第19話 さくらさく


 涼音すずねに誘われて向かった学食は、今日も賑わっていた。


 食堂にやってきた生徒、


 早くも食事を終えて立ち去ろうとしている生徒、


 待ち合わせの友人と合流して立ち話をする生徒、


 注文するためにカウンターに向かおうとしている生徒等々、流れにはまとまりがなく方々で混雑していた。


 ただ、雑踏が苦手なすばるはほとんど利用していなかったため気づかなかったが、涼音に連れられて奥の方に行くと、人の流れが緩やかになり急に静かなスポットが現れた。


 その最も奥の席に、数人の生徒達が座っており、何人かが涼音の顔を見て手を振っている。


 どうやら生徒会の面々というのが彼らであるらしい。顔ぶれに目を走らせ、昴はギョッとして立ち止まってしまった。


「どうしたの?」


 不審に感じたのか涼音が声をかけてくる。


「あ、いや、てっきり二年だけで集まっているのかと思っていたから、先輩方もいるんで驚いただけ」


 市立霧見沢高等学校は、女子はスカーフの色、男子は胸ポケットに学年を示すⅠ、Ⅱ、Ⅲのバッジを着けているので、見ただけで学年が判別できる。


 それで、学年で驚いた振りをしたのだが、実は実際に驚いたのは驚くような顔を二つほど、集まりの中に見つけたからだった。


 一人は生徒会のトップ――生徒会長である。


 周囲のことには頓着しない昴でも、さすがに自分が通っている学校の生徒会長の顔ぐらいは知っている。


 特に、今年の生徒会長は優秀で、生徒会の改革をいくつも起こし、教師からも一目置かれている秀才として有名な人だった。


 特に嫌な印象はないのだが、雲の上の人という感じだったので少々緊張する。


 もう一人の「顔」はというと、これは生徒会長とはまったく別の意味で驚いた顔だった。他の生徒達にとっては特別な顔というわけではない。


 年下ということを差し引いても少し童顔だろう。


 丸顔で、目もくりっと大きく表情も豊かだ。


 くせ毛で、いつも短い髪型にしているが、それだとヘアアレンジで遊べないのが不満だからといって可愛いヘアピンを好んで使っている。


 美人というより愛らしく、誰からも可愛がられる、子犬のような女の子――二年前に死んだはずの昴の妹、朽木咲良くちき さくらだったのだ。


 もちろん二日前にすれ違ったので、こちらの世界で生きているのは知っている。


 知ってはいるが、


(咲良のやつ、生きていたら僕と同じ学校に通うことになってたのか……)


 自分が見られなかった、昴の世界では存在しなかった、妹の未来を見て、少しだけ感情が揺れたのだ。


梓川あずさがわさんのクラスに転校してきた方ですね?」


 物思いに耽っていると、生徒会長から声をかけられ慌てて我に返る。


「あ、はい、朽木昴です。初めまして」


 小さく頭を下げると、思った通り、朽木咲良がピクリと反応した。


「わぁ、私と同じ名字ですね! 私、一年の朽木咲良って言います!」


「確かに田中とか、ありふれた名前とは違うから奇遇だよな」


 三年の男子生徒がおかしそうに言う。


 すると「悪かったな、ありふれた名前で」と別の生徒が苦笑する。どうやら彼は田中というらしい。


 しかし涼音は咲良と同じで奇遇だと思った側らしく「でしょ?」と気をよくして咲良に話しかけている。


「ていうか、梓川が僕を連れてきたがったのって、名字が同じだから面白いと思ったからとか?」


 昴が指摘すると、涼音はギクリと言葉に詰まったようだった。


「ったく。それならもう用済みってことかな?」


 誘ってもらって少しは嬉しく感じていたのが恥ずかしくなってしまった。


 見ず知らずの人間、しかも上級生も混じっている集団に囲まれていては落ち着かないので、このまま立ち去ろうかと思いはじめていた。


「まぁ、そう言わずに。せっかくですからご一緒しませんか?」


 柔らかく取りなしてきたのは生徒会長である。


 名前は確か、四ノ宮薫子しのみや かおるこだったはずだ。


 純和風の美人――そう表現すると水姫みずきと同じだが、あちらがおっとりした雰囲気であるのに比べ、薫子は日本人形のように、いつも柔和な笑みを浮かべてはいるがどこか表情が読めない底知れなさがある。


