第一章 朽木昴がいない街
第2話 目覚め
胸に、腹に、手に、脚に……何か、温かいものが触れていた。
そして、花のようないい香りが鼻腔をくすぐる。
そうした、いくつかの刺激を自覚する同時に、昴の意識は徐々に浮上していった。
(何だ……? あれは夢……? でも、ここは僕の部屋じゃ――)
見知らぬ部屋だった。
温かな何かが覆い被さっているせいで、少し身動きが不自由に感じるが、特に痛みなどはない。
最初は朦朧としていたが、意識が鮮明になってくると周囲の状況が飲み込めてきて、自分が何も身にまとっていない全裸であることを自覚した。
その上、昴の上に覆い被さっている温かいものが、同じく全裸の少女であると理解するに至り、
「ほわぁっ!?」
奇声を上げて反射的に少女の体の下から這いずり出した。
少女は間違いなく下着すら身につけない全裸だが、うつぶせになっているためデリケートな部分は見えない。
柔らかそうな丸みを帯びたお尻は露わになっているが、驚きすぎてそれを凝視するような余裕はなかった。
「な、なにか、なにが、え? どうなってんの!?」
直前まで、昴は間違いなく彼女の下になっていた。
つまり、二人とも素っ裸で抱き合っていた形だ。
互いに全裸である以上、自分の肌が、目の前の少女の肌に密着していたことになる。
迂闊にも、直前までの自分の姿を想像してしまい、目眩がするんじゃないかというほど頭に血が上ってしまった。
(お、落ち着け、落ち着け――)
少女の姿から目を逸らし、深呼吸を繰り返すこと数度。
ようやく少しは落ち着きを取り戻した昴は、少女の裸身を極力見ないようにしながら部屋の中を窺った。
他には誰もいないが、一応股間だけは手で隠す。
情けない姿であることこの上ない。
天井の照明が点いているおかげで部屋の中は明るい。ただ、窓がない部屋であったため、今が昼か夜かもわからなかった。
まるで引っ越ししてきたばかりのように、ほとんど物が置かれていないガランとした部屋である。
そんな中、几帳面に畳まれたガウンが二着、床に置かれていた。
とりあえずそれを手に取ると、一着は自分が身につけ、もう一着はまだ気を失ったままの少女にかけてやる。
それでわずかながら落ち着きを取り戻した昴は、思わずフローリングの床に座り込む。
「ふぅ……。本気で、なんなの、これ?」
もう一度部屋を見回した。
入り口は一つで、壁には窓や飾りが何もない。白さが眩しい、真新しい壁紙だけが目についた。
家具がないので広く感じるが、家具を揃えたら手狭に感じるだろう。
あるいは、本来は物置にでも使う場所なのかもしれない。
ただ床には、ちょうど昴が寝ていた――つまり、今も少女がうつぶせで意識を失っている場所を中心にして、水晶で出来たものらしい小さな石柱が四方に置かれている。
「この子は誰なんだ……?」
結局、思考はそこに戻ってくる。
少女は、ここからでは横顔だけしか見えないが、見覚えのない顔だった。だがどこかで見たような気もするのだ。
そこまで考えたところでふと、もし今、少女が目覚めて二人して全裸になっている理由を問い詰められたら答えようがない、ということに気づく。
ここがどこで、彼女が誰かはわからないが、誰から見られてもとてもではないが弁解のしようがない状況である。
思わず身震いが起こった。
おまけに次の瞬間、部屋の外からノブが回されドアが開かれようとしたのである。
進退窮まって固まるしかできなくなっていた昴の目の前で、無情にもドアはあっさりと開かれ、三人の人物が部屋の中に入ってくるのだった。
一人は長身の女性で、年齢は……年上なのは確かだが正確にはわからない。
異性の年齢はわかりづらいということもあるだろうが、ちょっとした角度で母親ぐらいの年齢にも、姉ぐらいの年齢にも見える。
