1-3 準備

 静奈が働く工場では居住艦内で使用される安全装置を製造していた。作業員は三方を製作機械に囲まれ、身体を左右に動かしながら部品を右から左へと移送していく。

 工場の中では独特な作動音が響いている。金属と金属がぶつかり合う音。レーザー装置の駆動音。ガスが噴射される乾いた音。足りない部品を投入するよう要求する甲高い警報音。

「ご友人の調子はどうなん?」

「今はもう元気そうです」

「何かあったらちゃんと休みや。ウチが二倍働けばいい話やからな」

「そういう訳にはいきませんよ」

 静奈は苦笑しながら答える。声をかけてきたのはベテランの木村だった。ここで十年以上働いているということだった。ふくよかな体型の優しそうな女性だった。年齢は聞いたことはないが、おそらく四十代半ばだと静奈は推測している。静奈がラインに入ってすぐの時に教育担当として丁寧に指導してくれた。それ以来いつも気にかけてくれている。

「そうそう休みと言えば」

 静奈は手を緩めずに、少し抑え気味な声で言った。あまり言いふらすでべきではないかなと一瞬ためらったものの、伝えないほうが恩知らずだと思い直した。

「私、東京に行くんですよ。お土産たくさん買ってくるので、楽しみにしててくださいね。確か東京ばなな好きでしたよね」

「あら、そらまた何でなん。えらい時間かかるんとちゃうんか。よいしょっと」

 木村は製品が満載された箱を軽々と持ち上げ、次の行程へと送る。筋肉が沢山あるようには見えないので、力の使い方が上手いんだなといつも思って見ている。

「一ヶ月、二ヶ月ぐらいはかかると思います。しばらく会えませんね、一人だと不安です。泣いちゃいそう」

 静奈は少し大げさに言った。

「静奈ちゃんは度胸あるから大丈夫や。でも寂しなるなあ。なんや、勉強でもしにいくんか。えらい大きな大学があるんやろ」

 これまた木村が大げさに言う。絶対に違うと確信した笑みを浮かべていた。

「勉強は嫌いなのでしません。ちょっと人を探していて、それで行くんです。色々調べてみたいこともあるので」

「静奈ちゃんが来てから工場も雰囲気もだいぶ良くなってきてたから、おらんくなると困るんやけどなあ。作業も楽になったし」

「お役に立てているなら嬉しいです。興味があったから色々調べてみただけですよ」

 工場のラインに配置されると、何度も同じ作業を繰り返すことになる。一日に数百回、数千回と繰り返す。身体に負担のかかる作業が少しでも混じっていると、その数千回の間に怪我をすることになる。

 だが、働いている人たちは何が原因で怪我が起こっているのか深く考える暇が無い。考えることができたとしても、その意見が反映されるかどうかは分からないのだ。

 そこを徹底的に分析したのが静奈だった。自分の身体を実験台にして、何が原因で怪我が発生しているのかを次々と特定していった。それによって、他の従業員から感謝されることになった。

 しかしこのような改善は本来監督者が行うべきもので、監督者からは目の上のこぶとして邪険にされてしまっていた。

「しばらく居なくなりますけど、私のこと忘れないでくださいね」

 忘れるわけがないと分かっているが、なぜか言いたくなってしまった。

「まあ、あれや。気い付けてな。怪我したらあかんで。身体と命は一つしかないからな」

 木村は少し俯きがちにぽつりとこぼした。

 集中が切れてしまったのか、部品が落下した。

 甲高い金属音が響き渡り、監督者が早歩きで近づいてくる。

 木村の手は虚空を掴んでいた。


「はあ? 東京? 馬鹿じゃないの。仕事はどうすんの」

 静奈の言葉を聞き、笠城英美里かさぎえみりは素っ頓狂な声をあげた。驚きと呆れの入り交じった顔を静奈に向ける。手に持っていたグラスから紅茶が少しこぼれた。

 静奈と英美里は商店街の一角にある喫茶店に来ていた。店の中は薄暗く、煎ったコーヒーや焼かれたトーストの匂い、さらに煙草の匂いが混ざり合っていた。

 店の真ん中に置かれた空気清浄機が、空気が汚れていることを示す赤いランプを点灯させながらフルパワーで稼働していた。

 静奈はストローから口を離した。オレンジジュースの中に浮いた氷が音を立てる。

「休職させて貰うことになった。結構職場に貢献してるからね。こういうとき強いよ」

「玲のことはどうすんの。しょっちゅうお見舞い行ってるんでしょ」

 英美里は中学の時から玲の同級生だ。今は民間の自動車会社で製品の開発を行っている。

「毎日電話することにしようかな。私が寂しくなっちゃうから。玲がどう思うかは知らないけど。そう、玲のことを話しに来たの、私は。私が留守の間、玲のことをお願いしたいと思って」

「何で静奈が保護者面してんの。言われなくても面倒見るっての。それに玲には看護師も介護士もついてくれてるんだから、そんなに心配しなくたって死にゃしないわよ」

「やっぱり親しい人が傍にいてくれる方が絶対安心するよ。特に英美里さんならなおさら」

 本心が半分、建前が半分だった。玲のことが心配なのは本当だ。見守っていて欲しいというのも本当だ。だがそれを英美里がするとなると話が変わってくるのだった。

「東京に行くってんなら、何ヶ月もかかるんでしょ。船も飛行機も使えないんだから」

「まずは『姫路』に行こうかな。姫路から『大阪』を経由して東京に行く」

 居住艦は「艦」と呼ばれているのものの、形状としてはフロートと呼んだほうが適切だ。平たく、海の上に広がる巨大な蓮の葉のような見た目をしていた。東京や兵庫のような大型の居住艦は、複数の居住艦が寄り集まることによって構成されている。

「姫路までも結構あるでしょ」

「バスで行けるから大丈夫」

 居住艦『姫路』は兵庫を構成する居住艦群のうちの一つであり、他の大型居住艦への移動を頻繁に行っている。兵庫と大阪が接近するタイミングで姫路が大阪へと移動する。さらにその後、同じようにして東京へと移動する。

 それが船も飛行機も使わない移動手段だった。

「長旅ね。いいわ。その間玲を独り占めしてあげる。後悔したって知らないわよ」

 英美里の言葉にはほんの少しの、優越感のようなものが潜んでいた。静奈にはそれがかすかに感じられた。

「何を後悔するの」

 静奈はとぼけて笑う。

 英美里は静奈を見定めるように目を細めた。静奈はその奥にある感情を受け取って目を逸らした。英美里が玲に対して特別な感情を抱いていることは知っていた。これは静奈も同じことだ。

「お土産は? 当然あるんでしょうね」

「それはもう沢山買ってくるよ。国会図書館にも行く予定なんだけど、何か印刷してほしいものある?」

「あるわけないでしょ、さっさと出発してらっしゃい。そんなもんに興味あるのはアンタだけでしょ」

 話の方向が変わり、二人の間の空気が弛緩する。

「姫路が出るのは三日後よ。準備はできているの?」

「今から大慌てで準備するよ。まあなんとかなるって。これまでもなんとかしてきたんだし」

 静奈がストローを吸うと、ジュースと空気がストローの中で混ざって嫌な音を立てた。

 英美里のコップには冷めた紅茶が残っていた。



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推しを求めて200海里 丸井零 @marui9

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