第20話 お兄ちゃん


 午後の授業は思った通り眠気との戦いになったのだが、どうにか切り抜け、授業が終わると待ち合わせ前に屋上のアンジェリカと合流し、簡単に事情を説明する。


「おぉ、ご学友のため、義心で立ち上がったのですな! さすがは我が主! お館様の男気に拙者も感服つかまつった! にっくきレヴェナントがもし出現したとしても、拙者が命を賭してお館様方をお守りいたします故! お心安らかに!」


 レヴェナントの危険性を知った。


 あれを見ると、幽月ゆづき達がすばるの身の安全を図ろうとする気持ちも少しは理解できる。


 となると、余計な寄り道はせずにまっすぐにマンションに戻るように反対されるかと思ったのだが、まさかの大絶賛であった。


 もしかすると、全面賛成してくれるのはアンジェリカだけで、幽月達に相談したら、やはり反対される可能性は残っているかもしれない。


「いや、しかし……」


 とはいえ、学歴ではとっくに追い抜かれていたとしても、相手は幼女である。


 万が一の可能性であろうと、もし本当にレヴェナントと遭遇してしまえば、こんな幼い子どもがそれに対応することになる――そういう配置であることに変わりはない。


 さすがに心理的にも道徳的にも、かなりの抵抗感があったのだ。


 それとも、彼女も冴香さえかのようにとんでもない戦闘力を持っているのだろうか。


「アンジェリカも黒瀬みたいに強いの?」


 念のために聞いてみると、


「いえ、拙者の〈精霊器〉リゾルバーハンゾウは偵察に特化しております故」


 もしもし? と聞き返したくなる返答である。


 だが、返答してから自分でもその意味に気づいたのか、アンジェリカの顔色が面白いほどクッキリ変わった。


「――と、ということは、拙者ではレヴェナントに勝てませぬぅ」


 空気に乗せられて身を守る宣言したはいいものの、今頃になって現実を思い出したらしい。涙目である。


 昴はアンジェリカの頭をポンポンと撫でながら「気持ちだけもらっとくよ」と宥めてやった。


「とにかく、別に何かあったときに矢面に立って欲しいとかそういう話じゃないんだ」


「と、申されますと?」


「これからしばらく、学校の帰りは二人を送っていくことになるから、アンジェリカはバレないように気をつけるんだぞ」


 最初、不思議そうにしていたアンジェリカの顔に理解と納得の表情が浮かぶ。


「ははぁ。隠密行動であれば拙者の得意とするところ! お任せあれ、にんにん!」


 いまいち安心できない。


 アンジェリカには悪いが、有り体に言って不安しかない。


 だが、だからといって帰りは別行動させて欲しいと希望しても納得しないだろうから信用するしかないだが。


 レヴェナントと出くわさないのはもちろん、なるだけトラブルは起こらないようにと祈りながら、昴はアンジェリカを伴って二人との待ち合わせ場所である校門に向かった。


               ◆◆◆


 二人との下校は、途中で電車を使うことを除けば、まるで中学時代に戻ったようだった。


 二年前、まだ昴の家族が健在だった頃。


 当時、中学三年生だった昴と涼音すずねは、二年生の咲良さくらとよく一緒に下校していた。


 思春期に入って、一番デリケートな年頃である。


 あまり女子と一緒に帰るとからかわれるので、昴としては気が進まなかったのだが、涼音と咲良の二人に押し切られる形で引っ張られるようにして帰ったものだ。


 もう、絶対に戻ってこない過去。


 そして今、三人が揃って同じ学校に通って、かつて平穏だった中学時代と同じように下校する――それは、絶対にやってこない未来である。


 自分が辿るべきだった時間の流れから弾き飛ばされ、自分の身一つ、それ以外は全て失った。


 なのに、ここでこんな景色を見ることになるのは皮肉以外のなにものでもない。


 ここは自分のいる場所ではない。


 だから、ここを居心地いいと感じたりしてはいけない――自分を戒めようとする昴の脳裏には、しかし昨日の水姫みずきの言葉が蘇る。


 幸せになってもいいのだと。


 本当にそうなのだろうか?


 基本的には、よくしてもらっていると思う。


 住む場所や衣類、食事、諸々にかかる経費も渡されているし、必要なスマホなどのツールも用意してもらった。


 アンジェリカに懐かれるのは悪い気はしないし、気を抜くと日常のあれこれにも「楽しさ」を感じてしまう瞬間がある。


 感情は、理屈では縛れない。


 そこに昴は戸惑いを覚えてしまう。


「ねぇ、聞いていましたか先輩!」


 急に咲良から話を振られて昴は我に返る。


「え? あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた」


「えぇ~、せっかくいいところだったのにぃ」


「ごめんごめん。で、いいところってどんな話だったの?」


 人懐っこい咲良は、地元駅に帰る頃にはとっくに昴への緊張感もなくなっているようだった。


 こうなると長年のクセで、つい昴も打ち解けたような口調になってしまう。


「実はですねぇ」


 咲良がにこにこと笑いながら学校の出来事を教えてくれるのだが、その横で涼音が小さく笑っていた。


「どうかした?」


「え? なんだか、二人が本当の兄妹みたいだなって……。変よね、名字が同じっていうだけのはずなんだけれど。実は親戚だったりするんじゃない?」


 意外にと言っては失礼だが、鋭い涼音の指摘にギクリとなるが、咲良は一瞬考えて首を捻った。


「親戚、ではないと思うんですけれど……」


「そ、そうだね。僕もそういう話は知らないかな」


 どれほど想像力が豊かな人間だろうと、少々不審なぐらいで〈ワールド・エンド〉云々の話に辿り着くはずもない。


 むしろこちらから説明しても信じてもらえないぐらいだろうから神経質になる必要もないのだろうがちょっと居心地が悪い。


「基本的に人懐っこい咲良だけれど、ここまですぐに仲良くなるとは思ってなかったわ」


 半分呆れたように言う涼音だが、そういう本人だって、知り合って大して時間が経っていない昴の手を強引に引いて食堂まで連行したような気がするのだが……。


 それとも、別の世界とはいえ、向こうで幼馴染みだったり、兄弟だったりした事実が関係しているのだろうか。


 あれこれ考えてみても、昴一人では答えが出そうにない。


 隣にいた咲良は、深く考え込む様子もなく機嫌がよさそうにニコニコ笑っていた。


「でも、私、一人っ子だからお兄ちゃんって憧れます!」


 そしてさらに、彼女の思考はとんでもない方向に突き進む。


「せっかくだから、今から朽木先輩のことを『お兄ちゃん』って呼びますね!」


「えぇっ!?」


 どういう帰結だと昴は呆気にとられた。


「じゃあ、今からです。お兄ちゃん!」


 昴はどう返答したものかと困惑を極め、涼音に助けを求める視線を向けるが、彼女は単純に面白がっているようだった。


「どうしたの~? ほらほら、答えてあげなさいよ、お・に・い・ちゃ・ん」


 涼音がからかってくる。


 昴は溜息と共に諦めてごっこ遊びに応じることにした。


「ど、どうした咲良、ちゃん……」


 さすがにいきなり呼び捨ては、本当は慣れているからこそ逆にハードルが高いので、とっさに誤魔化す。


 しかし咲良は気にした様子はなかった。


「お兄ちゃん! ……えぇと、しまった、用事は考えてなかったな」


「呼びたかっただけかよ」


 昴が苦笑する。


「だってぇ……」


 さすがに恥ずかしかったのか、咲良は口をへの字にして頬を膨らせた。


 そうしてその日から、昴の奇妙な下校風景がはじまったのである。

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