「そうそう。俺らも毎日同じ顔ぶれだと飽きるしさ。引っ越してきた学校の話とか聞かせてくれよ?」


 男子生徒が会長に同意する。


「別に、ここと特に変わったところなんてないですよ」


「まあまあ、いいからいいから!」


 三年生二人から誘われれば、さすがに断れなかった。


 一旦席を離れ、カウンターで定食を注文してから席に戻ると、昴の転校話を披露することになってしまった。


 もちろんここ以外の学校に通った経験などないが、少し離れた場所にある、実際の街と学校の名前を出してひと通り引っ越しの事情などを語って聞かせた。


 これは幽月ゆづきが用意してくれた偽の経歴で、本当にあってもおかしくなく、かつ不必要に興味も引かない凡庸な内容だった。


 期待通り、彼らはすぐに興味を失って、おそらくはいつもの慣れ親しんでいるのであろう、やり取りがはじまる。


 ようやく好奇心の目から解放された昴は、適当に自分の食事に手を伸ばしはじめる。


 朝もほとんど食べていないので、ここでお腹に何かを入れておかないとさすがに午後からが辛くなると思って無理矢理詰め込んでいく。


 淡々と食事を進めながら、楽しそうにはしゃいでいる面々を横目に見ていた。


 自然と、もし自分が、二年前の事故がなく普通の高校生活をはじめていたらと、益体のない想像が頭をよぎる。


 さすがに生徒会に入ったりはしなかっただろうが、それでも普通に友達がいて、普通に雑談をしながら楽しく昼休みを過ごすこともあったのだろうか。


(………意味ないな、こんな妄想)


 自分自身に呆れながら妄想を打ち切っていると、


「そう言えば、繁華街の通り魔事件ってどうなったか知ってる奴いる?」


 という誰かの声が昴の耳に飛び込んできた。


「通り魔事件?」


「お、転校生は興味あるか?」


 思わず反応してしまった昴に、誰か――三年の男子は気をよくしたのか自分の聞き込んだ話を披露しはじめた。


「一週間……にはならないかな、この学校の最寄り駅から二つほど先の駅で降りたところにある繁華街の方でさ、毎晩のように人が通り魔に襲われる事件が発生してるんだってさ」


「ぶ、物騒ですね……」


「でもさ、誰も犠牲者はいなくってさ、警察も全然動いてなくて――」


「それなら、単なる泥酔者の見間違いではないのかしら?」


 生徒会長として、至極真っ当な意見を薫子が口にする。


「だと思うんですが、でも犯人はセーラー服姿の美少女で、日本刀を振りまわしてるって噂があって――」


「もろに都市伝説じゃねーか。信憑性の欠片もないぞ、それ」


「え~、でも、血しぶきを上げながら一刀両断にされたところを見た人間もいるって話だぜ?」


 あまりに突拍子もない情報ばかりなので、逆に信憑性がなくなってしまっているようだ。


(日本刀を振りまわして暴れ回っているのは、ウチの学校の生徒なんですけど……)


 さすがに本当のことは言えないが、昴は冷や汗をかきながらその話を聞いていた。


(せめてセーラー服ぐらいは着替えりゃいいのに……)


 何故か無口な少女の心配を昴がする羽目になる。


 セーラー服が目立ちやすいかどうかは脇に置いて、衝突するレヴェナントがいなければ、それは夜遅くに出歩く高校生がいるだけにしか映らない。


 つまり、噂がこれだけ広がるだけのレヴェナントが出没しているということになりはしないだろうか。


 昨日、肌で感じたばかりのレヴェナントの恐ろしさを思い出す。


 あんなものが一見平穏な日常のすぐ裏側に潜んでいるのかもしれないと思うと、我知らず体が強張っていった。


「なぁなぁ、学校が終わってからその都市伝説を確かめに行かねぇか? 転校生も興味ない? セーラー服の美少女だぜ?」


「あと、化け物が出たって噂もあったっけ?」


「何か、ここ数日で物騒な話が山盛りだな」


「化け物なんているかよ」


「でも、何かを見間違えたのだとして、何を見間違えたのかは気になるわね」


 男子も女子も、先輩も同級生も後輩も関係なく、胡散臭いと言いながら好奇心だけは刺激されているようだった。


「現実的に考えたら、セーラー服の美少女に怪物ってさすがに嘘っぽくない?」


「そうよね。何か危ないこと自体は起こっているからそんな噂が立ったのかもしれないけれど、実際には暴力団同士の小競り合いとか変なグループ同士の諍いとか、だったら近寄らない方がいいんじゃないかな……」


