第3話 家に戻れば……。


 自分の世界が滅びた――そんな突拍子もない宣言をされても、昴には呆気にとられることしかできなかった。


「ふふふ、いきなりそんなことを言われても困るだろう。君の気持ちはよくわかるよ。そうだね。娘の身支度もまだしばらくかかるだろうから、一度外の様子を見てくるといい。私としては、一度自宅に戻ってみるのをお薦めするよ」


 意外な提案に、昴はさっきとは別の意味で目をしばたたかせた。


「……勝手に、外に出ても?」


「もちろんだとも。我々に、君を軟禁するつもりはない。そこの窓から見れば、おそらくここがどこかもわかるだろう」


 てっきり行動を制限されるものだと思い込んでいた。


 昴は思い切って席を立ち、リビングの窓からカーテンをめくってベランダに出る。


「……僕が住んでる街じゃないか」


 安堵の溜息と共にそう呟いた。


 眼下に広がるのは、この角度から眺めたことはなかったが、間違いなく昴が生まれ育った街だったのだ。


 商業ビルや看板、幹線道路との位置関係など、一目で自分がどのあたりにいるのかがわかった。


「ここ、最近出来たタワマンだ!」


 家の近所に出来たタワーマンションで、学校帰りに「きっと見晴らしがいいだろうな」などという感想を抱きながら通り過ぎたことがある。


 まさかこんな形でその景色を味わうことになるとは思っていなかったが、想像していた通り、隣町のさらに向こうの方までよく見えた。


 気になるのは、昴の記憶では「夜」だったはずなのに、今は昼間――おそらく昼の二時かそこらだろう。


「出かけるなら、これを使いたまえ」


 そう言って幽月が差し出したのは、真新しいTシャツとジーンズだった。


 受け取りながら見ると、昴の服とサイズが同じ。


 Tシャツはともかく、ジーンズの腰回りまで同じなのは、少々気持ち悪い。


 意識を失っている間に採寸でもされたのだろうか。


 ただ、さすがにガウン姿で外に出ることはできないために大人しく服を受け取ると、幽月の勧めで隣の空き部屋を使って着替えた。


 先程、昴が目覚めた部屋もそうだが、空き部屋が多くて、生活感が乏しい。


(引っ越してきたばかりなのだろうか)


 つらつらと余計なことを考えながら着替えを終えるとリビングに戻る。


「じゃあ、本当に出て行きますよ?」


 警戒心を解かぬまま念のために確認した。


「ああ、気が済んだら戻ってきてくれると嬉しい」


「……そんな必要性を感じないですが?」


 昴が言うと、幽月は謎めいた笑みを浮かべるだけだった。


「……関係ない話かもしれないですが、さっきの娘って?」


 立ち去りかけた昴だったが、さっき幽月が口にしていた気になる単語について質問する。


 もう二度と会わないかもしれないから気になったのだが、幽月はこともなげに、


「ああ、君と裸で抱き合っていたのは私の娘なんだ」


 と言ってのけた。


「え? 妹じゃなくて?」


 素直な感想を口にすると、ここで初めて幽月は感情を見せて笑い声を上げる。


「はははは、これは光栄な評価をいただいたな」


 何となく気恥ずかしくなって、昴は口ごもる。


「べ、別にお世辞を言ったつもりはないですよ。じゃあ、本当に行きますから」


「ああ、気をつけて。靴は、玄関にあるスニーカーを使ってくれていい」


 丁寧に別れを告げるのも変な気がして、昴は「どうも」と短く答えて歩き出した。


 幽月の言葉通り玄関にはスニーカーが置かれており、それはどう見ても一度も履かれていない新品で、やはり昴の足のサイズにピタリと一致した。


「どうなってるんだ……?」


 服といい、靴といい、幽月達は昴を迎える用意を整えていたとしか思えない。


 それでいて、こうも容易く自由にしてくれる、その意図がわからなかった。


(とにかく、涼音がどうなったか、それだけでも早く確認しないと!)


