第14話 世界樹の恵
このロイヤルタワー神木は幽月達の所有物だった。
その発言に驚きを隠せない昴に、幽月はゆっくりと語る。
「我々が何者か、だったね。大まかな内容は既に察しているだろうと思うが、まずは〈ワールド・エンド〉で君のような〈特異点〉を招き入れ、この世界の破滅を回避するのが最初の目的だ」
「最初の、ということはまだなにかあるってことですか?」
それがつまりは、レヴェナントと呼んでいたあの化け物に関係してくるのだろうか。
「〈ワールド・エンド〉のことを新陳代謝と表現していたのを覚えているかな?」
「えっと、ぼんやりとは。ちょっと変わった表現でしたから」
曖昧な返事だったが、幽月は気を悪くした様子もなく頷く。
「〈ワールド・エンド〉で生じる消滅は、物理的な破壊ではない。先程、『存在する』ということについて話したが、消滅した君の世界は、単に消えたわけではなくそれが存在したという根源まで分解されたというのが正確だ」
「根源まで戻った、ですか……?」
「そう文字通り根源だ。その世界で流れた時間、そこで起こった出来事、生じた文化、作られて物質、生まれた命、全てがもっとも純粋な状態へと回帰した。我々はそれをマナと呼んでいる」
「マナ……」
「そう。全てを生み、育む根源たる力。……本来は二つの世界が消滅し、根源の力まで戻された状態で他の世界へと循環していく。世界は膨らむだけ膨らんでより多くのマナを〈ワールド・エンド〉で生じさせて、他の世界の糧になる」
そこで、新陳代謝という言葉がようやくしっくりとくる。
「その際、どちらか一方が生き残ると、残されたマナは優先的に生き残った世界に吸い寄せられ、やがては吸収され、一体となる。そして世界が爆発的に発展する起爆剤になったりする。歴史上、節目になるような大きな変化のいくつかは、〈ワールド・エンド〉を生き延びたことで得られた恩恵だと言われている」
「このあたりにも漂っているんですか……?」
昴はあたりを見回すが、それらしきものを感じることはできなかった。
あるいは、ここにやって来たときに感じた圧迫感のようなものが、幽月が言うマナの気配なのだろうか。
「アンジェリカが姿を消しているのも、水姫が君を救出したのも、全てはマナを用いた――君が言う所の『魔法』なのさ。我々は創世術と呼んでいるがね」
世界を形作るエネルギーを用い、奇跡を行う御業。
世界を作る術ということ。
「我々が創世術で用いるマナなどほんのわずかな分量に過ぎない。それでも奇跡のような現象を生じさせる」
確かに、アンジェリカが姿を消したのも、普通ではなかった。
「そして、君という存在が、君の世界のマナを引き寄せるアンカーになるのだよ」
「僕、が……?」
「〈ワールド・エンド〉における〈特異点〉。それは時によって違い、君と同じ人である場合もあれば、革命をもたらす技術や文化である場合もある。いずれにしてもその存在の重みが、同胞のマナを定着させる鍵になる」
昴は自分の手を握ったり開いたりして様子を見たが、特に変わった様子はなかった。
「今、ここには五人しかいないが、我々のネットワークは世界中に広がっている」
「世界中……。そんな広範囲に!?」
「我々のように、矢面に立つ人間ばかりじゃない。活動資金を捻出する人間。公的組織との根回しを行う人間。様々な情報を寄せる人間。様々な人間が集まって我々のネットワークは作られている。全ては〈ワールド・エンド〉で生き残り、その後の混乱から世界を守るため。世界の滅亡を防ぎ、その後のマナが安定しない混乱期を守り抜く。それが我々の組織――ミドガルズオルム」
「確か、北欧神話に出てくる名前でしたっけ?」
人並みにゲームやマンガに親しめば、どこかでは見聞きする名前だった。
「……そう、世界の終わりまで眠りこける、呑気なヘビ――どうだね? 我々には相応しい名前だと思わないか?」
世界が終わるラグナロクが起こるまで海の底で眠っている巨大な蛇の名前だ。
あまりの巨体故、津波を生じさせ陸地に災害をもたらすと言われている。
世界が終わる――〈ワールド・エンド〉が発生するまでは、ひたすら息を潜め続ける集団ということだろうか。
「混乱というのは、さっき見た化け物のことですか……?」
通っていた中学の、教頭に見えた。
昴の名前も知っていた。
何故なのかはわからないが、あの化け物も〈ワールド・エンド〉に関係があるはずだ。
その質問に対して、
「マナは、利益だけをもたらすわけではない。時として生き残った世界に対して毒となることもある」
