第13話 地に潜むもの
渡したいものがある、として話を中断した幽月が向かった先は、意外にも部屋の外だった。
それを部屋着だと思っていたわけではないが、さすがに巫女服姿のまま外出すると思っていなかった昴は、他の住人と出くわさないか多少心配する。
だが当の幽月はといえば、まるで周囲を気にする様子もない。
平然とエレベーターホールまで進むと、下行きの乗場ボタンを押した。
彼女がどこに行くのかは昴以外の全員が理解しているようで、冴香に清十郎や目が不自由な水姫、アンジェリカまでもが同行している。
「どこに行くんですか?」
このままマンションから外出するのかと思った昴だが、
「見ていればわかるさ」
幽月はやって来たエレベーターに乗ると、懐から自分のセキュリティカードを取り出した。
セキュリティの一環で、ICチップが内蔵されたカードをかざさないと、エレベーターが動かない仕組みになっているのだ。
だが幽月がカードをかざすと、階数ボタンが並んでいるパネルの下方がスライドし、同じ形だが階数が書かれていないボタンが一つだけ現れた。
幽月が迷うことなくそれを押すと同時に、エレベーターは稼働し、勢いよく下降をはじめる。
出入り口上部に表示される階数もぐんぐんと下がっていき、一桁になったのだがそれでも速度が減じる様子はなかった。
「ちょ――」
エレベーターに詳しくはないが、それでも今朝と先程。外出するために一階に降りた際は、このぐらいのタイミングでブレーキがかかったはずだ。
このまま減速せずに地面に激突するのでは――とっさに脳裏をよぎった最悪の想像だが、その杞憂を嘲笑うかのようにエレベーターはどこまでも降り続けた。
階数の表示も、昴が地面に激突するのではと身構えたタイミングで消えてしまう。
その後、階数にして十階以上は降りただろうか。ようやく速度が落ちはじめ、ふぅ、と知らぬ間に止めていた息を吐いた。。
やがて緩やかにエレベーターが停止し、何事もなかったかのように左右に扉が開いた。
「お待たせした。到着だ」
幽月がそう言うと最初に降りる。冴香は率先して操作パネルに歩み寄り、降りる人間のために扉の開放ボタンを押した。
次に清十郎が、その次にアンジェリカが水姫の手を引きながら降りていく。
「どうぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
冴香に促され、礼を言ってから昴も降りる。無断外出の件でかなり憤慨していたせいなのか、声が冷たいような気がする。
それでも昴のために扉の開放ボタンを押して待ってくれているのだから、あるいはこれが彼女の平常運転なのだろうか。
少しばかり苦手意識を覚えながら進み出た。
周囲は、上のエレベーターホールなどよりずいぶん薄暗い。
最初、夜遅いために間接照明になっているのかと思ったのだが、根本的に思い違いをしていることにはすぐに気づいた。
「……ここ、マンションの中、だよな?」
昴が方々に視線を走らせながら呆然と呟いた。
上の階では磨き込まれた石材をふんだんに使い、床は共有部――つまりは部屋の外だというのに毛足の長い絨毯が敷き詰められていた。
まるでドラマか映画にでも出てきそうな内装だったのだが、エレベーターに連れてこられたこの場所はまるで違っていた。
たとえばこれが、コンクリート剥き出しの粗末な内装だというならまだ納得できる。
エレベーターの動きを考えればここが地下深くにあるのは想像に難くない。
マンションの地下にある、たとえばボイラールームなのか配電室なのか、そういうバックヤード的なスペースだったなら余計な装飾が施されていないのも自然だろう。
だが昴が降りたフロアの床は、コンクリートはおろか、人工物ですらなかった。
「こ、これ、木の根!?」
体重をかけた瞬間、足の下でミシリと音が聞こえ、靴の底から樹木の感触が伝わってきた。
木製建築、ではなく、山歩きをして剥き出しの樹木を踏んだような、でこぼこした無加工の木の感触である。
薄暗くてよく見えないが、足下は木の根のようなものでびっしりと覆われていて、床が見えない。
まるで樹木のトンネルだ。
「テーマパークでも作ってるのか……?」
地下深くにそんなものを作るのは、モノ好きの範疇をはるかに超えているだろう。
「早く進んで」
思わずエレベーターの中に跳び退ってしまった昴の背中から、冴香の冷静な声が投げかけられた。
「あ、ああ、ごめん」
「人間程度なら、飛び跳ねたところでビクともしないから安心して」
「う、うん」
そう言われて改めて一歩を踏み出す。
シュールなことに、振り返るとエレベーターの扉や呼び寄せるためのボタンなどは上と同じデザインになっており、樹木のウロの中に、無理矢理エレベーターをねじ込んだような奇妙な景色を作っていた。
「ここは、いったい何なんです……?」
昴が降りたことを確認した幽月はさっさと歩き出していたが、昴は彼女の背を追いかけながら問いかけた。
足下は、一応通路らしき空間が確保されている。
ただ、やはりあちらこちらから木の根が張り出していたり、床や壁がうねっていたりしているのでこのまま歩いて行っていいか不安になる。
(本当にマンションの中なのか、ここ……?)
