橙色の隧道

リペア(純文学)

『橙色の隧道』


午前11時。「古本屋に行ってくる。」と言って家を出ようとする。玄関で「昼までに帰ってくるか。」と聞かれたが、私は無言で発った。古本屋でいい本に巡り会うことができたのなら帰りは遅いし、つまるところもなく何事も無ければ帰りは早い。読書に興味が無い父には分からぬだろうが、本というのは人を一度捕らえると最後のページまで離してはくれない。近頃は本屋に行ってはいなかったが、前は4時間粘った日もあった。本の有り様によってかかる時間は変わるのだ。それを他人事の様に急かす父に向けて、舌打ちの余韻を玄関に残していた。



本屋はトンネルを1本抜けた先にある。自粛期間を経て、己の贅肉を葬り去るべく、健康志向が芽生えた。いつもは自転車で駆けた距離。今日は歩いて本屋に向かうことにした。



家から少し出たところ、最初にある信号で止まった。8月の太陽は台風のできなかった7月の不名誉を憤るかのように地を照りつけていた。セミも例年より少し長い自粛を終え、鳴き盛っていた。



トンネルの前まで来た。それは大口を開け、涼しい風を私に吐いていた。ただ、単に涼しい訳では無い。「不気味な」冷たさであった。




…中に歩み行く。車はまばらで、重機などは通らない時間帯。私は車がトンネル内で私を通り過ぎる時が心底怖かった。


元々大きい音が嫌いで、掃除機から逃げ、トイレの流す音にも耐えられなかった所存。身に染みたこの本能が、大きい音という脅威を反射的に回避しようとするのだ。たった今バイクが通ったが、歩きながら両耳を手のひらで閉鎖させる程であった。




…そのバイクが過ぎ去ると、しばらく車は通らなくなった。乾いたオレンジ色の電灯、トンネルの中は無音が響く。その無音の圧迫に私の心臓が握られ、心拍がきつくなった。私はこの圧迫感が嫌で、トンネルを嫌悪していた。この五臓六腑が底に落ちるような感覚。今にでも歩みを止めたいくらいだ。うずくまって助けを待ちたい。



ただ私がトンネルに嫌悪を抱くなど、他の人は嘲笑うことであろう。たとえうずくまってこの緊迫に怯え、助けを待とうとしても、人は震える私を怪しがって過ぎ行くのみ。あるいは変人として見られ、避けられることの予測は容易だ。


つまり、人より特異な感情を抱く私にとってそもそも“助け”という人はいないことが分かる。


圧迫に救済を求めながら、救済が存在しないことを理解している。私はその撞着にも恐怖を抱くのである。




心ではそう怯えつつ、私は歩みを止めてはいなかった。信号が変わったのだろうか、またトンネル内に車の通る爆発音が鳴るようになった。




…そういえばこのトンネル、非常口が存在しない。私が通るには長いトンネルだが、一般にはそれほどでもない長さという事なのだろうか。


私は“逃げるな”と言われている様であった。人より特異にトンネルに怯え、動揺した心の逃げ道は未だ先にある出口しか無かった。トンネルの出口はまだ見えない。いや、しばらく見えないだろう。


だから私は歩みを止められなかったのだと思う。




───やっとの事で私は熱風に支配された世界に帰還した。トンネルを出て少し行くと右に低木が生えている。それらの周りに咲く花に蜂がたかっている。蟻がアスファルトの上を這い、私の足に驚いたトカゲが茂みに隠れる。目線より遥か下の世界はたいそう長閑のどかであった。



一方私は、外でセミの合唱を聞くとさっきまでの戦慄は嘘のように消え失せた。



いや、消え失せることは無い。


忘却するこの戦慄はまたトンネルに入れば思い出すのだろう、この世に生きている限り。

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