第十三章 対魔王戦

「お前だな……ロイに化けて昨日俺を襲ったのは」

「さて。私に用があるのは貴様だろう、勇者ロイ」

 名指しで呼ばれたぼくは、ぶるっと体を震わせた。魔王の姿を見てカーロが逆上したのか、ぼくを押し退けて前へ進み出る。

「うるせえ! ロイ、イナ、かかるぞ!」


「狩人と魔法使いは黙ってこいつらの相手でもしていてくれ」

 カーロは目を剥いた。

 魔王の左右の空間が揺らいで、そこから人間が二人……いや、片方は魔物だ。カーロにそっくりの、でも若い少年と、上半身が女体のフリア――そのフリアの顔が、イナにそっくり……。

 三人が三人とも、自分にそっくりなやつと相対した訳だ。


「ど、どういうことだ……お前は……」

「……フ……フリア……」

 カーロとイナが呻き声をもらした。二人とも、ちょっとへっぴり腰になっている。少年とフリアは、魔王のそれと同じ表情を浮かべながら、静かに二人に歩み寄った。


 カーロが、耐え切れずに飛び出した。自分そっくりの少年向けて、槍を突き出す。少年はにこりと笑って、自分も槍を抜いた。カキインと金属音が鳴って、火花が散る。


 イナも呪文を唱えていた。ぼくが初めて見た、あのときの我を忘れた表情で。

「炎」

 イナの四方八方から、炎が飛び出した。それはフリアにも、ぼくたちにも分け隔てなく襲いかかる。カーロがびっくりして叫んだ。

「イナ! しっかりしろ!」

 そうだ――イナはフリアに対峙すると、敵も味方もなくなってしまうんだ。だがイナは聞いていない。

「鋭い刃」

 重ねて叫ぶと、洞窟内を鋭い刃が飛び回った。危なっかしくて、ぼくもカーロも、慌てて伏せた。

「イナさん!」

 ぼくも叫んだけれど、イナの耳には届かないようだ。


 目の前に立った魔王が、帯刀した剣をゆっくりと抜く。ぼくは伏せた格好のまま、大きく目を見開いた。

「勇者ロイ……決戦の時だ」

 魔王は、そう冷たく言い放った。


 すぐ傍にいるはずのカーロが、イナが、すうっと遠のいていった。ぼくは慌てて四方を見渡した。誰もいない。目の前の、魔王だけ。イナの魔法の炎も、刃も飛んでこない。


 ゆっくりと体を起こして、魔王を見る。魔王……兄ちゃんの顔を。

「に、兄ちゃん……」

 魔王は眉を持ち上げた。

「兄ちゃんでしょう、その顔は……。兄ちゃん」

 魔王はおかしそうに笑った。

「魔王たる私に、兄弟などいない」

「で、でも……兄ちゃん!」


 キメラに襲われた川辺で自分の顔を水に映したみたいに。その前の日に見た夢でそうだったみたいに。ぼくの目の前には、紛れもなく「兄ちゃん」がいる――ぼくにそっくりな存在として。

 口調こそ違えど、声色は兄ちゃんそっくりだ。ぼくは震えながら、勇者の剣を構えた――兄ちゃんに、向けて。苦しい気持ちが腹から突き上げてきて、剣が重たくなった。

「兄ちゃん……なんで兄ちゃんがいるの……」

 魔王はもうぼくの言葉を聞かずに、剣を構えて真っ直ぐに飛び込んできた。まるで剣道の要領だ。この異郷の地で、日本の剣道――? ぼくは咄嗟に、魔王の狙ってきた胴を打ち落として面を打とうとし……すんでのところで我に返った。


「……兄ちゃん……」

「貴様には兄弟はいないはずだ、勇者ロイ」

「ぼくはロイじゃない……」

「無駄話は程々にしておいた方が身のためだ」


 そしてまた、打ち込んできた。ぼくは自分の勇者の剣で、それを受ける。竹刀だと小気味よくしなるだけなのに、真剣はそれに加えて不気味に唸った。耳に痛い摩擦音がする。

「本当に……あなたが魔王なの? 兄ちゃんじゃないの?」

「――戯言を。混沌を統べる魔王は、この私だ」


 冷たい視線で、冷ややかに言い放つ。ぼくの背筋がぞくっとした。姿も、声も、兄ちゃんそのままなのに、その言葉にはあまりにも抑揚がなさ過ぎる。

 つばぜり合いを制して、魔王はぼくの懐に飛び込もうとした。ぼくは後退してそれをかわす。間合いができた。


 ――気持ちが悪い。あの、勉強一筋で帰宅部だった兄ちゃんが、竹刀を通り越して真剣を握っている。そしてぼくを真っ直ぐに見つめ、今すぐにでもぼくの首を切り落とさんと……。


 そうしてもう一つのことに気付き、ぼくの背筋はまた寒くなった。あの目つき、あの視線。いつも兄ちゃんは、あんな表情をしている。死んだような、覇気のないあの顔を……。

 あまりに似過ぎている。


「……兄ちゃん……」


 ため息をもらしたそれが隙になったのか、魔王は中段に構えて踏み込んできた。慌てて体勢を戻しながらも、ぼくは感じてしまう――魔王のくせに、大したことない。中学生剣道部員が、引けを取らない程度なのか……?

