第十二章 「お前はロイじゃないみたいだ」

 身を伏せたままのカーロが息を呑んで、不意をつかれたイナが慌てて呪文を唱える。

「氷」

 けれど、それは少し遅かった。ドラゴンの炎は氷の壁を看過して、ぼくに直撃した。


 体験したこともないような痛みが、全身に走る。焼ける、燃える、……熱い! ぼくは悶絶しながらのた打ち回った。ロイ、ロイ。誰かがぼくを呼ぶ声が聞こえる。


 いや、隆広、か? ぼくを呼ぶ声は、何と言った? ぼくのことを、隆広と呼んだか?


「畜生、ロイ!」

 よく通る男の人の声が、周りの空気を震わせた。それに被せるように、イナが大声で叫ぶ。

「水」

 ぼくの頭上で大きなバケツをひっくり返したかのように、大量の水がばしゃんとぼくに降りかかった。ぼくを包んでいた炎が、いともあっけなくくすぶって、消える。ぼくは呆然としつつも、すぐに身を起こした。


 カーロが槍を手に飛び出していた。怒れるドラゴンは、鋭い目つきでカーロを睨み、また火を噴こうとした。だがカーロはそれよりも早くドラゴンの下に辿り着き、柔らかい喉をめがけて、槍を力いっぱい投げた。槍がぶすりと突き刺さったドラゴンは息を詰まらせたものの、大して動じた風ではなく、自分に向かってきたカーロを首を振っていなしただけだった。軽く触れただけなのに、カーロは吹っ飛ばされて洞窟の壁に勢いよく叩きつけられた。


「カーロ!」

 イナが叫んで、カーロに駆け寄ろうとした。カーロはうめいて体を起こそうとする。ドラゴンは苛立たしそうに咆哮し、また盛大に空気を吸い込んだ。

 また火を吐くつもりだ! でもイナは気付いていない。カーロに気を取られているんだ。カーロはイナ越しにドラゴンを見て、はっと息を呑んだ。イナに注意を促したけれど――もう遅い。


 焼け焦げた体で、ぼくはよろよろ立ち上がった。二人が――二人が、危ない。助けなくちゃ。だって……勇者はぼくなんだから。剣を片手にドラゴンに向かって走ると、体中の関節がぎしぎし鳴った。あまりの痛みに涙が滲む。


 ドラゴンの前足を踏み台にジャンプすると、ぼくはカーロが刺した槍の隣に飛び込んだ。喉の、肉の柔らかい部分に、柄まで突き刺した。浅く刺さっていたのか、反動でカーロの槍がポロリと抜け落ちる。そして今度こそ有効打撃になったのか、ドラゴンが壮絶な悲鳴を上げて暴れまわった。ぼくは振り落とされまいと、喉に刺さった勇者の剣の柄をしっかり掴む。

 カーロが立ち上がって、落ちた槍を拾い、ぼくと同じように飛び上がってドラゴンの喉に突き刺した。そしてドラゴンの首根っこにしがみついて、手元の槍を素早く動かす。ドラゴンの肉を抉っているのだ。返り血が、カーロにもぼくにも降りかかる。しかしカーロは表情を変えない。ドラゴンの悲鳴だけが鳴り響き、ドラゴンを切り裂くカーロに拍車をかける。


 そしてドラゴンは、自身に残された最後の息を吐ききって、ゆっくりと倒れた。カーロはさっと飛び降りて転がったが、ぼくはドラゴンの頭と一緒にぶらんと振られてしまい、遠心力で大きく放り出された。

「網」

 イナが叫ぶのが聞こえて、ぼくは何かにぶつかった。それは緩やかにバウンドし、ぼくを優しく地面に投げ出してくれる。イナが駆け寄る足音が聞こえた。

「ロイ! 大丈夫?」


 ――ああ、無茶をやった。

 ぼくは信じられない思いで、自分の体を見返した。網にはじき返された格好のまま、ぼくは胸を上下させる。体中が痛い。そう、まさに燃えているかのように。

 イナがぼくの手に何かの瓶を押し付けた。ポーションだと分かって、ぼくはそれを震えながら数口飲んだ。昨夜顔の怪我に塗ってもらったときのように、痛みがすうっと引いて行き、全身が楽になる。

 イナはポーションの残りを受け取ると、カーロに手渡した。ぼくはその様子を見ながら、体を起こした。カーロはほんの一口だけ薬を飲んだ。そしてドラゴンに歩み寄る。


 白目を剥いたドラゴンが、そこに倒れていた。

 倒したんだ――。そんな思いが、ぼくの全身に染み渡った。あの、火を噴くドラゴンを。ぼくたちが。

 ドラゴンの目に突き刺さった矢を引き抜くと、カーロはぼくの方へ歩を進めた。

「大丈夫か、ロイ?」

「うん、大丈夫。カーロさんは?」

「……お前……」

 カーロが言葉を飲み込んだので、ぼくは首を傾げる。するとカーロは苦々しそうに笑ってみせた。


「……お前、ロイじゃないって言ってたよな?」

「え、うん」

「本当に、今のお前はロイじゃないみたいだ」


 荷物をまとめていたイナもやってきて言う。

「本当に。あなたはロイじゃないみたい」


 ぼくはちょっと顔をほころばせ――でも、何故だか複雑な気持ちになった。ぼくは本当はロイじゃなくて、黒井隆広という人間だ。でも何かが間違って、ぼくがロイという人間になってしまっている。ぼくがロイじゃないというのは確かだけれど、でも黒井隆広を認めてもらえたわけでもないようだ。

「うん、あの……」

 曖昧に頷いたとき、ドラゴンの向こうから何かが姿を見せた。カーロが槍を構えて振り向き、イナも硬い表情で振り返る。ぼくも、落ちていた剣をあたふたと拾った。


「勇者ロイの一行か」

 よく通る声だ。声の主は、ゆっくりとこちらへ向かって歩いて来る。ゆったりとした衣服に体を包み、人を食ったような笑みを口元に浮かべている。

「お前が……魔王……?」

 現れた人間は、愕然とこぼしたカーロに向かって頷いた。カーロがあまりのショックに膝をつく。イナも、あんぐりと口をあけて震え出した。魔王は、ゆっくりと、ぼくに目を向ける。


「地獄へようこそ、勇者ロイ」

 不敵な笑みを浮かべたその顔は、ぼくの兄ちゃんに……つまりは勇者ロイに、……そっくりだ。

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