第21話 女難の相でも出てますか?



 たった一人で、もう一つの世界に放り出された。


 自分だけが存在しないという、デタラメなもう一つの世界――もう一つの、霧見沢市きりみさわし


 生まれ育った世界は消滅したと言われても、すぐには信じられるはずがなかった。


 それでも、聞いた話が全て本当かどうかはわからないが、普通ではあり得ないことが山ほどすばるの目の前に起こった。


 どれほど否定したくとも、現実を受け入れざるを得ない。


 そんな中で出会った咲良さくらや、遠くから見ただけの、こちらの世界では健在だった両親が幸せそうに過ごしているのは、昴にとって数少ない救いでもあった。


 たとえその中に、自分の居場所がなかったとしても……。


 ここには自分一人しかいない――そういう結論に至りかけていた。


 だというのに、たとえ相手にその自覚がなかったとしても妹のように親しく話しかけてくれる咲良の存在は、思った以上に気持ちを軽くしてくれた。


 最初は渋々引き受けた家に送り届ける役割も、奇妙な巡り合わせではあったが、心地よくもあった。


 別に、〈ワールド・エンド〉の説明をして、別の世界では兄妹だったと打ち明けようとかそういうつもりは毛頭ない。


 ただ二度と会えないと思った妹が笑顔で接してくれるそれだけで居心地がよく、咲良と涼音を送り届けるわずかな時間をにわかに楽しみにするようになっていた。


 ――そして数日が経った。


 レヴェナントに襲われるような事態も、幸いにしてあれ以来起こっていない。


 相変わらず冴香さえか清十郎せいじゅうろうは巡回に出ているようなので、自分一人が安穏と暮らしていることには後ろめたさは感じるが、最初の緊張感は徐々に薄らいでいっていた。


 だというのにその日の放課後、昴達はそれぞれの理由で、気まずげに押し黙っていた。


 咲良は昨日までの楽しそうな様子が嘘のように戸惑い、涼音すずねは終始苦笑じみた表情を浮かべている。


 原因は、四人目の存在である。


 といってもアンジェリカのことが知られてしまったわけではない。


 相変わらず姿を消すと昴からも彼女がどこにいるかはわからなかったが、護衛の任務を忠実に果たしてくれているのだろう。


 四人目とは、学校からずっと無表情のまま一緒に歩いている黒瀬くろせ冴香である。


「黒瀬さんも同じ駅から乗り降りしてたのね。私、一年以上同じ学校に通っていて全然知らなかったわ」


「特に同じ駅を使っているからといって、親しくなる必然性もないから不思議ではないと思うけれど……?」


 さっきから、少しでも気分を楽しくしようと涼音が話しかけているが、冴香はこの通りである。


 別段、涼音のことを敵視しているわけでも、咲良のことを嫌っているわけでもない。


 出会ってから今まで基本的にこの少女は表情が乏しく、誰に対してもこんな態度なのだ。


 その一方で、涼音も咲良も喜怒哀楽を正直に表に出す性格で、おそらく冴香のようなタイプの性格をした人間とはあまり付き合いがなかったに違いない。


 昴からすれば、別に怒っているわけではないだろうから、普通に放っておけばいいだけだと思うのだが、何故かどんどん空気が重くなっていくのだ。


 加えて、冴香が一行に加わった流れもよくなかった。


 今日の放課後、昨日と同じように三人(プラス一人)で帰宅しようとした昴達のところに、それまで知らぬ顔で過ごしていたはずの冴香が唐突にやって来て「私も同じ駅だから、一緒に帰ってもいいかしら?」と申し出てきたのだ。


 段取りとか、根回しとか、そういう手続きを全部素通りしていきなり一緒に帰りたいなどと言い出すのだからたまらない。


「ね、ねぇ咲良。そういえば、前に言っていたテーマパークのチケットって、結局取れたの?」


 最終的に、涼音が冴香の存在はとりあえず脇に置いてせめて空気だけでも明るくしようとしたのか咲良に話しかけた。


「え? あ、それがね、売り切れが続出で全然買えないの」


「そっかぁ、競争激しそうだったもんね」


「テーマパークって?」


 一応、冴香が疎外感を覚えないか気にしながらも、昴は素直に気になって涼音に問いかけた。


「ここから一時間ぐらい行ったところにあるテーマパークなんだけれど、そこの新しいアトラクションがすごい人気で、今は予約者しか入れない感じなの」


「へぇ……」


「おに――朽木先輩はテーマパークとか興味ないんですか?」


 お兄ちゃんと言いそうになって、冴香の手前さすがに口をつぐんだ咲良が言い直す。


 昴は苦笑しながらも一つ頷いた。


「そこ、たぶん行ったことはあると思うけれど、最近のアトラクションとかは知らないかな。しばらく、そういうところに遊びに行ったりしなかったから」


 実は、初日で冗談半分に「お兄ちゃん」扱いされて以来、こうして帰り道ではお兄ちゃんロールプレイが続いていた。


 昴としては、恥ずかしいやらくすぐったいやらで身の置きどころに困るのだが、ある種の遊びとして受け入れていたのだ。


 だがさすがに咲良も、冴香の前では「遊び」を封印するようである。


「そうなんですか? もったいないですよ。ものすごく面白いんですから! もっとチケットが簡単に買えたらいいのにな。そうしたら朽木先輩と涼音ちゃんと私で遊びに行って先輩にテーマパークの面白さを教えてあげるのにな!」


