第5話 忍者幼女現る


 疑問を抱かせるだけ抱かせておきながら、秘密にするという答えはさすがに納得できずに食い下がる。


「疑問を持ってもらいたかったって言ったじゃないですか!」


「全ての質問に答えるとも言っていないはずだがね」


 拒絶する、というよりもからかうようなニュアンスで幽月ははぐらかす。


 今は秘密にすると言っていた以上、いずれは教えるつもりがあるということだろうか。


 単に仕切り直しがしたいだけかもしれないという可能性に思い至ると、昴はそれ以上強く食い下がることがどうしてもできなかった。


 ここまでに聞かされた話だけでも、既に精神的な許容量をオーバーしていて踏み込めなかったのだ。


「……僕がいた元の世界は、跡形もなく消えてなくなった? しかもこちらの世界には僕は存在していないって?」


 仕方なく引き下がって、ここまでに聞かされた話を繰り返す。


 他人に聞かせるというより声にして自分で確認したかっただけだが、


「残念ながら、な」


 幽月は、その半ば独り言に対して、酷く静かな声で断言した。


 昴はソファの背もたれに体を預けて天井を仰ぐ。


「いきなり信じろと言っても無理はない」


「じゃあ、アレですか。あなた方は魔法使いのような力を持った秘密結社で、何の目的かは知りませんが僕をわざわざ探し出して引っ張り込んだ、と?」


 さっき、昴が目覚めた部屋に置かれていた水晶の柱は、確かに何かの儀式で使う祭具のようにも見えた。


「細かい部分は違うが、概ねその通りだ。ああ、証拠を見せよう」


 まだ何かあるのかと昴は反射的に身を乗り出す。


「出てきなさい、アンジェリカ」


 幽月の言葉に釣られ、昴は部屋の出入り口に目を走らせた。


 だがリビングにいくつかある出入り口はどれもが沈黙していて、誰も入ってくる気配はない。


 どこに誰がいるのだと探し求めていた昴の目の前に、その人物はいきなり現れた。


「うわっ!?」


 文字通り、現れた。


 どこかから移動してきたわけではなく、昴の目の前に、もっと言うなら、あろうことか昴の真ん前――テーブルの上に小さな女の子がちょこんと座っていたのだ。


 とても冷静とは言えない精神状態だったが、直前まで何の気配も感じなかったのは確かだ。


 どこかに隠れていたのだとしても、テーブルの上に登るような大きな動きは絶対に見逃すはずがない。


 女の子の服装もまた特徴的で、忍者の装束のように見える衣装なのだが、その色が鮮やかな赤なのだ。


 年齢は九歳ぐらいだろうか。


 頭巾から一房だけはみ出した髪は金色で、瞳の色は翠。


 アンジェリカという名前からしても欧米系の子どもだろう。外国人が偏った知識で真似をした忍者の見本のようだった。


「は、はじめまして、お館様! 拙者は服部アンジェリカ、これよりお館様の身辺を警護する、忍びにござりまする!」


 テーブルの上からサッと降りると、流暢な日本語で名乗りを上げた少女は膝をついて頭を垂れた。


「忍び……? んな、時代錯誤な……」


 そもそも、外国人の、幼女の、忍びなど聞いたことがない。昴が色々言いあぐねていると、幽月は満足そうに頷いている。


「ゆくゆくはきちんと説明するつもりだが、今、アンジェリカが見せた技法が、君が言う『魔法使い』のような技術を持った人間がこの世界に存在するという証拠だ」


「証拠ってそういう意味ですか……」


「何かね? もう少し丁寧に説明して欲しかったかな?」


 またからかうようにあしらわれる。


 ただ、不思議と嫌悪感は覚えなかった。おそらく幽月の、どこか浮き世離れした雰囲気のせいなのかもしれない。


「我々の希望としては、君にしばらくこの世界で過ごしてもらいたいと思っている」


「過ごすって……?」


「このマンションに部屋を用意させてもらっている。生活費や生活支援諸々は全て面倒を見させてもらう」


 幽月が当然のようにそう告げた。


 タワーマンションの部屋を一つ用意するだけで、月にいくらかかるか想像もつかない。


 その上で食費をはじめとする生活費も全て出すというのだから、信じられない思いだった。


「ここで過ごす内に、我々が何を考えているのか、徐々に見えてくるだろう」


 やはり、昴が消化不良を覚えていることは筒抜けらしい。そもそも幽月の方が一枚も二枚も上手なのだろう。


 だが、幽月の話が本当なら、昴の世界に住んでいた人々は、全員が消えてしまったことになるのである。


(だったら、涼音は? 涼音は一体どうなったんだ――!?)


 正直に言って、やはり半信半疑のままだった。


 だが涼音のことは、万が一にでも危険にさらされるような事態は看過できない。


「――ですが、朽木様にとってはむしろ救いとなるのでは?」


 涼音の安否をどう確認しようか思案していると、それまで大人しく座っていた水姫が突然口を開く。


「救いって……」


 昴の思考と噛み合っていなかったため一瞬何のことなのかわからなかったが、幽月のしばらくここで暮らすという発言にかかっているらしい。


 ただ、視線が虚空を泳いでいるせいか、彼女の表情は読みづらく、発言の真意も今一つわからなかった。


 そんな昴には構わず――というよりも、こちらがどんな顔をしているのか見えないためなのだろう――水姫は言葉を続けた。


「朽木様は、元の世界であれほど辛そうにされていました」


 水姫の、想像もしていなかった指摘に、昴はギクリとなった。


「原因も、知っています。ご両親や妹の事故によって多額の保険金と賠償金が入り、あなたは酷く悲しんでいたというのに周囲の大人はその分け前に与ろうと近寄ってきた」


 そう。まだ中学生だった昴は、普通に考えれば親戚の人間が後見人になって面倒を見るべき年齢である。


 それが、一人で生きていくことになったのは多額の財産が金の亡者を引き寄せたからだった。


「周囲の人間も、あるいはもっとも理解して欲しかった同級生や教師までもが色眼鏡であなたを見るようになった。だからあなたは、ずっと心を閉ざし、一人で生きてこなければならなかったはずです」