「……それがレヴェナント?」
冴香や清十郎が口走っていた単語をなぞる。
「その通り。……あれは、マナがこちらの世界の人間に取りつき、あのように化け物に変容させてしまう現象だ。タチの悪いことに、一度レヴェナントが発生すると、連鎖的にレヴェナントを発生させる」
一体を見逃すと、ネズミ算式に増えるということだろうか。
「じゃあ、あの化け物は、やっぱり僕が通っていた中学の教頭? あ、いや、こっちじゃなくてあっちの世界の教頭で、それと同じ人…………あぁ、もう、ややこしい!」
昴は頭をかきむしる。
ただ、意味は通じたのか、幽月は頷いていた。
「……でもあの人、死んだ、んですか?」
その言葉に反応したのは、冴香だった。
「いいえ、死んではいない。死んだように見えたのは、あの男性を核にしてこの世界に受肉しようとしていたマナの部分。でも、宿主にも危険はあって、下手をすれば命を落とすこともある」
冷徹な声で言い放った。
「下手をすれば命を奪うとしても誰かがやらなければならない。レヴェナントが際限なく増えていけば、世界は滅びるわ。――あなたの世界を犠牲にして生き残った以上、どんな手を使っても生き残る。それが私達の責任だと思うから」
冷徹だった。
冷徹だが、それは強い使命感を背負った人間の声だった。
「君が命を落とせば、マナは拡散する。……仮説ではあるが、先程マナが世界を進化させるきっかけだと言った。〈ワールド・エンド〉を生き延びてもマナを得られなかった世界は枯れ果てるとも言われている」
「生き残っただけで生き延びられるわけではない、ということですか……」
「だから君の安全を図るため、我々はありとあらゆる手段を取る。同時に、できれば君にも自身の安全心がけてもらいたい」
「それが、この厚遇と、護衛をつけて見守る理由ってことか……」
チラリとアンジェリカを見る。
自分のことを言われたと敏感に察したのか、アンジェリカは「ふんふん」と鼻息も荒くして頷いていた。
「……さて、少し脇道に逸れてしまったが、君をここに案内したのは、君の身の安全を図るための品を渡しておきたかったからなのだ」
「この、木の幹みたいなのが関係あるんですか?」
「いいや。これは幹ではなく大樹の根だ」
「これが、根?」
改めて、昴は依然として柔らかな光りを放つ柱――根に目をやった。
「朽木君。冴香の方を見てくれるかな」
「え? あ、はい」
言われ、冴香を見る。
相変わらずピンと筋が通っているような姿勢のよさで、凛としたという表現がよく似合う少女である。
律儀にこんな時間まで学校の制服姿だ。
幽月が目配せをすると、冴香も頷き一歩前に出る。そして昴の前に自分の右腕を突き出した。
制服の袖を引っ張り上げ、あれだけの大立ち回りを繰り広げたとは思えないほど細い腕を露わにした。
何の変哲もないと判断しかけてすぐに違うと思い直す。
「それ、なんだ………?」
贅肉がついていない引き締まった腕は、芸術品のように美しい。その表面に普通の少女の肌にはありえないものが存在していた。
(金属……?)
皮膚に、うっすらとではあるが紋様のようなものが浮かび上がる。最初は血管かとも思ったが、違った。
どちらかといえば電子回路のような無機質な直線で形成された紋様。まるで皮膚に直接それが刻み込まれているようにも見えた。
昴が注目していることを一切気にした様子もなく、冴香は真っ直ぐ伸ばした右腕に左手で触れ、電子回路状の紋様をなぞるようにスライドさせた。
「――抜刀」
声と共に腕の回路が光を放ち、それが冴香の手の中に収束すると、薄水色の日本刀のような剣が顕現した。
「これ、さっき見たヤツだ……」
ビルの上から飛び降りてきた際、日本刀を手にしていたように見えたが、この武器だったのだ。
最初に目を引くのはその色合いと材質。
最初は薄い水色だと思っていたが、驚いたことに色のついたガラスのように半透明なのだ。
刃も、鍔も、柄も、日本刀と表現する構造になっているのだが、全てが半透明の何かで作られている。
何もない場所から取り出したり、一撃で化け物を斬り捨てたりできたところを見ると、さすがにガラスではないだろうが、材質は不明だ。
次に目を引くのはその長さ。
時代劇などで見る日本刀よりも、握っているのが小柄な冴香だということを差し引いてもかなり長いように見える。
刀身は一メートル以上はあるだろう。
「これ、出したり消したりできるのか?」
昴が尋ねると、
「できるわ。ただ、私達が〈