 心底残念がっている様子の咲良に、何とかしてやりたいところだが、さすがにそうした人気のチケットを入手するほどのツテは持っていない。


 ところが、


「朽木君なら、望めば簡単に手に入るのではないですか?」


 と、それまで自分からはほぼひと言も発しなかった冴香が何故かこのタイミングでいきなり話しかけてきたのだ。


「えっ!? 僕が!?」


 昴は驚いたが、それ以上に涼音と咲良が驚いていた。


「お兄ちゃん、本当に!?」


 驚きすぎて、兄妹ごっこの口調が飛び出して来た。


「え? いや……」


「朽木君は、とても顔が広いから、頼めば簡単に手に入るはずよ」


「そ、そんなことまで……?」


「ええ、私も詳しくはないけれど、できるはずよ」


 つまり、幽月か誰か、ミドガルズオルムの人間に頼めと言いたいらしい。


 生活費を出してもらうのと同じ扱いなのかもしれないし、昴が望めば大概のものは用意すると確かに言われていた。


 本当にそんなことができるのか半信半疑なのと、あと世界を救う組織の力を使って単なるテーマパークのプレミアチケットを手に入れようとするというアンバランスさに目眩がしそうだった。


「だったら、ちょっと、頼んでみようかな……」


 それでも、咲良が喜んでくれるなら、ダメで元々という気持ちで頼んでみるのもいい。


 何より、ミドガルズオルムにどの程度頼るのか、頼れるのか、今後を考えるならお試しで一度頼みごとをしてみるのもいい気がする。


「うん、お願い! もし行けるのなら私すごく嬉しい!」


 昴自身でさえ半信半疑なのに、咲良はもう希望が叶ったかのようにその場で飛び跳ねて喜んでいる。


「……黒瀬さんて、朽木君のことを前からよく知っていたの?」


 反面、涼音は冷静に、当然の疑問を口にした。


 だから冴香と接触するのは不安だったのだが、当の冴香はまるで焦らず、「朽木君自身のことは知らないわ」と言い切った。


「でも、だったら……」


「彼自身ではなくて、彼がお世話になっている人を知っているだけ。その人が色々と顔が利くの……」


「間接的に、たとえば名前だけは聞いていた、とか?」


「ええ、そういう感じかしら」


 まだ不思議そうではあったが、一応納得して涼音も昴を見る。


「本当にできるなら、私の分もお願いね!」


「まあ、あまり期待しないで待ってて。とりあえず、頼むだけは頼んでみるよ」


 どちらにしても他力本願だ。


 威張れることではないと曖昧に答えたが、涼音も咲良も大袈裟に「お願いします、朽木様~」などと、両手を合わせて拝む真似をしてくる。


「勘弁してくれ」


「あ、連絡先交換しましょう! チケットが取れたら真っ先に教えて下さいね!」


 そう言いながら咲良はスカートのポケットからスマートフォンを取り出した。


「ちゃっかりしてるな」


「えへへへ」


「あ、いいな! 私も私も~!」


 涼音もそう言って話に加わってくる。仕方なく、昴は二人とスマートフォンの連絡先を交換した。


 今時、電話番号を全桁覚えたりはしないので断言はできないが、二人の電話番号の、少なくとも末尾の四桁は前の世界と同じものだった。


 少しだけもの悲しい気持ちになったが、そのやり取りで、堅かった空気が少しはほぐれてきたように感じた。


 それ以降は、積極的に会話に加わるということはなかったが、冴香を含めた四人でも比較的気楽な雰囲気で二人の家がある住宅地付近までやってきた。


「じゃあ、僕は黒瀬も送っていくから」


 正確には、同じマンションに帰るだけなのだが正直に言うとまた説明がややこしくなりそうだから曖昧に誤魔化しておいた。


「うん、朽木君、ごめんね。いつもありがとう」


「お兄ちゃ――じゃなくて、朽木先輩、また明日!」


「二人とも、バイバイ」


 軽く手を振って二人と別れる。本当にチケットなんて取れるのか半信半疑だったので、少しばかり不安ではあったのだが。

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