哀惜からの自律

「シャリナ、泣かないで」

 ふと、兄さんの声が聞こえた。顔を上げると、兄さんは濡れても汚れてもいなくて、優しい、だけど寂しそうな目であたしを見ていた。

「聞こえたよ。それがお前の、強い力のもとなんだね」

 兄さんと同じ声、同じ喋り方、違う言葉。暗かった部屋はいつの間にか真っ白な場所になっていた。兄さんの姿の神王様と初めて話した夢と同じだ。あたしはさっきまで、昔の夢を見てたんだ。

「神王様……?」

 兄さんは、神王様は静かにうなずく。

「お前の祈りは聞こえていたよ。もちろん、お前の兄さんの祈りも。毎日、心からみんなの幸せを願う、きれいな祈りだった。ああいう祈りができる人を、俺も死なせたくなかったな」

 兄さんと同じ声が、とても悲しそうに話す。ああ、神王様は、本当は兄さんを助けたかったんだ。かっとなった頭が冷えていって、ようやく、あたしは自分のしていたことがどんなにひどかったか気づく。

「ごめんなさい。あたし、神王様をぜんぜん信じてなかった。神王様は困ってる人を助けたくないんだ、って——」

 あたしは神王様のことを、魔族が大嫌いで、兄さんやルノアさんを見捨てて、なのに兄さんの姿と声で話す神様みたいに思ってた。神王様の神官なのに、神王様を疑ってたんだ。

 でも神王様は、いいんだ、と言う。

「お前は、どうしようもなく悲しくて、苦しかった。それはお前が全力で祈ったのに、俺が応えられなかったからだ。全力じゃなければ、そんなに心は動かない。俺は全力で生きる人が好きだよ。――だから、今度こそ助けられて、本当に良かった」

 罰がなかったことより、好きだって言われたことより、最後の言葉にびっくりした。そうだ。眠る前、あたしは。

「あたし、助かったの? ルノアさんを助けられたの?」

「ルノアの毒は消えたし、お前の魂も、なんとか壊れずに済んだ。もう無茶な奇跡は使えないだろうけどね」

 ふんわり、神王様は笑う。でも、なぜか寂しそうに見えた。

「お前の強い力のもとは、兄さんが死んだことが悲しくて、誰も同じように悲しませたくないと思う、魂の叫びだ。でも悲しみはいずれ癒えていく。お前の心と魂が、俺に兄さんの声と姿を重ねて、ゆっくり時間をかけて癒したんだ。たぶん、これが最後だろうね。こんな無茶ができるのも、俺とこうして話せるのも」

「それって、神王様とお別れってこと?」

 それは、嫌だ。せっかく心から信じられたのに、話したいことがたくさんあるのに、兄さんの、神王様の姿が白くぼやけていく。夢が覚めるんだ。神王様を見ると、優しく笑っていた。

「違うよ。お前が祈ってくれれば、またいつでも会えるから――」

 声はどんどん遠くなって、その先の言葉は、聞こえなかった。



 ぱちり、目を覚ますと、あたしは知らない部屋のベッドにいた。誰の声もしないのが、すごく寂しい。前までは、無茶をして眠ったら、いつも神王様が起こしてくれて、どのくらい寝てたか教えてくれてた。嫌だ嫌だって思ってたけど、今は、けっこう嬉しかった気がする。

「おはようございます、シャリナさん」

「ルノアさん」

 神王様とは違う、そわそわした声がした。ベッドの上で体を起こして、ルノアさんの顔を見る。困ってるみたいな笑顔だ。

「あなたは三日、眠っていました。元の宿は引き払って、ここはあの店から離れたところにある、別の宿です。勝手にすみません」

 ぺこり、ルノアさんは頭を下げる。知らない部屋なのは、ルノアさんが運んでくれたからなんだ。ありがとう、と言おうとするけど、ルノアさんはまだ、ぺこぺこしている。

「すみませんと言えば、三日前のお礼もまだだった。ええと、助けてくださって、ありがとうございました。そして、すみません。僕が魔族だと疑われたばかりに、あなたまで危険な目にわせてしまったみたいですね。神王様に叱られましたよ」

 え、と声に出してしまった。あたしとお話できなくなったばかりの神王様が、ルノアさんと話してたんだ。ざわざわ、胸が落ち着かない。

「神王様が、何か言っていたの?」

 ルノアさんはにこにこ笑いながら、ええ、と答える。ベッドから降りようとするけど、止められた。その代わり、ルノアさんは部屋の向こうから椅子を持ってきて、あたしのすぐそばに座る。

「毒が抜けて気がつく、少し前に、あなたと神王様のことや、どこにあなたを連れて行けばいいかということを聞きました。あとはしつこくふたり旅を勧められたのと……そうだ、忘れてた。シャリナさん、神王様から伝言があります」

 いきなり、きゅっと表情が硬くなった。椅子の上でもぞもぞ体を動かして、ぴんと背筋を伸ばしてる。なんだろう。やっぱり怒られるのかな。ルノアさんはじっとあたしを見て、それからまた、ふんわり笑う。

「『楽しかった』、だそうですよ」

 伝言は、それだけだった。なんでそんなこと、と思って、はっと気づく。目が覚める前、神王様の最後の言葉を聞けてなかった。ちょっと気になってはいたけど、でも。

「さっきのルノアさん、ちょっと怖かったよ」

「すみません、神王様からの伝言なんて初めてで、緊張して」

 それもそうだった。ぷぷっ、思わず吹き出すと、ルノアさんも笑ってくれた。ふたりで笑いながら、ルノアさんと旅がしたいな、と思う。ルノアさんはちょっと嫌かもしれないけど、神王様のおすすめだし、やってみたらきっと楽しいはずだ。――そう、今までと同じくらいに。

「……あたしも、楽しかったよ」

 神王様に祈るときと同じに、あたしは、そっと呟いた。

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フォルザーナンの救済 白沢悠 @yushrsw

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