緩やかなウェーブを描く長い髪を、無造作に後ろで束ねた美女だが、彼女の姿で何より目を引くのは巫女服である。
正式な作法からすればかなり着崩しており、花魁のような雰囲気も漂っていた。
もう一人は、おそらく三〇代半ばの男性。
黒のスーツ姿にワインレッドのシャツという、ホストのような服装だ。
くっきりした顔立ちにすらっとした長身だが、ぼさぼさの頭に無精髭と顔に浮かべた軽薄な笑みが色々台無しにしている――そんな感じの男だった。
最後の一人は女性。
昴と同年代で、昴が通っている学校指定のセーラー服を着ていた。
切れ長の目が印象的な少女で、長く艶やかな黒髪をポニーテイルにしている。
かなり目立つ和風美人で、交友関係が狭い昴でも、校内で見かけたら記憶に残ると思うのだがその覚えはなかった。
立ち姿も姿勢がよく、彼女の凜々しさを引き立てている。
何者かわからず反射的に身構えるが、
「よくぞ参られた、
巫女服姿の女性は、昴を真っ直ぐ見てそう言い放った。
◆◆◆
現れた三人に促される形で、昴は目覚めた部屋から外に出た。
廊下は長く、何部屋もあるところを見ると、おそらくは家族用のマンションらしい。
そしてリビングらしい部屋に案内されると、部屋の中心に置かれた革張りのソファに座るように勧められた。
対面の席には巫女服の女性と、スーツの男の二人が座っている。
この二人しかいないのは、セーラー服の少女は、昴から遅れて意識を取り戻した少女を別室で着替えをさせるために席を外しているからだ。
意識を失っていた影響か、少女の足取りはたどたどしかった。そのため誰かが面倒を見る必要があったのだろう。
見ず知らずの少女と素っ裸で一つの部屋にいたことについては、不思議なことに誰も触れなかった。
もちろん責められると困るのだが、完全にスルーされるのもまた昴の常識とあまりに違う。
常識が通じないということは、次の瞬間なにが起こるか予想もできないので、それはそれで恐ろしかった。
「……あの、ここはどこなんですか? 僕を歓迎するって、どういうことなんですか?」
下手をすると口を開いたことで状況を悪化させかねないとは思うのだが、黙っていても時間が無駄になるだけだと判断して、昴は思い切って口を開いた。
「何から説明するべきか……」
言葉の上では困っている風にも聞こえるが、目の前の女性は泰然と構えており、とてもそうは見えない。
もう一人の男の方は始終ヘラヘラしているので参考にならない。
下手をしたら遊ばれているのだろうかと思いはじめたところで、女性は小さく頷いた。
「私の名前は
だらしない雰囲気のことを言っているのだろうが、当の清十郎は相変わらずヘラヘラ笑ったまま「へ~い。こんな成りですよ」と開き直って頷いていた。
「僕の名前は、朽木昴です。もう一度聞きますが、どういう状況なんですか? あなた方は僕を……その、誘拐したんですか?」
誘拐、という単語を使うには少し思い切りが必要だったが、幽月も清十郎も平気な様子で否定する。
「むしろ君を救出したと思ってもらえると嬉しい」
「救出……?」
「そう。……ひょっとすると君は、ついさっき目にした景色をただの幻だと思っているのかな?」
目にした景色と言われて思い当たるモノは一つしかない。
「僕が、目にしたって……」
街の上に、鏡合わせになったように逆さになったもう一つの街が現れていた。
両者は徐々に近づき、そして全ての物質が虹色の塵になって崩れ落ちていく……。
幽月と名乗った女性は、「幻だと思っているのかな?」などと言うが、アレが幻でなければなんだというのか。
「単刀直入に言うと、君の世界は滅びた」
昴は、目をしばたたかせただけだった。
嘘だとか本当だとか、それ以前に、何を言われているのか意味がわからなかったのである。
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