第15話 〈聖なる泉〉
「聖なる泉?」
その単語と、手にしたシステム手帳とのあまりのギャップに、昴は手帳と冴香の顔との間で視線を往復させた。
(こんな普通の手帳………普通? あれ?)
何の気なしに手帳の中身を確認しようとして違和感を覚える。
ごく普通のシステム手帳で、中身を簡単に交換できるバインダータイプの構造になっている。
それがカバーと同じ革で作られた細いベルトで開かないように固定されていた。
だが、ベルトの留め金がどうしたわけか外れないのだ。
単に金具が錆びついているのかとも思ったが、それなら少しぐらい隙間を開けたりできそうなものである。
だが手帳は、表紙から、中のページまでもがその形で固定されているかのように固まっており、間から爪を差し込むことすらできなかった。
「失礼した。少々、想定外の出来事だったので呆然としてしまったよ」
彼女達にとってこの手帳がどれほどの意味を持つのかわからないが、幽月が立ち直り再び口を開いた。
「……これ、そんなに変なことなんですか?」
昴が問うと、幽月は曖昧に頷いた。
「変、というわけではないが、驚愕するべき物体ではある。これを見てもらえるだろうか?」
幽月は懐から取り出した、手にすっぽり収まる程度の球体を昴に投げて寄越す。
「おっと」
片手には手帳を持っていたので、反対側の手で取り落としそうになりながらもどうにか受け取る。
それは、金属製で、細い紐――あるいは細い植物の根のようなものがびっしりと絡まり合って球体を形成していた。
「君に説明するために作った単なる模型だが、本来であれば〈精霊器〉の核として生み出されるのはそれだったのだよ」
確かに、先程のトレイの窪みにピッタリはまりそうな大きさだ。
「でも……」
と昴は手の中の手帳に視線を落とす。
「そう、それは明らかに〈精霊器〉ではない。〈精霊器〉以外のものが生み出されるとすると、可能性はたった一つしかない」
「生み出されるって、これが、あの木から出てきたって言うんですか?」
「もちろん、その通りなのだよ。本来なら、うちで用意したコア成型器から出てくるはずなんだが……」
にわかには信じられないが、幽月や周りの反応――特に真面目な冴香が黙り込んでいるところを見ると、彼女らは本気でそう言っているらしい。
「何なんです、〈聖なる泉〉って。これ、手帳でしょ?」
「……実のところ、〈聖なる泉〉が出てきたのは我々にとっても想定外だった。私ですら実物を見たのは初めてなのさ。全ての〈精霊器〉の根源となる、無限の智が湧き出る泉、それが〈聖なる泉〉だと言われている」
「あの、ちょっと、理解が……」
素直に降参する昴に、幽月は小さく笑みを浮かべた。
「実は、我々にもよくわかっていない」
「はぁ……」
「マナを動力源として奇跡を起こす〈精霊器〉だが、その
「原典、ですか」
「ああ。〈精霊器〉は言ってみれば大量生産品。〈聖なる泉〉はユグドラシルが認めた者だけに与えられる真なる神器。使用者に合わせて生成される、文字通りのワンオフ。その手帳は、君だけに用意されたものだ。……簡単に言えば、より上位の〈精霊器〉だと考えればいい。圧倒的な力を誇ると伝わっているが、その分、扱いは複雑になるそうだがね」
「この手帳が開かないのも、そのためですか?」
幽月に聞いた質問に冴香が口を開く。さっきからのやりとりを見ると、〈精霊器〉関連については幽月よりも冴香の方が詳しいようだ。
「おそらくは。……通常、使用者が使おうと思っただけで起動するはずなのよ。私の〈精霊器〉が動作とかけ声を必要とするのは、むしろそれがなければ起動しない――つまり誤作動を防止するための安全装置だから」
冴香は右手に装着した回路状の〈精霊器〉を目の前にかざした。
「〈精霊器〉は人によって形や機能が異なる――」
