第11話 素に直に

つい先日オープンしたという洋菓子屋さんの焼き菓子セットを持って、母さんが何時間か滞在していた。

「お父さんの話だけど」

マドレーヌ、レモンケーキ、カヌレ、どれもバターたっぷり練り込まれていて、口当たり滑らか。最近飲めるようになったブラックコーヒーに合いそうなメンツだ。

「あ。パパじゃなくて。あんたの、実のお父さんのほうね」

養父と実父。この言葉を使い分ける事にまだ慣れない。ふと考えた。養父はパパなら、実父は何と呼べばいいのだろう。

「わかってるわよ。母さんがお父さんと呼ぶ人なんて、じいちゃんくらいじゃない」

「まぁ、そうだけど。思えばじいちゃんが亡くなってからは、お父さんって呼ぶことも無くなったじゃない。だからいまちょっと不思議な感じ」


私はある日突然、ブラックコーヒーが飲めるようになった。そのある日とは、つい二日前の事で、突然だった。


苦味は程よく。酸味は少なく。コクがあってスッキリ飲み心地爽やかを好む。今のところの好みは、そんな感じだ。この先好みは変わるかもしれないが、とにかく酸味が強いのは苦手ということははっきりしている。二日間でここまで好みがはっきりしているのも不思議で、自分はまるで昔からコーヒーが大好きなカフェイン中毒者だったかのような身体になってしまった。

以前は微糖も、ミルク入りも、コーヒー牛乳以外のコーヒーとつく名前の飲み物が苦手だった。きっかけは、病院の自動販売機のブラックコーヒー缶を見つけた時だ。服用している薬の影響で、チャレンジ精神に火がつき、試しに買ってみて、飲んだ。

ここ最近で、一番驚いた出来事だった。

いまから、それ以上に驚くような話が始まるようだが、多分、この出来事に勝るとは思えない。


「と言っても、あんたにとっては本当にただの血縁上の父親。それ以上でもそれ以下でもない。他人って呼んでもいいくらいの人よ。」


父親のことを聞きたいと言ったのは私だ。


「でもさ。私は今から、一度も会ったことのない父親の事を詳しく知ることになるんでしょう?パパが悲しみそう」

「そう思うなら、聞かなきゃいいのに。あの人なら大泣きしかねないわよ」

記憶の中のパパは、時々変わる。

優しかったり、厳格だったり、親バカだったり、そして、とにかくお人好しで、誰からも好かれる人だった。

私の友達からもすごく好かれていた。

私は、苦手だった。

自分はおまけなのだという意識、感覚、その場の空気の重みが、パパに対して抱いていた苦手意識を増幅させた。


もしパパが生きていたら、どうだったのだろう。

亡くなってからもぼんやりとそう考えることはあったけれど、成人してから、もっと具体的に夢見るようになった。


「高校三年生であんたを身篭った時、あの人は刑務所にいたの。窃盗罪やら、薬物やら、色々やっていて。挙げだすとキリがないらくらい、なんでも。まぁ、刑務所に入っていてもいなくても、どのみちロクな男ではなかったから、どうせあんたのことは一人で産んでたわ」

「わぁ。本当にロクでもない」

まるでちょっとした小噺を聞いてる気分になり、お腹を抱えて笑った。

「そうそう。で、そいつにね、せめてあんたが出来たことくらいは言わないとって思って、面会に行ったのよ。そしたら何て言ったと思う?ムショから出たら、家族3人で住む為の家を建ててくれって言ってきたの」

「で、建てたの?」

「建てるわけないじゃない。あいつ、本当に頭おかしいのよ」

私のお腹はもう限界だった。実の父親の話を聞いて、ここまで笑う日がくるとは思わなかった。次第に母さんも私と顔を見合わせて笑い出し、お腹を抱えた。

「もう、母さん、なんでそんな男好きになったのよ」

「当時は母さんも荒れてたのよ。金髪で、問題児で、高校にはバイクで通って」

「高校の窓は、割った?」

「恥ずかしい話、」

割った。

その一言で、二人で同時に大声で笑い出した。

この話は、中学時代に聞かなくてよかったと心底思う。だって、当時聞いていたら、こんなに二人で笑えなかったから。


「でもね、その人も可哀想な人でね。まぁまぁ複雑な家庭環境で育ってきた人だから、グレて当然と言えば当然かな。食事は床の上でカップラーメンとか、ご両親と会話なんて年に一回あるかないかとか」