 慎重派らしい意見が出てきて少し安心する。


 冴香さえかの正体が明るみに出るのもダメだが、それより何より、もし冴香が「通り魔」をする瞬間に出くわすということは、つまりはレヴェナントに自分から近づくということでもあるからだ。


「え、じゃあ、ヤクザ屋さんが暴れたりしてるんですか?」


 そこで、怯えた顔で聞いてきたのは三つ隣の席に座っていた咲良だった。


 そう言えば、咲良は大変恐がりで、怪談云々も嫌いだが暴力など現実的な荒事あらごとの方が大の苦手だった。


「咲良なんて、可愛いから誘拐されちゃうかもね」


 なのに、三年の女子が余計な茶々を入れる。


「ひゃぅ!?」


 たぶん反応がオーバーなので楽しいのだろうが、兄としては少々腹に据えかねるところである。


(いや、兄じゃないか。でもなぁ、こういうパターンの咲良だと……)


 思った通り、咲良は半泣きになって近くにいた涼音の制服の袖に縋りつく。


「涼音ちゃん、お願い、一緒に帰って~! 私、一人だと帰れないよ~」


 思った通りの展開になった。


 咲良をからかっていた先輩も、ようやくやりすぎたと悟ったのか、急におろおろしはじめる。


 確かに一緒に帰った方が心強いだろうが、実際にレヴェナントを見た昴からすれば、女の子が一人だろうと二人だろうと、出会ってしまえば終わりだ。


「確かに、そんな都市伝説のような事件が実際に起こっているというのは疑わしいけれど、何か物騒な事件が起こっている可能性はありますね」


 薫子も真剣に考え込んでいた。


 ただ、彼女が真剣になると、咲良は余計に恐がるのだが。


「生徒会として、できるだけ家が近い人同士は一緒に帰るように推奨しましょうか」


「それはいいかもしれませんね」


 単に面白がっていた他の生徒達も、薫子の提案に頷いている。


「では朽木君、心苦しいのですが一つ頼みごとを聞いていただけますか?」


「え? 僕に、ですか……?」


「はい。梓川さんと朽木さんは同じ駅で乗り降りしているのですが、生徒会で同じ駅を使っている者がいないのです。実は、生徒会にもあなたの資料は回ってきていて、確かあなたも二人と同じ駅を利用しているのではなかったでしょうか?」


「それはつまり、僕が二人を送っていくということですか?」


「はい、できればぜひ」


 座ったままだが、薫子は背筋を伸ばしてから深々と頭を下げる。


 そんな風に真正面から頼まれごとをした経験は少なかったので、昴としては少々困った。


「朽木先輩! 私からもお願いします!」


 真剣に困った様子で咲良までもが懇願してくる。


(………兄、だもんな)


 昴は小さく息を漏らして頷いた。


「でも僕、別に腕っ節は強くないですよ?」


「いざとなったら、朽木君が時間を稼いでいる間に二人が逃げるので大丈夫です」


 本気か冗談かわからないが、薫子はとても爽やかな笑顔を浮かべてそう言いきった。


「まぁ、置き去りは勘弁して欲しいですけれど、僕で役に立つなら一緒に帰るぐらいは大丈夫ですよ」


「本当ですかぁ~っ! 助かります! 命の恩人です!」


 咲良は大袈裟に感激してしまっている。


「ごめんね。何か、私がお昼に誘ったせいで、面倒なことになっちゃって……」


 涼音は申し訳なさそうにそう言うが、レヴェナントが徘徊していることを知っている昴からすれば、万が一にも二人が被害に遭う可能性があるとするなら放置できない。


「どうせ僕も帰るんだし、別にいいよ」


 もちろん、この二人が、昴と関係がある二人でないのは自覚していても、である。

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