第4話 〈ワールド・エンド〉


 朽木昴の家族は、二年前のちょうど今頃の季節、交通事故によってこの世を去った。


 以来、昴は親族に頼ることもなく一人で生活してきた。


 それが、三人が生きている上に、昴自身が一人で暮らしていた同じ家に出入りしているなどあり得ない話だ。


 混乱に混乱が重なって、頭の中がグチャグチャになる。


 だからなのか、まだ名前も知らない少女に連れられ――、


 もっとも安心できるはずの自宅に背を向け、ろくに知らないはずのマンションに戻っていく――、


 そんな自分が酷く滑稽な存在に見えて仕方がなかった。


 部屋に戻ると、そこにいた幽月と清十郎は、最初から昴が戻ってくるのを確信していたように、平然と出迎え、昴は再びリビングのソファに腰を下ろす。


 ここに座っていたのはつい一時間ほど前のことだったはずだが、あれから何十時間も経ってしまったかのように体が重かった。


 腰を下ろすと同時、昴が戻ってくるタイミングを知っていたかのように、目の前に淹れ立てのコーヒーが出される。


 カップを手に取り、少しだけ口に含んだ。


 苦みと熱さが口の中に広がり、その刺激でようやく、意識が現実に戻ってきたような気がした。


 見れば、今度は幽月と清十郎に加え、昴を迎えに来た少女と、幽月の娘であるという少女も席に着いていた。


 年齢は昴とほぼ同じだろう。


 ひと目見て思い浮かべたのは「大和撫子」という言葉だった。


 清楚な美少女なのだが、全体的に派手さとは無縁で控え目な印象が強い。


 艶やかな黒髪を後ろで束ねた髪型など、古式ゆかしい雰囲気が漂っていた。


 母親である幽月ではなく、こういう少女の方が巫女装束が似合いそうだが、彼女はシンプルなデザインの白いワンピースを着ている。


 ただ、一つだけ違和感があるのは、幽月の娘は微妙に視線を彷徨わせていて、それは目が不自由な人特有の仕草に見えた。


「これは、娘の水姫みずき。君を迎えに行ったのが黒瀬冴香くろせ さえかという。よろしくしてやってくれ」


 明らかに異質な雰囲気を漂わせている幽月だが、その落ち着きぶりが今の昴には心地よく感じられた。


「……色々」


 よほど消耗していたのか、掠れたような声になってしまう。


 咳払いをしてもう一度言い直す。


「色々、教えてもらいたいことがあります」


 昴の要求に、幽月は鷹揚に頷く。


「もちろんだ。というよりも、その疑問を持ってもらいたかったのはむしろこちらの方でね。少し酷な騙し討ちをする形になったことは詫びておこう」


「………いえ」


 言葉で説明されても信じられなかっただろう。騙し討ちという印象は持っていなかったが、ただ混乱していた。


 アレはなんなのか。


 この二年、必死だった。


 突然家族が消えてしまった悲しみと、理不尽にそれをもたらした現実に耐え続けていた。


 昴がどれほど抗っても、何一つ変えられず、ただ懸命に顔を背け耐えることしかできずにいた。


 だというのに、死んだはずの家族がいきなり目の前に現れては、この二年間、歯を食いしばって生きてきた苦労はなんだったのか、わからなくなってしまいそうだった。


「それで結局、何が起こっているんですか?」


 自分でも何がわかっていないかがわからない状態だ。


 それでもこのわけのわからない状況に答えが欲しいと、溺れた人間が空気を欲するような気持ちで問いを発していた。


 しかし幽月は出来の悪い質問にも構うことなく口を開く。


「多元宇宙という理論を耳にしたことはあるかな?」


 巫女服姿の幽月から出てくるには意外な単語だ。


 おまけに、質問が返ってくるとは思っていなかったため、完全に面食らってしまった。


「たげん、うちゅう? SFとかで出てくる、パラレルワールドとか?」


 そんなことよりも自分の質問に答えて欲しいとは思いながらも、昴は知っている知識を総動員してどうにか答える。


 フィクションの知識だが、この世には、目に見えない壁に隔てられた無数の宇宙が存在し、そこには今いるこの世界とほぼ同じ世界がいくつも存在しているというものだ。


 その世界は、ほぼ同じ歴史をたどり、ほぼ同じ国家があり、ほぼ同じ街に、ほぼ同じの住人達が暮らしているという。


 考えがそこまで辿り着いたところで、昴はポカンと口を開けた。


「まさか、僕は今、パラレルワールドにいるってそういう話をしたいんですか……?」


 いくら何でも荒唐無稽すぎる。


 そんな風に笑い飛ばしたかったが、目の前の幽月や水姫や冴香、ヘラヘラ笑っていた清十郎までもが沈黙を守っていた。


 信じられない。


 戸惑いを隠さない昴に構わず、幽月は続ける。


「ここは、二年前の事故が起こらなかった世界――」


 厳かな声で宣言された言葉の内容は、しかしすぐには頭の中に入ってこなかった。


「信じられない気持ちはわかるが、他に君の両親や妹が生きている理由を説明できるかな? わざわざそっくりの偽物を用意した? 君の目から見て、あの三人は偽物に見えたかな?」


