ハッピーエンド

天然アフロ

第1話

 今日、俺は終わる。

 目が覚めると同時にそんな直感があった。


 終わると言っても死ぬとか消えるとかそういう事じゃない。“俺”という物語の最終回が今日である、みたいな感覚だ。週刊連載の漫画が今日最終回だなぁ、みたいな感じ。寂しさはあるけど少しスッキリするような独特の気持ちよさがある。


 どうせ最終回ならば、ハッピーエンドで終わらせてやろうじゃないか!


 そう意気込んだのが数時間前。俺は未だ部屋で唸っていた。

 俺は一般成人男性であり、特筆するような物語は何一つとして持っていない。超美人だったり帰国子女だったりする異性の幼馴染も居ないし、異能力を持っていたりスポーツが超上手かったりするわけでもなければ、特殊な家庭環境なわけもない。多少あったとして、「そういう事もあるよね」程度のもので、普通の範疇から外れることはない。


 そんな自分の最終回とは一体全体どういうものなのだろう?

 一般成人男性のハッピーエンド。

 正直わけがわからない。


 まずはジャンルだ。ジャンルがわかればエンディングの形も見えてくるかもしれない。恋愛物なら、相手と付き合い始めるなり結婚するなりというのが王道と言えるだろう。戦記や冒険なら、大ボスを倒したり、世界が平和になったりするだろう。

 俺のジャンルは何になるんだろう。ラブなコメディとは無縁、冒険や挑戦とも距離が離れすぎている。

 となれば、日常系になるだろうか。強いて言えば。

 しかし日常系の作品は、最終回らしい最終回は無いのではないか?何か一区切りがつくわけでもなし、これからも変わらず続いていくことを匂わせて終わる形のものしか知らない。それは俺の考えるハッピーエンドとは少し違う気がする。


 不意にため息が出た。ごろりと寝返りをうってスマホを手に取る。すでに14時を過ぎていた。

 飯でも食いながらスマホゲーのデイリー消化でもして休憩するか。

 なんとなく重い体をぐっと起こした。



 冷凍チャーハンを頬張りながらスマホをいじる。

 なんかもうよくわかんないし、要は今日中に俺が幸せになれば、それでいいんじゃないか?その方向で考えてみよう。

 

 ぱっと思いつくのはやはり恋人か。幸せの形としてパートナーというのはとても分かりやすい存在だと思う。しかしその手の話は本当に身近に無い。サークルのOB同士で結婚したという話を噂で聞いたくらいだ。親しい異性が居ないではないが、そういうのじゃないし。

 誰でもいいと思うほど恋愛脳じゃないし、第一そんな考えで得た恋人がハッピーエンドの条件とは考えられない。

 

 次に思いつくのは、金。我ながらちょっとどうかと思うが、やっぱり幸せには財力が大きく影響するというのを否定することはできない。とはいえどうやって今日中に幸せと思えるほどの大金を得るのかとなると、スクラッチ宝くじかギャンブルのどちらかだろうか。

 どちらも可能性はゼロではない。ゼロではないが……。金の為に必死になっている自分の姿を想像して、少し引いた。これは無いかな……。


 次の案が出てこない。想像力に乏しいのはわかり切っていたが、ここまでとは。

 ならば、別方向に思考を飛ばす。手っ取り早く幸せになれないなら、今の代わり映えのない日常から脱出することが出来れば、それはある意味ハッピーエンドと言えるんじゃないか?例えば超能力に目覚めるだとか、見知らぬ美少女に助けを求められるとか、そういうのだ。そういった何かが起きやすいシチュエーションに身を置けば、もしかしたら何か起きるのではないか? だって最終回だし、ワンチャンスはあるだろう。


 もうこれ以上別案が出てくるとは思えないし、やってみるだけやってみよう。どうせこのまま家に居たって何が起きるわけでもないだろう。もし何か起きるとしても、室内よりは外の方が確率が上がるはずだ。


 皿を流し台に置いて、スマホから充電ケーブルを引っこ抜いた。 



 で、もう夜である。

 結局何もないまま夜である。

 