「本当は……兄ちゃんでしょう」

「――何のことだ」

「兄ちゃん、兄ちゃん! ぼくの兄ちゃんでしょう。勇者ロイのじゃない、黒井隆広の!」


「――血迷ったか、勇者ロイ」

 急に、魔王の剣さばきが素早くなった。休む暇もなく、技を次々と繰り出してくる。ぼくはそれをあたふたしながら受けた。

 ぼくが今、勇者ロイに成り代わっているように、兄ちゃんも魔王に成り代わっているのだとしたら……?

「兄ちゃん、兄ちゃん! ぼくだよ、隆広だ!」

「無駄口はその程度にしておけ。先程忠告したはずだ」

「兄ちゃん、ねえ、思い出してよ!」

「――よほど死にたいらしいな」

 ぼくはぎくっとした。死ぬ、という言葉に対する、言いようのない拒否反応だ。

「死ね! お前なんか、死ね!」

 兄ちゃんがそうやって……毎晩毎晩母さんに言いつづけてきたから……母さんは倒れ……死にかけた……。


 はっと我に返ったときには、体勢が崩れてしまっていた。兄ちゃんが――魔王が振りかぶった剣がぼくの耳をかすめる。髪の毛が何本も持っていかれ、耳にざっくり切れ込みが入るのが分かった。ぼくは思わず、剣から片手を離して耳を押さえた。

 続いて一閃させた魔王の剣は、見事にぼくの剣を叩いた。衝撃は片手では受け止めきれず、ぼくは勇者の剣を取り落としてしまった。それを見て、魔王がおぞましい笑みを浮かべる。


「油断したな、勇者ロイ」


 そう言って、面を狙って振りかぶってきた。ぼくは目を見開く。頭を庇おうとして十字に掲げた腕めがけ、真剣が真っ直ぐに入り込んだ。肉の繊維が切れていく――神経が――骨の髄に達し――痛みが――。


「ぎゃあっ」


 ぼくは叫んで、転がり込んだ。腕が焼ける――痛い! 腕がぱっくりと割れてそこから鮮血がざあざあ流れ出ていた。痛い、痛い! すぐに両腕とも、血まみれになる。

 ――魔王は依然として、嘲笑の笑みを崩さない。気味が悪い。あれは本当に……兄ちゃん?

 さっき思っていたことと相反する思いが湧きあがってくる。痛みが加わって、悔し涙がこぼれた。


「ここまで辿り着いたことは、誉めてやろう。だが貴様はまだまだ私と渡り合えるほどではない」

「兄ちゃ……いや、魔王……」

 よろよろと体を起こし、痛みを堪えながら言った。

「何で――最後の敵のはずの魔王が、兄ちゃんの姿を……」

 魔王は少し考え込む顔つきになったが、それもすぐに戻った。

「貴様が知る必要はない」

「ほ、他の二人は……? カーロに似た男の子と、イナそっくりのフリアは……?」

「貴様には関係のないことだ」

「なんで――」

「それよりも」

 魔王は笑いを引っ込めて、また剣を構える。

 勇者の剣に似ている。でも勿論、勇者の剣ではないだろう。勇者の剣はぼく、勇者であるロイにしか抜けないんだから――。

「よほど死にたいらしいな」

 その言葉に、ぼくはまたぎくっとした。魔王が間合いを詰める前に、走って逃げる。いやだ、いやだ、いやだ……。魔王は呆れたように、逃走するぼくを見た。

「戻って来い、勇者ロイよ。貴様は何のために、私の住処を侵したのだ?」

「ぼ、ぼくは……何も……」

「自らの言動を律しないとは。天下の勇者たる貴様が、呆れたことよ」


 ぼくはぞっとする。兄ちゃんが、ぼくに向かって、嘆かわしそうに呆れたことよなんて言うんだ。様にならないなんてもんじゃない。それでもその知的な顔と冷たい相貌には、よく合っていたのかもしれないけれど……。


「――兄ちゃん、やめてよ」


 魔王は首を傾げる。


「中にどんな悪魔が取り付いたとしても、兄ちゃんは兄ちゃんだよ。やめてよ、兄ちゃん」

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