第12話 鍵


「――君が抱いた疑問の大半は、〈ワールド・エンド〉についてもう少し知れば理解できるようになるだろう」


 物語を紡ぐように、朗々とした声で幽月は話しはじめた。


 昴が出くわした化け物や、そもそもどうして昴が特別扱いされるのか、やはり全ては〈ワールド・エンド〉につながってくるらしい。


「無数に増殖する並列世界が飽和状態を迎えた際、自然淘汰されるように二つの世界がぶつかって消滅する――どの世界とどの世界がぶつかるかも、決して出鱈目や偶然で決まっているのではないと言われている」


「それは、距離が近いからとか……あ、いや、でも物理的に隣り合っているわけじゃないって話だったっけ」


 あの瞬間、見えはしたが、依然として二つの世界は次元の壁に区切られていたと幽月は言っていた。


「ふふ、よく覚えているな」


「そりゃ、これだけとんでもない状況に巻き込まれたら、真剣にもなりますよ」


「なるほど。では、衝突する世界がどうやって選ばれるのか。我々の仮説では、二つの世界が非常に似通っているからだと言われている」


「似てるって、並行世界っていうのは、そういうものじゃないんですか?」


 昴の素朴な疑問に、幽月は面白がるように「それはどうかな」と言った。


「世界が、どのタイミングで分岐するかが重要だと言われている。たとえば一ヶ月前に分岐したばかりの世界はほぼ同じだろうが、タイミングが五〇〇年前だったら、さすがに社会情勢の一つや二つ違っていても不思議ではないと思わないかな?」


「五〇〇年……?」


 歴史の教科書で習うような時代の話だ。


 だが、歴史の授業に出てきた偉人――それも暗殺された人間がもし生きていたら、その後の世界は大きく変わるかもしれない。


「確かに、そういうこともあるかも……」


「まぁ、このあたりは、さすがに私も別の世界を見た経験はないので、理論上の話なのだがね」


 言われて、昴は水姫を見る。彼女は次元の壁を越えて昴の世界を見、さらには干渉したのではなかっただろうか。


 昴の視線を察したのか、幽月は小さく頷く。


「娘とて、自由自在に他の世界を見て回れたわけではない。興味があるなら、あとで詳しく聞くといい」


「いや、でも、そんな立ち入ったこと――」


 自分が視力を失った原因について語らせるのは酷ではないかと思った昴だったが、


「いえ、朽木様がお望みでしたらどのようなお話しでも」


 と水姫は笑顔で請け負った。


 視力を失っても平気というより、昴の役に立てることの方が嬉しいといった様子だ。


 彼女が昴のために尽くそうとしてくれている気持ちは感じるが、その理由もやはり謎である。


「ふふふ、仲良くしてくれるのはいいが、今は〈ワールド・エンド〉に戻るとしよう」


「わ、わかってますよ」


 水姫に気を取られていたのを感づかれて若干慌てて返事をした。


「ひゅぅ、純だねぇ」


 その横で、手持ちぶさたになっていた清十郎が冷やかし、


「不謹慎ですよ」


 軽口を叩いた年上の青年を冴香は再び睨む。


「さて、本題に戻るとしよう。衝突する世界がどうして選ばれるのか。……先程の私の話とある意味矛盾するようだが、ほぼ同じ世界であり、同時に明確な差違が存在する必要があると言われている」


 本当に矛盾している。


「えっと、同じ、なのに違う……?」


 昴はしばらく考え込むが、答えは出なかった。


「ふふふ、もう少しかみ砕いて考えるべきだったかな。我々は、全ての存在――それは、生物だけではなく、物質や、文化や歴史といった現象も含めた、この世界が刻んできたには、重さがあると考えている」


 人の言葉を重いと言ったり、歴史の重みと言ったりする。


 何かが存在することを、あるいは意味や意義の大きさを、物質に限らず重さで言い表すのは、感覚的に理解できる気がした。


「同じなのは、一つ一つの事象ではなく、その『重さ』の方なのだよ。重さが釣り合うからこそ、二つの世界は引き合うと言われている」


「じゃあ、重ささえ同じなら、さっき言った五〇〇年前に分岐して全然違う形になった世界でもいいってことですか?」


「理論上ではそうだな。しかし、まるで形の違う世界同士が同じ重みになるなど、まずない。自然、国や文化や人や歴史、全てがほぼ同じ世界同士が選ばれる」


「じゃあ、違うというのは?」


「似ているだけでいいなら、一番若い分岐を起こした世界同士がぶつかるはずだが、そうした世界はまだ隔たりが曖昧すぎて、逆にうまくぶつかれない。互いが互いを異なる世界と認識できず反応しないそうだ」