「〈精霊器〉?」
昴が幽月を見ると、彼女は静かに頷いた。
「実のところレヴェナントに普通の武器は通じない」
「〈精霊器〉は大気中に充満するマナを取り込んで攻撃を行う」
幽月の言葉を引き継ぐように、冴香が補足する。
「レヴェナントは物理的な存在であるように見えて、体に憑依したマナを核とする形而上の存在。これを直接破壊するためには同じくマナの力を使って行使される創世術が必要となる。〈精霊器〉とはマナを運用する仕組みを簡素化したものと考えればいい」
つまり冴香は自分の右腕に浮かび上がったあの回路のような部位になぞることで、魔法の儀式を行ったのと同じ扱いになって、この日本刀のような武器を生じさせる。
じろじろ見ていたのが悪かったのか、冴香はさっさと日本刀を消してしまった。
「君をここに招待したのは、君にも〈精霊器〉を一つ手渡しておこうと思ったのだよ。この樹――ユグドラシルの根が〈精霊器〉の核を生み出してくれる」
ユグドラシル――確か北欧神話に出てくる世界を支える巨大樹の名前だっただろうか。
「むろん、君が戦う必要はない。〈精霊器〉は所有しているだけである程度の防御機能や身体強化を行ってくれる力がある。つまりは万が一にもレヴェナントに遭遇したとき、君の身の安全を図るための措置だと思っていてもらいたい」
「わ、わかりました……」
「よかった。ではさっそくはじめるとしよう」
幽月が指示すると、冴香が頷く。
「朽木昴。こちらに来てもらえますか」
冴香に促され、昴はユグドラシルの樹に歩み寄った。昴が近づくごとに、樹は光を強めていくような気がする。
「そこのパネルに両手を当てて下さい」
銀行のATMのように見えた機械だ。タッチパネルは確かに両手の掌を乗せるぐらいの広さがある。
「ここに、触れればいいんだね?」
「そのまましばらく気持ちを集中していて下さい」
「わかった」
見た目からすると、痛みを伴う可能性はなさそうだが、何が起こるのか多少の不安を覚えながらも冴香の言う通りに大人しく従う。
するとそれまで樹の表面を覆っていた柔らかな光が、突然爆発的に広がった。
「くっ!」
「大丈夫だ。その光が納まれば、排出口から球体の核が――」
そこで、それまで一度たりとも余裕に溢れる態度を崩さなかった幽月が、不意に言葉を詰まらせた。
最初、むしろ自分の耳が聞こえなくなったのではないかと思ったほどだった。
――が、光の眩しさで反射的に閉じてしまっていた目を恐る恐る開けてみると、幽月が驚いたように目を見開き、ユグドラシルの樹を凝視していた。
昴の目の前で機械の排出口らしき部分が開き、中からトレイがせり出してくる。
トレイは中央に拳大ほどの、ちょうど球体が納まりそうな窪みが設けられているが、特に何かが乗っている様子はなかった。
空のままトレイだけが出てきた、そんな雰囲気だ。
「これ、失敗なんじゃ……」
あれだけ派手に光っておいて拍子抜けもいいところだと思っていた昴の目の前で、パサリと妙な音がした。
どうやら目の前にある根の、上の方から何かが落ちてきたらしい。
見ると、床に一冊の手帳が落ちていた。
「手帳……?」
革張りの、サラリーマンが使っているようなスケジュール手帳に見えた。こんなものがどこから落ちてきたのだろうと首を傾げる。
だというのに、幽月や冴香はもちろん、あれだけ飄々としていた清十郎ですら表情を凍りつかせて凝視していた。
「ど、どうか、したんですか……?」
さすがに心配になって昴が尋ねると、若いために柔軟だったのか、一番早く立ち直ったアンジェリカが口を開く。
「お館様! それは、ただの〈精霊器〉ではござりませぬ!」
「ただの……?」
そもそも、〈精霊器〉自体が異常な存在なのだから、「ただの」と言われてもピンとこない。
「普通、〈精霊器〉は幽月殿が仰った通り、全て球形の金属球――もっと言うならば、金属のような物質で出来た細い根が絡まり合い、球体になったものが出てくるのでござる! ……あ、にんにん!」
慌てて語尾を追加する。
その語尾をつけるかつけないか、何か基準でもあるんだろうか。
不思議に思う昴に構わずアンジェリカは先を続けた。
「とにかく、ユグドラシルの樹から普通の核以外のものが生み出されたならば、答えは一つしかないのでござる!」
「その答えとは?」
「〈
声を震わせながら、その名前を口にしたのは冴香だった。
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