 問われて、昴は返答できなかった。


 パラレルワールドと言われて信じられるはずはないが、両親は記憶のままの顔立ちをしていた。


 一方で妹――朽木咲良くちき さくらは、明らかに残っている写真とは異なっていた。


 それはしかし別人という意味ではなく、咲良が死んだのは一四歳だったので、今は一六歳になっている。


 その二年分、ちゃんと成長しているのだ。


 だから写真とは異なっている。


 異なっているがちゃんと面影があって、成長したらそうなるのだと実感できる顔立ちだった。


 写真と完全に同じ顔をした人間は、ひょっとしたら整形手術などを施せば用意できるかもしれない。


 あるいは十年隔てられているなら、さすがに別人がなりすましていてもわからないかもしれない。


 だが二年だ。


 明確に変化し、しかしまるで別人になるわけでもない、曖昧な年数である。


 そこにフィットするような偽物を用意できるとは、とても思えなかった。


 ならば、本当にパラレルワールドだというのか? 昴は何も言えずに押し黙り、項垂れた。


「……君は、虹色の塵になって崩れ落ちていくあの光景を見たのだろう?」


「それは、見ました、けど……」


「あれのことを、我々は〈ワールド・エンド〉と呼んでいる」


「世界の終わり?」


 安易な直訳だったが、幽月は「まさしく」と満足げに頷いていた。


「私が最初に言ったことを覚えているかね?」


 昴が記憶を掘り起こして、目的の言葉を探り当てた瞬間、思わず言葉を失っていた。


「僕の、世界が、滅びた……?」


「そう。多元宇宙論において、世界はちょっとしたきっかけで分岐し、ネズミ算式に増えていく。どれほどの世界が分裂し存在しているのか、おそらく人の身では理解することすらできないほどの膨大な数に上るのだろうが、我々が支持する説では世界が増える数にも限度があると考えられている」


「それと、僕の世界が……、その、とても信じられないけれど、滅びたこととどんな関係があるって言うんですか?」


「新陳代謝だよ。〈ワールド・エンド〉が訪れたとき、増えすぎた反動で世界と世界がぶつかり合って消滅する。実のところ、本来なら我々の、この世界も危険な状況だったのだが、どうにか生き延びた――それが今なのさ」


「世界と世界がぶつかったなんて、そんな……」


 そこでふと、昴はあの時に見た光景を思い出した。


 全てが虹色の塵になって崩れ落ちたあの瞬間、昴は確かに鏡あわせになったように上空に浮かぶこの街を見た――。


(鏡合わせになったと思っていたけれど、あれが、なのか?)


 パラレルワールドが存在し、なおかつ昴が今、パラレルワールド側にいるのだと仮定するなら、あの時に見えた街こそがパラレルワールド側の街だとは考えられないだろうか。


 言葉を失っている昴に、


「もう一つ、君が生まれ育った世界と大きく異なっている点がある」


 だめ押しをするように、幽月が告げる。


 昴は反論することもできずに静かに顔を上げた。その眼前に、幽月は細くしなやかな指を突きつけた。


「君だ。この世界には、朽木昴という人物は存在しない」


「僕が、いない……?」


「そう。しかも、君の世界のご両親や妹のように、夭折したわけではなく、そもそもこちらの世界では『君』という人間は生まれすらしていないのだよ」


「べ、別の街の、別の家に生まれているとか……」


「詳しい話は、今は省略するが、我々にはそれを調べる方法がある。答えは否だ。君という人間は、この街はおろか、世界中のどこを探しても存在しない」


 世界中を探してもいないと断言されて、ショックを受けると同時に一つだけ、違和感も覚えていた。


 幽月の言葉が本当かどうかはわからない。


 むしろ、くだらない嘘であった方がありがたいのだが、もし、万が一本当だったなら、それは幽月達が昴についてわざわざ調べたということになるだろう。


 ならば、偶然見かけて救出したというより、あの時に見た光景のまま、昴を目指してこちらの世界に引き上げたことになるのではないだろうか。


「だったら、何の目的があって、僕をここに連れてきたんですか!?」


 昴が問うと、幽月は微笑を浮かべた。


「存外、冷静さを保ってくれているな。もっと感情的に取り乱すかとも思っていたのだが……」


 戯れ言のような言葉に、


「冷静なんかじゃないです。充分混乱してますよ!」


 そう返すのがやっとだった。


「……目的は、そうだな、今は秘密としておこう」


 これまでのやり取りから、答えてもらえるものだと妙な信頼感を抱いていた昴に告げられたのは、逆に感心するほど完璧なゼロ回答だった。



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