴香が淡々と告げる。
「え、あの人が……?」
のほほんとした、いかにもダメ男で、お店の女性(だと思われる)にめっぽう弱くて、冴香や幽月から呆れられまくっていた不破清十郎がこの中で最も強い、と聞かされて、意外以外の感想が出てこなかった。
「現在、02は欠番になっているので、この三人が日本支部の最高戦力ということになる。朽木君は安心してこれまでの生活を続けてくれたらいい」
欠番、という表現は気になったが、あまり踏み込んだことも聞きづらい。
少なくとも、幽月達も、防備を固めてくれているということだけは確かなようだ。
「ともかく比嘉君、君の意見はありがたく頂戴しておく。朽木君には、まあ本人がいるので即座に伝わるわけだが、もう一度気を緩めないように注意してもらうとしよう」
チラリと幽月に見られ、昴は頷く。
「ならばこれ以上の干渉は不要だ。擁護対象の朽木君に不要なストレスを与えるなどナンセンスだからね。私はね、君のユニークな性格は決して嫌いじゃないが、あまりやり過ぎると……私としても、少し本気で対応しなければならないからね」
その瞬間、部屋全体が凍りついたのではないかと思うほどの迫力が幽月から放たれる。
単なる気迫なのか、それとも何らかの〈精霊器〉を使用したのかはわからないが、一瞬で鳥肌が立っていた。
昴だけではなく、横に座っていた水姫は身を固くし、アンジェリカは「ぴゃ!?」と短く悲鳴を上げかけ、冴香も冷静を装っているようだが表情が強張る。
一番強いのは不破、と言っていたが、一番恐ろしいの案外この幽月かもしれない。さすがの鬼火斗も苦虫を噛み潰したような顔になって立ち上がる。
「へいへい、気をつけますよ。ったく、つまんねーな。おい、冴香。今夜の巡回はお前のローテのはずだが、俺がやるからな」
いきなり話しかけられた冴香は意図が汲めずに困惑していたようだが、
「ひと暴れしなけりゃ
そう履き捨て、足音も荒々しく立ち去っていった。
「不快な思いをさせたなら詫びておくよ。すまないね」
幽月が元の柔和な笑みに戻って昴に話しかける。
「あ、いえ、さっきも言った通り驚いたけれど、別に怪我もしてませんから」
「そう言ってもらえると救われる。……比嘉君は、性格に難があるが、腕前も一流だし、何よりレヴェナントの存在を嗅ぎつける力は逸品だ」
「レヴェナントを嗅ぎつける?」
昴が首を傾げると、冴香が頷く。
「普通、レヴェナント化してから一定以上時間が経たないと察知できないのだけれど、比嘉さんはどういう理屈なのか、かなり早期のレヴェナントでも判別できてしまう」
「それは〈精霊器〉の能力?」
「いえ、〈精霊器〉の力ではないらしいけれど、細かい理屈は私達にもわからない」
マンションに帰ってきたとき、怪しくなくても八つ裂きにする、と言っていたのは自分の能力に対する自負からくるのだろうか。
いずれにしても、自分も、自分の周りの人間も、可能な限り比嘉には近づけたくないとそう感じた。
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