ただ冴香が言っていた通り踏みしめた感触は安定しており、崩れ落ちるようなことはなさそうだ。
間接照明に見えていたのも人工物ではない。
どういう原理かはわからないが、木の壁の所々に発光するコケのようなものが生えており、それがぼんやりと周囲を照らし出しているのだ。
「ほら、目的地はここだよ」
幽月が昴を招く。問いかけを無視していたわけではなく、目指す場所がすぐ近くだったから何も堪えなかったようだ。
要は、実際に見た方が早い、ということだろう。
確かにその通りだった。
幽月に続いて進むと、唐突に木の通路は途切れ、広間のような場所に出る。広さにして、学校の教室ぐらいはあるだろう。
天井は三フロア分をぶち抜いたぐらいの高さがあり、ここが屋内で、しかも地下深くだとは信じられなくなりそうな開放感があった。
その天井を支えているのは、広間の中心にある一本の柱――といっても、製材された材木ではなく一本の、自然のままの、巨大な樹の幹が見上げるほど高い天井まで一直線に伸びている。
おそらくは昴が五人ぐらい集まって両手を一杯に広げてどうにか一周できるほどの太さがあったので、折れるような不安感はない。
明かりは、やはり電灯ではなく、巨大樹の幹が発光して周囲を照らし出していた。
薄緑の、優しい光だ。
通路に点在していた光源の親玉と言ったところだろうか。
樹木の穏やかな匂いと、優しい緑色の光に包まれる幻想的な情景だが、昴は周囲の空気が緊張感を帯びているのを感じた。
誰かではなく、この空間全体が、静電気を帯びているかのような。
あるいは、嵐の前の静けさ。目の前は静かなのに体の奥だけが強張るような、そういう本能から来る緊張感だ。
(なんだ、ここ……。不快感はないし、怖くもないけれど、肌がピリピリするっていうか……)
神秘的と表現していい広間だが、例外的にいくつかの無骨な機械が運び込まれている。
一番大きなものは、銀行のATMぐらいのサイズだろう。
中から何かが出てきそうな排出口があるので、何かを製造する機械のようにも見える。用途はわからなかった。
他には、この機械と柱を繋ぐケーブルや何かの計測器らしい小さな機械類がいくつか柱の表面に貼りつけられている。
「ここは、なんなんですか……? どうしてマンションの地下にこんな場所が……? あなた方が、勝手に作ったんですか?」
作るとして、どうやったらこんなものが作れるのかは想像もできなかった。
「ここは、我々にとって最重要の拠点だ。我々が作ったのかどうかという点については否だ。誰が作ったのかはわからないが、世界の各地にこのような場所が点在しているらしい。我々が作ったのは、この上のマンションの方だよ」
「マンションを、作ったんですか!? このタワーマンションを!? じゃあ、あなたがオーナーなんですか」
元々ただ者ではない雰囲気を漂わせていたが、違う方向にただ者ではないようだ。
「でなければ、こんな生活能力がなさそうな男が、優雅なマンション暮らしなどできるはずもなかろう? 私の個人資産というわけでもないのだがね」
幽月が冗談めかして言いながら、形のいい顎をしゃくって清十郎を差した。
「あははは、そりゃ酷いっすよ。俺だって、貯金の五万や六万、ありますってば」
清十郎が笑いながら言い切るが、普通の高校生の貯金でももう少し額が大きいのではないだろうか。
アンジェリカはわかっていないのか「おぉ、お大尽ですな!」と目を輝かせるが、冴香は深々と溜息をついて首を振る。
「なるほど。ではお大尽の不破君には、来月から正式に家賃を請求するとしようか」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待った! そんなことされたらユイちゃんに会いに行けなくなっちまうじゃないですか!」
「少しは貯蓄に勤しみたまえよ」
「一度しかない人生、俺は太く短く楽しみたいんですよ」
さすがの幽月も、小さく息を漏らすと肩をすくめる。
「あなた方は、いったい何者なんですか……?」
秘密結社かと半分は冗談で想像していたが、金持ちの道楽とも思えない。ただ、国家とかそうした公的の組織と関係があるとも思えなかった。
「少年、なかなかいい質問だ。喜べ! お前さんぐらいの男子なら、心沸き立つに違いないぞ!」
「――不破君、来月から生活費がゼロになるのと今黙るのと、どちらか選ばせてやろう」
「は~い、不破清十郎。黙りま~す」
飄々とした態度を崩さず、清十郎は引き下がった。幽月も正体不明だが、清十郎も充分正体不明である。
「こちらの穀潰しが失礼をした」
(よ、容赦ないな……)
幽月の言葉に昴はこっそりと同情するが、清十郎は面白がっているようだった。
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