留学紀行

弥生

留学紀行

今タームの課題提出期限までまだ余裕はあるけど、

もともと好きでルネサンス期のイギリス文学を学んでるわけで、

大好きなシェークスピアを存分に堪能して単位が貰えるなんて、

こんな素敵な人生はないなと。

大学の図書館でテーブルにシェークスピア作品を積み上げて

マクベスの課題の範囲に差し掛かった辺りだった。


「わぉ!ビックリした!なんと美しい・・・」


日本の大学の図書館なら、こんなコトはまずなかっただろう。

顔立ちから服装まで全てが軽薄そうに見える男子学生が話しかけてきた。


「ここ、空いてる?座ってもいいかい?」


大学の図書館で洋書を読んでるんだから当然英語は通じると思ってるのだろうけど、

機関銃のように遠慮も躊躇もなく畳み掛けるように話し掛け続けてきた。


「そのエスニックでありつつオリエンタルな黒髪、更にチャイニーズのように細くもなくコリアンほどキツくもない美しい瞳!日本人でしょ?」


なんだ?ナンパか?

大好きなシェークスピアを読んでるのを邪魔されて癇にも障ったし、何よりも彼のガサツなアプローチに嫌悪感を抱いたので露骨に無視を決め込んだ。


「あ、君も文学部でしょ?シャックスペア!俺は高校で全部読破したけどね」


シャックスペア?誰だよ!

あたしが積み上げてた本の背表紙を横目で盗み見して、けど「Shakespeare」の読み方がわからなかったのね。

彼、文学部だって云うのは絶対に嘘ね。

なんならこの大学の学生ですらないかも。


「俺の夢は日本人と結婚して幸福せな家庭を築くことなんだ!だからこの大学で日本文学を専攻してるんだ」


あらら、やっちゃったわね。

この大学に日本文学なんて学部も学科もないわよ。


「俺は君にシャックスペアを教えて、君は俺に日本語や日本の文化や風習、つまり恋愛だとかを教えておくれよ」


まだ云うかシャックスペア!

そろそろ何かしらの反応を示さないと延々と続きそうね。


「ここは人が多くて気が散るだろ?俺ん家に来てイカした音楽でも聴きながらベッドに座って続きを話そうよ」


今この図書館で最も喧しくて迷惑なのが彼自身だと云う自覚を持たせてやりたい。

イカした音楽じゃなく、イカれた頭の間違いじゃないかしら。

それにしても、軽くみられたものよね。


「日本人の女性を口説きたいなら、そんな風にグイグイと来ちゃダメよ、絶対に落ちないわ」


漸くあたしが彼に返事をしたコトで、彼は脈があるとでも勘違いしたのだろうか、

隠しきれない笑みを堪えながら彼が返してきた。


「いいね!そう云うのが聞きたいんだ」


ここは彼との知能の差を見せ付けてやりたいところだけど、きっとあたしの話など理解も出来ないレベルだろうから、

子供と話すようにかがんで目の高さを合わせてあげなければ。


「日本にはソーセキ・ナツメって云う文豪がいてね、彼の教え子が『アイ・ラブ・ユー』を『我君を愛す』って訳したのを『月が綺麗ですね』と添削したのよ」


彼には通じない日本の「粋」を見せ付けてやろうと思ったものの、彼の知能レベルに対して「粋」を説明する難しさまでは頭が回ってなかった。


「月?月は関係ないよね?あ、日本では女の仔のお尻やおっぱいを月に喩えるんだ!なるほど勉強になる」


なに?この致命的な頭の悪さは!

好きな人と一緒に見ると月も一段と綺麗に見える、もっと云うなら月の出てる時間にムーディに二人きりだと云う背景まで示唆している奥ゆかしさ、

彼には到底理解出来ない話だったわ。


「月は月よ、何も喩えてなんていなくて、比喩じゃなく、これはもっと詩的な云い回しなのよ」


彼はちょっとだけ困ったような顔をして


「その日本人の云い回しはまだ理解出来ないから、俺に『アイ・ラブ・ユー』と云いたくなったらストレートに直球で伝えてくれないか?」


どんだけめでたい脳内構造なのかしら?

ここまで鈍感だと、きっと彼の人生は彼の人生で楽しいのかも知れないけど。


「分かった、覚えておくわよ、そんな瞬間は永遠に来ないと思うけどね」


彼は彼で、今会話が上手く噛み合っていないコトだけは察してるみたいで

彼なりに歩み寄りの姿勢を見せてきた。


「それじゃ、日本人は好きな人に告白とかする時はみんな『月が綺麗ですね』って云うのかい?云われたら何んて返事をしたらいいんだい?」


確かに日本人全てが小粋な告白をするワケではないし、ましてや夏目漱石の逸話の引用で告白する男性なんて実際に居るとしても一握りだったかもしれない。

けど、こっちも今さら退くに退けない。


「シメー・フタバテーはロシア文学の中のヒロインがキスされて抱き寄せられた後に云う『ユアーズ』って台詞を『私はもう貴方のもの』でも『貴方の好きなようにして』でもなく『死んでも良いわ』と翻訳したのは知ってるでしょ?」


夏目漱石も知らないエセ日本文学学科が二葉亭四迷を知ってる筈もないのを承知で敢えて意地悪な云い方をしてみた。

案の定、彼は口をあんぐりと開けたままポカーンとした顔をしている。


「告白の時に『月が綺麗ですね』と云われて、それが通じた場合、相手はシメーに因んで『死んでも良いわ』と応えるケースが多いわね」


我ながらかなり誇張した無理矢理な回答だったなと云う罪悪感はあったけど、彼の口を封じるコトには成功した・・・かのように見えた。


「それじゃハニー、君はもう俺のこと死んでも良いかい?」


英文法としても成立してないし意味も通じない!

あたしが呆れてるなんて思いもしてないんだろう。

満面の笑みで彼はあたしの返事を待っている。

もう、本当に無理だこの人。


「ええ、死んでも良いわよ」


あたしは彼にニッコリと微笑んで見せたまま、突き立てた親指で自分の首を掻く「死ね!」のジェスチャーをして、こう告げた。


「今のは詩的な意味じゃなくてストレートに直球で伝えたのよ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

留学紀行 弥生 @yayoi0319

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る