再現される心傷

「美味しい!」

 ルノアさんがご馳走してくれたお茶は、一口飲んだだけで思わずにっこりしてしまうくらい美味しかった。ちょっと熱いけど、いい香りがして、とろりと甘い味。味だけじゃなくて、見た目もきれい。れたばかりのお茶は明るい緑色なのに、蒸らしている間にだんだん黄色くなって、切った果物を入れた器に注ぐとさっとピンク色に変わる。

「それは良かった」

 にこにこ、楽しそうに笑いながら、ルノアさんもお茶を飲む。飲んだ時、一瞬、笑顔が消えた。でもまたすぐにふんわり笑って、何か言おうとして——いきなり、手に持った器を床に落としてしまった。

「なんだろう、急に、気分が悪く」

 手で口を押さえて、背中を丸めてる。これは、と神王様の声がする。

「毒だ。たぶん器に塗られてたんだ」

「助けなくちゃ」

「だめだ。癒しの力は昨日、使ったばかりだろう。それに毒を消すのは怪我や病気を治すより難しいよ」

 信じられない。神王様なのに、兄さんの声なのに、なんでルノアさんを助けるのを、だめだなんて言うの。ひどい。ひどいよ。

「いい、よく聞いて。俺の力が井戸水だとすると、今のお前はみあげる力がとても強いけど、入れ物がもろいんだ。水を汲むたびに入れ物がひび割れて、次はこぼれる分もよけいに汲まなきゃならなくなって、その水の重さでもっと入れ物が壊れてく。ねえ、もうやめよう。お前の魂はもうぼろぼろなんだぞ」

 神王様は怒ってるみたいだ。あたしの魂がぼろぼろ、なんて言うけど、ぼろぼろでもあたしはまだ生きている。でも、ルノアさんは。

「やめたら、ルノアさんはどうなるの」

「助からないと決まったわけじゃない。介抱するふりで連れ去って売るつもりだったら……」

「それって、助からないかもしれないってことじゃない!」

 自分でびっくりするくらい、大声が出た。神王様のことがばれるのも今はどうだっていい。悲しい。苦しい。びゅうびゅう、嵐の音が聞こえてくる気がする。胸がぎゅっと締めつけられて、きりきり痛くて、息ができない。言葉がもう、止まらない。

「あたしは神王様を、困った人を助けてくれる神様なんだって思ってた。でも、違うんだね。ルノアさんを助けるのをやめさせようとするし——兄さんを助けてもくれなかった」

 ばん、机を叩いて震えを止めた両手を、ぐったりしているルノアさんにかざす。神王様が嫌でも、あたしは祈る。今度は絶対に助けるんだ。でも、暖かいものが降りてくる、いつもの感じが今はない。

「俺は、井戸でしかない。だから水を汲む人がいないと何もできないし、汲もうとするのをやめさせることもできないよ」

 神王様の声が、いつもより近くで聞こえた。言葉の意味が分かる前に、見えてる全部が白くなる——。



 気がつくと、あたしは故郷の村の、自分の家にいた。外では、びゅうびゅうと嵐の音が聞こえる。夕暮れの家の中はちょっと暗くて怖い。

「何してるの?」

 ふんわり、灯火の光があたしを照らす。優しい声。大好きな兄さんの声だ。振り向くと、兄さんは困ったみたいに笑ってる。あたしはなぜかすごく悲しかった。なんでだろう。しばらく考えて、思い出す。ああ、あたしは芽が出たばかりの金穂草が心配だったんだ。

「神王様にお祈り。畑がめちゃくちゃになりませんように、って」

「そっか。じゃあ、俺も祈るよ」

 兄さんはそう言って、あたしの隣でしゃがむ。なんで、そんなことをするんだろう。あたしは神王様とお話できて、奇跡の力も分けてもらえるけど、兄さんはそうじゃないのに。

「でも、兄さんは神王様の声は聞けないんでしょう」

「俺が神王様の声を聞けなくても、俺の声は神王様に届くかもしれないよ。お前の声より小さいかもしれないけど、ちょっとでも誰かを助けられるなら、それでいいんだ」

 兄さんはそう言って、あたしの頭をなでる。大きくて、温かい手。あたしはもう九つで、兄さんとは七つしか違わないけど、兄さんになでられるのは好きだ。もう少し、このままでいてほしい。でもその時、扉を叩く音がして、兄さんはあたしをなでるのをやめちゃった。

「隣のじいさんを知らないか? 村のどこにもいないんだ」

 家の外には、近所のおじさんが、ずぶれになって立っていた。

「きっと炭焼き小屋だ。連れ戻してあげなくちゃ」

 兄さんが目をまん丸くして、急いで雨具を取りに行く。兄さんは隣のお爺さんと仲良しだ。お爺さんが話す、人族と魔族がまだ仲良しだった昔のお話が、兄さんはとても好きなんだ。

「シャリナ、すぐ戻るから待ってて」

 あたしが何も言えないでいるうちに、兄さんはおじさんと一緒に外へ行ってしまった。ばたん、扉が閉まる音。あたししかいない部屋は広くて、静かで、あたしは急に怖くなった。

「神王様、どうか兄さんを助けてください」

 何度も何度も、お祈りをする。夜になってもまだ兄さんは帰ってこない。あたしは必死で、でも疲れてしまって、だんだん眠く……。

「兄さん」

 目が覚めた時、兄さんはいなかった。飛び起きようとすると扉が開く。大人のひとが二人、兄さんを運びこんで、床に寝かせた。あたしは夢中で駆け寄る。兄さんは目を覚まさない。全身びしょ濡れで、泥と葉っぱがついていて、氷みたいに冷たい。

「……木に雷が落ちてな」

 隣のお爺さんの、震える声が降ってきた。

「こっちに倒れてきたのを、わしの代わりに……」

 あたしの目の前は真っ暗になった。

「兄さん、しっかりして兄さん、目を開けて! 神王様、お願い、助けて、兄さんを助けてよ……っ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る