「ああ、黒瀬は日本刀のような武器だけれど、アンジェリカの〈精霊器〉は姿を消す力を持っているってこと?」
「いかにも! 拙者の〈精霊器〉は万能偵察型〈精霊器〉ハンゾウにござる! にんにん!」
たぶん、名称は自分で名付けられるのだろう。
アンジェリカの趣味100%のネーミングセンスだ。
「じゃあ、僕が受け取ったこの手帳は、どんな能力があるんだ?」
これまで通り、簡潔明瞭に答えてくれるかと期待したのだが、
「……わからない」
冴香は多少悔しそうにしながら降参した。
「いずれにしても、〈聖なる泉〉もまた所有しているだけでレヴェナントへの抵抗力を持つと言われているので、あなたが前線に出ないのであれば特に不都合はないでしょう」
「……そうか。じゃあ、これは、普通に持ち歩くしかない感じかな?」
「そうね。あなたの身の安全のために必ず携行するようにして欲しい」
昴はしばらく日常生活をいくつか想像してから頷いた。
「わかった」
レヴェナントを思い出して昴は素直に了承した。
自分がこの世界でどう振る舞えばいいかまだわからないが、だからといってあんな化け物に襲われたいとは思わない。
少しでも安全になるというなら、拒否する理由はなかった。
「冴香、説明ご苦労。……納得してもらえたようでよかった。納得ついでにもう一つ相談があるんだが、いいかね?」
「え? 相談、ですか?」
「最初はフラストレーションになるからそうした提案はしなかったのだが、今回のことがあって、このままでは不味いのではないかと思い立ったのだよ。むろん、納得してくれた様子の君が今日と同じことを起こすとは思っていないが、別の状況でまた別の問題が生じる可能性もあるということだ」
幽月は、何故か一気に喋りきった。
しかも言葉の数に対して圧倒的に内容がぼやけている。
「そんな曖昧な言い方だとなにがなんだか……」
わざとはぐらかすような物言いをしているような気がした。
遊ばれているような、からかわれているような気もしたが、同時に徐々に嫌な予感が膨らんでくる。
「ふふふ、回りくどい言い方になったしまったかな。では単刀直入に、君の部屋に、うちの娘を同居させてもらおうかと思っている」
「は―――?」
「何か不意の事態が起こった際、我々側の人間がいれば逐次適切な助言を伝えられる。加えて、娘ならば目が不自由なのだから君のプライバシーを侵害する度合いも少なかろう。なんだったら、風呂上りに素っ裸で歩き回ってもらっても平気だぞ?」
「お、お母さま、さすがにそれは、困ります!」
予め幽月の方針は聞いていたのか涼しい顔をしていた水姫だったが、素っ裸と聞いて頬を赤らめる。
さすがに想像もしなかった事態に、一瞬だが完全に思考停止状態に陥ってしまった。
「ちょ、ちょっと待って! あの、僕は男ですよ! 女の子と!? 本気ですか!?」
ちらりと水姫に視線を向ける。
学校から帰ってきた時も思ったが、とても美人だ。
美少女だ。
まさか女装した少年というオチはないだろうし、同居するなど何かの聞き間違いとしか思えなかったほどである。
「問題はない。なんだったら、そのまま貰ってやってくれてもいいのだぞ?」
だが幽月はこともなげにそう言い切った。
「そ、そういうことが言いたいんじゃないんですって!」
これ以上食い下がると生々しい話になるので、まだ幼いアンジェリカもいるため昴は言葉に出しあぐねていた。
「よぉし、荷物は俺が運んでやろうか!」
「不破さん、珍しくやる気を出していますね」
「当たり前だろ、こんな面白――めでたい話、協力するに決まってるだろ?」
完全に冷やかしに来ている不破は、冴香に睨まれて肩をすくめる。
こうして昴が抗弁できないでいる間に、話はドンドン勝手に決まっていったのであった。
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