第8話 昴、自分のクラスに編入する
最寄り駅から電車で二駅。
昴達が住んでいる同じ霧見沢市内に、昴が通っていた市立霧見沢高等学校はあった。
といっても、特別成績が優秀というわけでも、スポーツに力を入れているわけでもない、ごく普通の高校だ。
ただどんな学校であっても、そこに入るために絶対必要なものがある。
学費とか、成績とか、必要なものは色々あるだろうが、何を差し置いても不可欠なのが「戸籍」であろう。
こちらの世界に「朽木昴」が存在しないのであれば戸籍も存在しないはずで、そのあたりをどうクリアするのか、クリアできているのか、実はかなり不安を覚えていた。
駅に向かう途中ではあれこれ心配していたが、結果から言えば、昴の転校は問題なく受理された。
どうやったのかは知らないが、書類関係にも問題はなく、いくつか手続きを終えた後で担任の教諭と引き合わされて教室へと向かう。
幽月達がどう手を回したのか、ご丁寧にも元のクラスに編入されるらしい。
(……知ってるクラスに知らん顔して入っていくのか。……面倒だな)
油断したら、今日転校生してきたばかりの人間には決してできない振る舞いをしてしまいそうだ。
たとえば、名前を知らないはずの人間の名前を呼んだり、この学校独自のイベントに妙に詳しかったり。
ヘタをすると転校早々変人認定されてしまうかもしれない。
さすがにそれは勘弁して欲しかった。
ホームルームは、転校生の存在のおかげで浮き足だった空気になっていたが、当たり障りのない挨拶だけをして、担任が指定した空席に向かう。
元々、昴と涼音は同じクラスに通っていた。
やはりこちらの世界の梓川涼音もこのクラスにおり、「あっ」というような表情になっていた。
昴はさりげなく視線を向け、他の人に不自然に思われない程度に目礼した。
社交的な涼音はさすがに声にこそ出さないものの面白がっているらしく「わぁ」とか「おぉ」とか言いたそうな表情を見せていた。
むしろ昴の方が、他の人間に気づかれて不審に思われたりしないかと心配になったほどだ。
教室に入って気づいたことはもう一つ、こちらは相違点だが、昴が暮らしていた世界の学校では見かけなかったはずの、黒瀬冴香が同じクラスに在籍しているようなのだ。
元の世界で彼女はこの教室にはいなかった。
昨夜、学校内では同じ生徒である冴香が昴のフォローをしてくれると聞いていた。
そのときはどういう意味かわからなかったが、どうやら昴のためにこのクラスに潜り込ませているらしい。
どれほど前から準備をしていたのか、それともこちらの世界では最初から冴香はこのクラスに通っていたのだろうかと多少の戸惑いを覚えたが、それ以外は思った以上に順調に進んでいった。
昴は転校してきたばかりのせいで不慣れな様子を装い、余計な発言はせずに大人しく授業を聞いていた。
そして、昼休み。
好奇心旺盛だったり、社交的だったりするクラスメイトがやって来て、昴と初対面を果たしていく。
覚悟はしていたが、朝の涼音と同じく、誰も彼もが完全に他人の態度だった。
だが皮肉なことに、家庭の事情で悪い目立ち方をしていた以前よりも、穏やかに接することができた。
ここには馬鹿な茶々を入れる者もいなければ、腫れ物に触るような扱いで距離を取る者もいない。
もちろん慣れていないのでやり取りはまだたどたどしくなってしまうが、そこには居心地の悪さはなかった。
ひと通り、やって来たクラスメイトとの挨拶を終えた昴は、食堂へと向かう。
一人になったところでようやく肩から力を抜いた。
ちなみに、アンジェリカは姿を消しても存在その物が消えるわけではないそうなので、人にぶつかったりすると危険になる。
そのため校舎の屋上で待っているように言い含めてあった。
本人は「確かに! 学内に敵が潜んでいる可能性よりも、学外から脅威が近づいてくる可能性の方が高いのは必定! お館様の学舎は、このアンジェリカがお守りいたしまする!」と昴から直々に指示されたのが嬉しかったのか、必要以上に発憤しているようだった。
(そもそも護衛って、どこにそんな必要があるんだって感じだよな……)
学校に馴染めるかどうかで困れば、冴香に助けてもらった方がよほどよさそうだ。
ただ、当の冴香本人は完全に昴を無視しているようで、何度か休み時間があったにもかかわらず、視線すら合わせることがなかった。
(アンジェリカには、購買部でサンドイッチかなにか買って差し入れてやるか……)
自分のことで手一杯で、アンジェリカがお昼をどうするつもりなのか、まるで考えが及んでいなかった。
あるいは、自分では冷静なつもりだったのだが、思っていた以上に余裕がなかったのかもしれない。
「まぁ、こんな状況で、余裕があったらよっぽどの大物だけどな……」
最初は、学食で定食でも食べようかと思っていた。
だが、どうせアンジェリカに差し入れするなら、ついでに昴の分も買っていって一緒に食べるかと購買部に向かいかけたところで、
「あ、朽木君!」
知っている声に呼びかけられた。
振り返ると、そこには思った通り、昴を知らない方の涼音が食堂の奥の方から小走りにやってくる。
「呼び止めてごめんね。手は大丈夫?」
「朝も言った通り、こんなの擦り傷にもならないよ」
一応水道の水で傷口を洗ったが、そのまま放っていた手をプラプラして平気だと見せる。
「でも、やっぱりもう一回謝っておこうかなって思ったの。まさか同じクラスになるなんて思ってなかったしね」
「まぁ、普通驚くよね」
「ふふ、どんな偶然だよって感じ」
「とにかく、僕は大丈夫だから」
「ええ。他にも、何か困ったことがあったら遠慮なく言ってね」
どうやら怪我を心配するというのは口実で、転校して困ってないかを気にしてくれていたらしい。
相変わらず世話好きである。
こんなところはまったく同じだった。
ただ、そのまったく同じはずの涼音の記憶や意識の中に、昴と一緒に育ってきた事実は存在しない。
理屈では分かっているが、やはり簡単には実感が湧かない。
こうしている今も、気を抜けば「涼音」と呼び捨てにしてしまいそうだ。
「そういえば、お昼はどうするの? もう食べたの?」
「え? あ、いや、サンドイッチを買って、外で食べようかと思ってる。天気もいいし」
昴が言うと、涼音は食堂の窓から外の様子を見てにっこりと笑った。
「そうだね。屋上なんか見晴らしもよくて気持ちいいよ」
「そうなんだ。じゃあ行ってみるよ。ありがとう」
「どういたしまして!」
そう言って涼音は立ち去る。
自分の席に戻ろうと離れていく最中にも、人気者の彼女は男女問わず盛んに声をかけられ、その全員ににこやかに応じていた。
そんな彼女の姿が、眩しく映る。
昴は涼音の背中から視線を引きはがすと、彼女とは逆方向に歩き出し、適当なサンドイッチと飲み物を買って食堂を後にした。
◆◆◆
その後、屋上のアンジェリカと合流したのだが、昼ご飯はどうするかなど、細かいことは決めていなかったようだ。
そもそも、屋上でもさらに人気のない給水塔の陰ではあったが、姿を消すのも忘れて眠りこけていたのでそれ以前の問題の気もする。
昴の身の回りの世話をすると息巻いていたが、逆に気にかけてやらなければならないようだ。
やれやれと苦笑するが、年齢が年齢なので、手のかかる妹が増えたような気分だった。
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