 今となっては、あの崩壊の様子も、急に途切れた涼音との会話も、どこまでが本当のことなのか、自分が何を見て、何を聞いて、何を体験したのか、そうした記憶の全てにまるで自信が持てなくなっていたのである。


               ◆◆◆


 部屋を出てエレベーターで一階まで降り、エントランスから外に出る。


 不自然なことが起こらないか、多少緊張しながら進んだというのに、呆気ないほど何もないほどマンションから外に出られた。


 外も、当たり前の日常が広がっている。


 大通りが近いために人通りも多く、様々な年齢層の人間が行き交っていた。


 意識を失う前――記憶では平日だったはずだが、これでは日曜日か土曜日の昼にしか見えない。


「……何日か、眠っていたのか?」


 昴と同世代らしい人間の姿も見られるので、このまま出歩いていても補導される心配はなさそうだ。


 一応、誰かがあとをつけてこないか注意を払うが、怪しい動きをする人影はなかった。


 もちろん、ただの高校生の昴に気づかせないまま尾行することぐらい簡単なのかもしれないが。


 とにかく今は涼音の家に行くことが先だった。


 位置関係はわかっているので、すぐに見慣れた場所に出たあとは足早に目的地を目指す。歩いて二〇分ほどかかっただろうか。


 自宅の近所まで辿り着くと我知らず安堵の息を吐く。


 道も、壁も、家々も、壁が透けたり虹色の塵になって崩れ落ちたりした様子はない。


 記憶の中に在る通りの、いつもの街並みだったからだ。


「よかった、涼音の家もちゃんと無事だ……」


 迷わずインターフォンを鳴らすが、生憎と出かけているらしく応答がない。


 涼音の顔を見るまで安心はできなかったが、自分が財布もスマホも持っていなかったことを思い出す。


 スマホは、意識を失う直前まで持っていたはずだが、財布は家に置きっ放しだ。


「いや、というか、素っ裸だったのは、あいつらに取り上げられたからか……? それなら服のサイズがピッタリなのも不思議じゃないじゃないか」


 気づいてみれば簡単なことだった。


 自分が、思っていた以上に冷静さを欠いていたのだと気づいて、昴は苦笑を浮かべる。


「なんだよ、世界が滅びたなんて大袈裟なことを言うから……。いや、わざと荒唐無稽なコトを言って混乱させたかったのかな……」


 スマホは取り戻さないといけないが、今は家に帰ることにした。


 あるいは家の電話から涼音のスマホに連絡をしてもいいし、そもそもよく考えれば家の鍵をかけないまま飛び出して来たはずだ。


「やべ。泥棒に入られてないだろうな」


 昴はようやく当たり前の思考を取り戻して、自宅へと足を向ける。


 徒歩で数分。


 なにが起こったのかはわからないままだが、どうやら大したことではないらしい。


 何日かすれば全部笑い話になるだろうと、ずっと緊張していた気持ちがほぐれたところでちょうど自宅に到着し――そして、そのまま立ち尽くす。


 表札には間違いなく「朽木」とあり、見慣れた自分の家が建っている。


 泥棒が入った様子もなければ火事が起こったわけでもない。


 しかし、見慣れた自分の家から、昴以外の誰かが出かけてきたのだ。


 家族を事故で亡くし、天涯孤独の身の上になったはずの昴の家からである。


 反射的に壁際に身を隠す。


「お母さん! 急がないと映画がはじまっちゃうよ!」


 十代の少女のものとおぼしき声が聞こえる。


「私より、お父さんの方がのんびりしているんだから、文句はそっちに言いなさいよね」


 母親の声。


 朽木家から出てきたその二人の声を聞いて、昴は何重もの意味で驚いていた。


 母娘に、遅れて出てきた父親を加え、三人は昴の存在には気づかないまま出かけていった。


 昴はしばらく立ち尽くし、その場から一歩も歩けなくなってしまっていた。


 他人から見れば、おそらく昴の顔色は蒼白になっていただろう。


 あの三人が朽木家から出てきたことは、実のところ


 昴は、あの三人の顔を知っている。


 だが、あの三人の存在は、決してあってはならないものだった。


「なんで……」


 昴は、そう呟くのが精一杯である。


「……大丈夫?」


 いつの間にか、目の前に一人の少女が立っていた。


 先程、あのマンションで幽月の娘に付き添っていたセーラー服の少女である。


「今は、マンションに戻ることを提案するわ」


「………わかった。でも、戻ったら教えてもらえるのか? どうしてあの三人がここにいるのか。どうして、僕の両親や妹……死んだはずの三人が生きているのか!」


 振り絞るようにして出した問いかけに、少女は静かに頷いた。

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