 色々と試してはみた。

 普段入ろうとも思わないような、少し古びた喫茶店に入ってみたり。困っている人を助けてみようと駅周辺を歩き回ってみたが、誰一人困っていなかったり。薄暗い裏路地を覗き込んで、そこに居た猫に話しかけて逃げられたり。夕暮れの浜辺を一人眺めて、近くのカップルにチラチラ見られたり。


 しかし何もなかった。これでは単純に散歩をしただけじゃないか。今日で終わりだという感覚が勘違いだったら諦めもついただろうに、その感覚はまだ続いている。

 萎えた。萎え萎えだ。


 すっきりしない気持ちを抱えたまま帰ろうとした時、ふと冷蔵庫の中身がほとんど空だったことを思い出した俺は、コンビニで適当に買い物をし、とぼとぼと帰路に就いた。


♪~


 唐突にBGMが流れ始めた。そんな気がした。

 直感。これは最終回によくある特殊エンディングの演出だ。本編に被ってクレジットとED曲が流れるやつ。


 えっ、今?


 コンビニ帰り。右手にビニール袋。切れかかった街灯。

 どう考えても今じゃないだろ。演出担当は一体何を考えているのか。


 ……いや、むしろこれが最も俺らしい最終回なのかもしれない。

 これからも変わらず続く、ストレスはあれど何の刺激もない日常。俺の部屋はその象徴だ。惰性で積み重ねられた汚さの程よいあの部屋が。

 そこへ帰る後ろ姿を映してエンドロール。そういうことなのだ。たぶん。


 ハッピーエンドではないかもしれない。けれど、とてもしっくりくるトゥルーエンド。妙にすっきりとした気持ちだ。

 まぁ、改めて考えてみればこんな人生も悪くはない。大きな事故も病気もしたことないのだし、そんな日常が続くことが幸せなのかもしれない。


 ありきたりな結論。

 だけど少しだけ、足取りが軽くなった気がした。



 「で、なんすかこれ」


 刺々しく隣の男に訊ねると、男は得意げな顔で言い切った。


 「自主製作映画」


 「んなことはわかってますよ。なんでこんなクソなもんを見せられたのかって聞いてんですよ」


 深夜に差し掛かろうとしている時間に呼びつけられ、こんな時間に呼びつけるほどに力作なのかと考えてしまった自分に少し反省した。断って寝ればよかった。明日の昼間に見ればもう少し違う感想も出ただろう。

 男は苦笑した。


 「クソとはひどいな。ちゃんと“最終回”っていうテーマには沿ってるだろ」


 「はぁ~? ほとんどあんたの休日そのまま垂れ流したみたいなもんでしょ。画が地味すぎるというか起伏がなさすぎるというか、これならその辺の監視カメラの映像見てた方がまだ面白いんじゃないですか」


 持っていたビールの缶を乱暴に机に置いて続ける。


 「これでタイトルが“ハッピーエンド”って何考えてんですか? ハッピー要素一つもなかったじゃないですか」


 「それはほら、なんでもない日常こそが幸せなんだよっていう」


 「そもそも映画っていうのは、それを観た人の心にひとかけら何かを残していくようなものを言うんです。先輩のこれはそういうのが全然ない。これじゃあ映画なんて……」


 そこまで言って深く息を吐いた。

 カフェインが効いて眠気が飛んでいる上に酔っているとはいえ、ちょっと言い過ぎたかもしれない。でも、これをこの人が作った映画とは認められない。認めたくない。


 「撮り直しましょう」


 「え?でも」


 「私も手伝いますから。こんなの出したら観に来たOBに呆れられますし」


 「ごめん……。ありがとう」


 「いえ、一番の理由は私が気に入らないってだけですから」


 気に入らないのだ。こんな半端な作品を、先輩の作品とするのが。

 先輩の考えたテーマで、先輩の決めた題材で、先輩の発想なら、もっと。

 先輩ひとりでダメでも、私が居れば、もっと。

 この人はこんなもんじゃないって、私が信じたいだけ。

 だから。


 「ふたりで作りましょう。“ハッピーエンド”を」

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