「なにそれ、カップラーメンはまだしも、親と会話しないって、どういう状況?」

「うーん、詳しくは知らないけど。でも、ひどい環境で、その中でも母親が最低だって聞いたことはあるわね」

「母親かぁ」

どの家にも、母親との確執はあるんだなぁ。

でも、私と母さんは、こうして少しずつ改善されていっているし、父親も、その母親も、どうにかならなかったのだろうか。

「あんたの父親ね、高校の時に養子に出されたのよ」

「は?養子?」

「と言っても、あんたの父親の父親の弟…叔父さんのほうにね。」

「そんなことってあるの?」

自分も戸籍上ではパパと養子縁組の間柄だから、一応「養子」と表記されている身だけれど。

「弟に子が出来そうもないからだとか、そんな理由だったかしらね。もちろん、あんたの父親の意思は関係無いけれど」

「背景が想像出来ない…」

「昔は名の知れた旧家だったから、古い考えの人がまだ生き残っていたのかもね」

「きゅうか…」

そんな話をしていた二日後くらいに、「今度父親の顔見に行く?」と言われ、意外と乗り気な私、貴重な一時退院の日に、母さんと二人で不思議なドライブに出かけた。

久しぶりに二人でブリトニー・スピアーズを聴きながら、約20分ほど車を走らせた。


「My loneliness is killing me〜♪」

「And I〜♪」


こうして二人で音楽を聴くことも、ドライブをすることも、目的に向かって歩くのも、何年ぶりだろう。


母さんに彼氏が出来てからは。

いつもは忠実子さんがいたから、寂しさなどなかった。

けれどいまは、忠実子さんがいない。

つまり、私は寂しかったのだ。

母さんに対しても、忠実子さんに対しても、寂しさを感じていた。


こんな曇り空の日だからか、「今日は降りそうね。編み物でもしましょうか。」なんて幻聴が聞こえる。まさか忠実子さんはもうすでにこの世にはいないので、このような声が聞こえるのだろうか。

寂しさを埋めるように、ひたすら歌った。


「Hit me baby one more time〜♪」


目的地に着いてまず、驚いたこと一つ。


場所は県内で一番大きい駅前。車通りも、人通りも抜群に多い。なので、何かを抗議したり、誰かに訴えかけるには最適の場所。


「そう!つまり我々は!天皇の為に!生きているのです!」

大柄で、真っ黒のスーツをパンパンに着こなす(?)男性数人が、大型ワゴンのような乗り物の上に出立ち、両腕を後ろに回し、まるで「三三七拍子」でも唱えようとしているかのような姿勢。


そして、驚いたこと二つ目。

大柄と言ったが、少々訂正。全員肥えていた。

「嘘でしょ。」

「まぁあの中に、あんたの実の父ちゃんがいるわけですよ」

「何よ、私デブの父さんから生まれたってこと?」

「産んだのはわたしだけどね」


そんな。こんなところでみっともない抗議をして生計をたてている父親ならば、せめて普通の体型でいてほしかった。感動の再会などは望んでいなかったけれど、(そもそも陰からこっそり眺める程度という話だったし)こんなのひどい。


それに、あの数人の中でも一番のトップの人間らしい。次第に前に出る人間は変わり、やがて実父が登場した。よく見えなかった顔がよく見えるようになった。

たしかに、二重は同じだ。痩せていたら、割とイケてるほうな気がするけれど、目の下のクマや、シワのあるスーツから、不摂生が滲み出ている。


「なんでみんなあんなに太ってるの」

「さぁ…あんたの父ちゃんに関しては、糖尿病の家系だからなぁ…」

「ってそれ、私も関係してるじゃない!」


ぎゃあぎゃあやりとりは終わり、急に白けた私たちは、さっさと家路を走った。

なるほど。

ろくでもない人間からは、ろくでもない人間が生まれる。私がろくでもないかどうかはともかく、父親があれでは、間違ってはないけど、正しくもない。

私はもう片方に似ることを(もう遅いかもだが、一応)望んだ。


私が母さんに似たいという気持ちが生まれたことに、驚いた。

驚いたことは三つになった。

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コスタリカで待ってる 或名木綿子 @yucoli67

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