夏風に攫われる。
書きたいもの
僕としての日常。
僕としての非日常。その対比。
去ってしまった夏を蒸し返すような暑さが続いていた。
その日は、大学のオンライン授業も無く、太陽が相変わらず照りつける様子眺めていた。もちろんここは冷房の効いている。外の気温は31度くらいあって湿度も少し高い。さっきコンビニに行ったときなんか、溶けるかと思ったくらいだ。けれどこうして冷房の効いた部屋から外の風景を眺めるのは気分がいいもんだ。多分、普通の大人たちは電車に乗り込み会社に行き、そうして時間を浪費する。彼らは都合よく時間を浪費する手段を仕事と呼び、名前をつけて喜ぶ。何か適当な理由でもないとやっていけないのだ。これから先の長すぎる人生を消費しきるには、仕事は都合がいいんだろう。
かと言って、僕は仕事をしていないわけでもない。バイトやら、友達のレポートを代書きしたりもする。僕も限られた大学生活で準大人としての立派なスタートを切っているわけだ。時々、毛嫌いしていた大人たちと似たような行為をしている自分に対してうんざりするよ。結局は彼らと同じところに僕も行き着くのだろうかってね。それでいて、周りの奴らも変化していく。この変化ってのは悪い意味の方角への変化だ。ある日突然、みんな風向きが変わるんだ。今まで知らん顔していた連中が急に就職の話をしだす。みんなで落単を祝った仲間が、顔に険しい眉を浮き上がらせてA4の紙切れを書き出す。そんなのあまり意味ないんじゃないのかって思うんだけれども、言葉には出さない。彼らは準大人として生きていく道を選んだんだから。多分、僕は彼ら彼女らから見たらまだ甘えている子供なのだろうね。
それでもあまり変わらないやつもいる。小泉さんとかね。小泉さんは、いいところの出のボンボンだ。本人はそれを否定しているけれど(つまり、上には上がいることをしっかり理解している)やはり、僕からするとそう見えてしまう。小泉さんは僕と同じ今年で22歳だ。僕の方は浪人したりして一年遅れているけれど、同い年だ。彼は慶應義塾大学法学部にに通っている。僕は彼とは同じバイト先で知り合った。僕もかなりの変人として扱われるけれど、彼もまた形は違えど、変人のたぐいだった。凡人の僕にとってはまぁまぁな学歴を方に持つ彼と気が合うなんて思いもしなかった。彼なんかはもうとっくに就活を済ませ、僕を慶應の授業を見せてくれた。
彼は僕の中で価値観が似ていて変わることのない友人の一人だ。僕は友達はそれこそ指を折って数えるくらいしかいないけれど、質はいいと思う。僕は後一年と少しの猶予に対して直視せずに、日永に本を読む毎日を過ごす。やかましい世間のまつりごとには関せずに、本を読み解く。
全く
延滞した水道代の振り込みをしに行ったんだ。僕もうっかりしていたよ。まさか水道代を払い忘れてたなんて。
今はバイトはしていないけれど、先月までの給料と奨学金、それに幾分かの貯金を切り崩して暮らしている。別にお金に困っているわけじゃない。けれど漠然としない将来の不安みたいなものは幾つか抱えている。そんな普通の大学生だ。
支払いのためだけにコンビニに行ったはずなのに、気付いたらアイスコーヒーを買っていた。Sサイズのやつだ。
何も考えずに支払いを終えてコーヒーメーカーでアイスコーヒーを作る。その間も店内には賑やかな音楽とアナウンスが続いていた。僕はぼんやりと外の景色を眺めていた。やかましく感じる店内とは対象的に世界が築かれたみたいだ。淡い陽炎のようなゆらぎがある。扉一枚を隔てた世界はまだ夏が残っていた。残暑か、僕はつぶやきながらアイスコーヒーにストローを差しゆっくりと回す。氷たちがコーヒーに溶け混ざり合い、一つになっていく。冷たくなっていくそれを持ち上げ、僕はコンビニを後にした。
特にやることも無かった。だから、アイスコーヒーを片手に間延びした街並みを眺めながら遠回りして帰った。照りつける日差しも、信号機が変わるまでの時間も、剥がれかけの白線も何もかもが夏が落としていったものにしか見えなかった。風はだいぶ湿度が抜け物寂しい。ガラスに映る僕の姿を見た。そちら側の僕は、にこやかに笑いかけてこちらに手を振る。まだ夏なのだろうか。そちらの日差しは強くセミの鳴き声なんかも聞こえてくる。困惑した僕に彼は呟く。やりたいこと一つも言えないんだろ。
僕は足を止め、彼の目を捉える。風は僕らの間を知らぬ顔で吹き抜ける。遠くから犬の吠える声が聞こえる。アイスコーヒーから垂れる雫がゆっくりとアスファルトの上に落ちていくのがわかる。僕は彼にこう返す。けれど、何かを始めなければそれも見つからによな。彼はまた笑顔でこちらを見つめる。僕らはお互いに口を揃えてこう言うんだ。分かっているじゃないか、ってね。ガラスの向こうの僕は歩き始める。僕だって同じだ。
家につくと除湿24度の空間が僕を待っていた。アイスコーヒーを机に置き、しばらくの間、通りを眺めていた。通りには誰もいなかった。まったく。
それでも何かが起こるかもしれないという気がしてやまなかった。何かとは何のことだろうか。あまり検討もつかないのだけれど。とにかく僕は何かがが起きるのを期待していた。窓の景色は相変わらず日にあたった路上だけを見せてくれている。平日の昼前の喧騒も無し。いつもなら道路を隔てて家中に響いてくる、あの子どもたちの笑い声もない。奇妙なくらいスッキリとした静けさが腰を下ろしていた。
スマホを見ても時間はあまり進んでくれてはいなかった。日中にLINEでメッセージが来ることもない。友達が少ないのもそうだが、僕の友達の多くは自分から連絡を取りたがらない連中ばかりだからだ。スマホを開き、Twitterを見る。つい20分前に見たときと何も変わらない。世界中の掃き溜めと大見出しのニュースが上下にスクロールされていくばかりだ。
窓から見える景色も同じだ。通りには誰も歩いていない。アイスコーヒーを口に運ぶ。汗をかいたプラスチックの容器がやけに冷たく指を刺激する。穏やかな豆の香りと独特の苦味が喉元を通り過ぎていく。穏やかに正午を告げる鐘の音が響いている。もう昼なのだ。
目をつむり意識が部屋を離れていく。耳鳴りに流れを任せ、しばらく動かずにいる。あうイメージが呼び起こされる。白とも黄色とも言えない明るい瞼の奥に祖母の姿が映し出される。祖母は窓際に置かれたインパチェンスを眺めている。柔らかな空間が祖母の周りに広がっており、暖かな記憶を彩り始める。それだけだ。
僕らと黄昏クジラ Nakime @Nakime88
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