第十五章 現れた妖精ガイア
ロイ、ロイ。
ぼくを……いや、ロイを呼ぶ声がする……。かわいらしい、女の子のような声だ。
ぼくは震える膝を支えつつ、後ろを振り向いた。剣先を下げて、音を立てないように地面に置き、辺りを見回す。
「ロイ、ロイ」
今度ははっきり聞こえたし、姿も見えた。妖精のような、手のひらサイズのかわいらしい女の子だ。背中から、トンボのような羽が生えていて、ぼくの顔の高さのところにふわふわと浮いていた。
「ようやく気付いたのね、ロイ」
女の子が安堵したように言う。妖精のいきなりの登場にも、あまり驚かなかった。ショックには慣れっこになっているみたいだ。
「あ、あなたは……?」
「ガイアよ。人間の守護霊、ガイア。あなたが来てからずっと声をかけていたのに、気付いてくれないんですもの」
「……ガイア……」
確か、日本にいる時に見た夢の中に出てきた、妖精の名前だ。勇者の剣を拾ったロイに突如姿を見せた精霊。
「……魔王は倒れたみたいね、勇者ロイ」
ごくりと唾を飲み込んだら、喉仏がゆっくりと動いた。さっき置いた勇者の剣に目を落とす。それに吸い寄せられるように、ぼくはどさりとしりもちをついた。息が熱い。傷の痛みと体の疲れが、先ほどまで忘れていたかのようにどっとぼくを襲ってくる。そんなぼくを見て、ガイアはふっと微笑んだ。
「――お疲れさま。これで人間に平和が訪れるわ」
「……人間に……平和……」
人間を苦しめる魔王を倒したのだ。平和になる、確かにそうだ。でも何だか実感が湧かない。それよりも……。
「そうよ。これで魔物は死に絶える。疾病も飢饉も起こらない。人間にとっての
ユートピア。そんなふんわりした響きが頭の中で響いた。
「あ、あの……ガイアさん」
「何かしら? ああ、イナとカーロのことが心配なのね」
ガイアはぼくの答えを待たずに、流れるような動作で手を振った。魔法がかかったみたいに周りの景色が薄れて、すぐに、ドラゴンと戦ったあの戦闘会場に戻っていた。カーロとイナが倒れている。
「カ……カーロさん! イナさん!」
ぼくは二人に駆け寄った。カーロに近寄ると、カーロはぼくを見て苦しそうに唸った。ほっとしたぼくの目がかすむ。続いてイナを揺さぶる。イナは、ぐったりしたまま反応がなかった。
「カーロさん……イナさんが……」
「す……捨て置け……魔力を使い果たしただけだ……」
「カ、カーロさんは……」
「……俺なら大丈夫だ。心配するな」
カーロはゆっくりと上半身を起こし、洞窟の横壁にもたれかかった。
「それより……お前の姿が消えて……大丈夫だったのか」
「う……うん。ぼくは大丈夫」
「魔王は……」
「――魔王も、倒した」
カーロの疲れきった顔が、微かに明るくなった。
「そうか」
そう、憔悴した中でも嬉しそうに、何度も頷く。
「あ、あの、でも……カーロさん。なんで……魔王は兄ちゃ……ぼくと同じ格好をしていたんだろう」
カーロは息を整えて言った。
「ありゃ……悪夢だ。頭がおかしくなりそうだったよ。弟を……ケーリを失ったときの自暴自棄な俺を見ているようで……。イナはフリアを相手に早々に倒れたし、俺もあと少しで力尽きるところだった。でも――」
「……でも?」
「――でも、お前が倒してくれたさ」
そう言ったカーロの表情は、とても穏やかだった。
そこへ、ガイアが割り込んだ。
「魔王は魔法が使えるのよ。敵が一番怖いと思うものに化けていたに決まっているわ」
「一番怖いもの……?」
一番怖い? ぼくはフリアもキメラも、ドラゴンも怖かった。フリアと戦うイナも、ぼくに槍を向けたカーロのことも怖かった。この世界にあるものは全部恐ろしかった、そりゃそうさ!
最後に戦った、兄ちゃんの姿で現れた魔王のことを思い出す。兄ちゃんが一番怖い、日本にいたときは確かにそう思っていたと思う。だけど、キメラもドラゴンも力を合わせて倒して、最後に魔王も打ち負かしたぼくとしては……。
「ロイ……動けるのなら……ポーションを取ってくれ」
ぼくははっとした。両腕の切り傷が、忘れたように痛み出す。ぐったりとしたイナに駆けより、近くに落ちている鞄からポーションの瓶を取り出した。
それを飲んだカーロはほっと息をつき、すぐ立ち上がれるまでに回復した。ぼくもポーションを傷口に垂らした。鈍い痛みは残ったものの、すぐに傷は塞がれ、出血が止まった。
「……ロイ」
カーロがぼくを真っ直ぐに見て、口を開いた。
「なに」
「……本当に、よくやった」
なんと返したらいいのか分からなくて、ぼくはただ、頷いた。カーロは満足そうに笑み、よたよたと足を引きずりながらイナの下に歩み寄った。荷物を背負うと、イナを軽々と両腕に抱き上げる。
「帰ろう、ロイ。俺たちの
「――うん」
示し合わせてあったのか、ガイアがすらすらと呪文を唱え、ぼくたち三人を光の中に包み込んだ。眩しさに目を閉じると、次に開けた時には既に草原に着いていた。夜だ。頭上で、二つの月が煌々と照っている。
「今夜は枕を高くして寝られるぜ」
「……なんで?」
「魔王を倒したんだ。もう魔物は出てこないさ」
「……そうなんだ」
草の隙間をさわさわと吹き抜けるそよ風が心地よい。本当に嬉しそうなカーロの表情を見ていて、悪い気はしなかった。
カーロがイナを起こそうとする声が聞こえる。ぼくは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。気分だけでも、自分の心身が浄化されていくような気になる。
そして、さっき聞きそびれたことを思い出した。
「ガイアさん」
「何かしら、ロイ」
「……ぼく、ロイじゃないんだ。本当は」
驚いたことに、ガイアは大して動じなかった。
「そうね」
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