 さすがに、そこまでいくと突拍子もなさ過ぎて「そういうものか」と納得するしかなかった。


「明確な違いがある。正確には、互いが別の世界だと認識できる程度の適度な遠さが必要となる。それでいて、世界の重さもどこかで帳尻が合っているということになる」


 違うけれど同じで、同じだけれど違う。トンチじみた話だ。


「つまり、君の世界にはあるが、こちらの世界には存在しないもの。こちらの世界には存在するが、君の世界に存在するものの重さが釣り合っていると言うことだ――」


 そして幽月は昴を真っ直ぐに見る。


「さあ、君の世界にはあって、我々の世界にはないもの、なんだろうね?」


 幽月は、まるで試すかのような問いを投げかけてきた。


「…………僕?」


 しばらく考えた上で、半信半疑でそう聞くと、幽月は気をよくしたように微笑を浮かべた。


「ああ、そうなのだよ。……君こそが、〈ワールド・エンド〉における、最大の鍵なのだ」


「僕が……、鍵? でも、こっちの世界では僕の両親や妹だって生きていて……」


 それは大きな差ではないだろうか。


「いいや、たとえ君の世界でご家族が亡くなっていたとしても、かつて存在していたことは消せない。イメージ的には、世界が始まって以来、全ての出来事を記録している媒体があって、その記録の量が多いか少ないかを審査されているようなものなのだ」


 幽月が何を言わんとしているのか、ボンヤリとだがわかってきた。


「〈ワールド・エンド〉は、重さがほぼ等しい世界同士が引かれ合い衝突する。ならばそんな中で、こちらの世界に生じなかった『君』という存在をこちらに引き入れたとしたら?」


「こちらの世界の方が、重くなる……?」


 やはり正解だったようで、幽月は小さく頷いた。


「物理的に自動車と自動車をぶつけるのとはわけが違って、〈ワールド・エンド〉では、一方の重さが勝るとそちらだけが消滅を免れる。おそらくは存在するという概念で上回ったおかげで、全体の存在が確定されるからだろう」


「わかるような、わからないような……」


 正直に言うと、幽月は鷹揚に笑う。


「我々は君のような存在を〈特異点〉――特にそれが人間だった場合は〈稀人〉と呼んでいる。だが細かい話はいい。君がこちらの世界に来てくれたおかげで、我々の世界は救われた。それだけわかっていればいいのだよ」


 自分が、この途方もない事件の鍵になっている――それはここまで聞いてきた中でも極めつけに突飛な話だった。


 さすがに実感など湧かない。わかないが、新たな疑問は生まれる。


「それだと、僕のせいで、僕の世界が消滅したってコトになりませんか?」


 だとするならと、昴の肩に、何か思い物がのし掛かってくるような気がした。


「ち、違います! 〈ワールド・エンド〉は本来双方が消滅する悲劇なのです! 勝手にお連れした形になりましたが、何もしなければ両方の世界が滅びる運命だったのです!」


 そこだけは、それまで黙っていた水姫が必死の顔で訴えた。


 控え目に見える水姫が、主な話者であった幽月を遮ってしゃべり出すとは思っていなかった場の全員が黙り込む。


 沈黙に、自分が場違いに口を開いたと思ったのか、水姫は羞恥心で顔を赤くして黙り込んだ。


「娘が失礼した。だが、その主張は正しい。我々は、君の世界を好きこのんで滅ぼしたわけではない。どちらもが消えてなくなるところ、どうにか足掻いて生き延びた――そう理解してもらえるとありがたい」


「言いたいことはわかりました……。そんなに単純に割り切れるわけじゃないですけれど」


 それでいいと言いながら、幽月は話を続けた。


「今はそれでいいさ。……特異点について告げたところで、一つ君に渡しておきたい物がある。一緒に来てくれたまえ」


 そう言って幽月は昴を先導するように立ち上がった。

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