 驚きと、触れられたくない部分に無遠慮に踏み込まれる拒否感とで言葉に詰まる。


「こちらであれば、あなたは誰にも余計なことを知られずに、新しい人生を踏み出せるのではないでしょうか?」


 昴は答えられない。


 水姫の指摘は、どうやって調べたのかはわからないが事実関係については正しい。だがそれと、今のこの状況をすんなり飲み込めるかどうかというのは別問題だ。


 自分でも、正確にはそのモヤモヤした気持ちを言葉に仕切れずに口をつぐんでいると、水姫はまだ気づかず、さらに言葉を重ねていった。


「母も申し上げた通り、朽木様の生活は全面的にわたくし共が援助いたします。こちらの世界にも、朽木様が暮らしていた時と同じ人達が生きています。そうした人達は誰も朽木様に対して余計な偏見を持っていません。安心して絆を深めて行くことができるのです」


 そこまで言ったところで、水姫は「ああ」と頷いた。


「もちろん、意中の女性がいらっしゃったのでしたら、同じ方はこちらの世界にもいらっしゃいます。わたくし共が全力で、お二人の仲が親しくなるようにお手伝いさせていただきます!」


 その言葉だけは、許せなかった。


 別に恋人と呼べるような女性はいなかった。特別な女性と問われれば、思い浮かべるのは涼音のことだ。


 つき合っていたわけではない。


 しかし幼馴染みとして、周囲から孤立する昴を常に気にかけ、決して愛想がよくなかった昴にも愛想を尽かさずに根気強く声をかけ続けてくれた。


 ここに来てから聞いた話が本当だとするなら、こちらの世界にも同じ「梓川涼音」がいる。


 だとしても、その「涼音」は昴と思い出を共有してきた幼馴染みの彼女とは違う。


 姿形が、ひょっとすると性格や、彼女が経験してきた記憶の大部分が同じだったとしても、昴が親愛の情を抱いている涼音は、あちらの世界にいた涼音一人だけである。


 万が一、幽月達の言葉が本当なら、涼音も無事ではないということになる。


 だがこちらの世界の「梓川涼音」がいるから、昴の幼馴染みの涼音がどうなってもいいと言うのだ。


 そんな馬鹿な話に、決して頷くことなどできなかった。


「さすがにそれは――」


 怒りを覚え立ち上がりかけた昴の目の前に、幽月が静かに手を差し出した。


 その所作があまりに優雅だったため、すっかり間を外し、昴は言葉を失う。


「娘が失礼をした。なにぶん世間知らずに育った上、視力を失ってしまったために注意力も不足しているようだ。あとで叱っておくため許して欲しい」


 水姫自身は、目の前で何が起こっているのかよくわかっていない様子だった。


「実は、娘は君をこちらの世界に引き入れる秘術を行い、その儀式のために光を失ったのだよ」


「は……?」


「もちろん、それはこちらが勝手にしたことだから君が責任を感じることはない」


「いや、責任というか、いったいどうして……?」


「君は二つの世界が接近する様を見ただろう。……だがあれは、物理的に接近したわけではなかったのだ。あの瞬間、たとえばミサイルか何かを打ち上げたとしても、こちらに届くことはなかった。二つの世界は依然として物理的な距離以外のもので区切られていた」


「次元の壁とか、そういう……?」


 以前読んだ小説の内容を思い出して、推論を立てる。


「まさしくそう言い表すのが相応しいなにかだろう。その壁を突き抜けてそちらの世界に干渉するのも、君が言う『魔法』だったわけだ。目は、別の世界を見通し、二つの世界を繋ぐ窓。娘はその特別な目を使って君という存在をこちらの世界に召喚した。そして代償として、光を失った」


 幽月が言う通り、昴が責任を感じる謂われはない。


 謂われはないが、腹立ち紛れに怒鳴りつける気持ちにはとてもなれなくなってしまっていた。


 涼音の尊厳を踏みにじられたような苛立ちはいまだに腹の底で燻ったまま、昴は何も言うことができなくなってしまう。


 そこに、再び幽月が滑り込むように話しかけてきた。


「君の苛立ちも不満も、少しだけ保留にしておいてもらいたい。こちらで少しの間だけ過ごし、この世界を見て欲しい。その結果であれば、君の怒りも不満も甘んじて受けよう。そしてもし何か希望があるのなら、全力を以て叶えると約束しよう」


 納得したわけではないが、少なくとも今、昴自身答えが出せない以上はしばらくの間保留にするという提案は正しいように思えた。


「生活するって、ブラブラしていたらいいってことですか?」


「そうだね。ブラブラしていたいならそれもいいが、まずは、君には学校に通ってもらおうかな」


「はぁ!?」


 想像もしていなかった、あまりに普通の提案に、昴は素っ頓狂な声を上げることとなった。

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