不死の特性を持つ吸血鬼ふたりが、家で共に食卓を囲むお話。
歴史の影に生きる吸血鬼の姿を描いたローファンタジー、あるいはある種の『if』を描いたSFです。が、その辺(区分けとしてのジャンル名)は正直どうでもいいというか、もしこの作品をひとことで紹介するのであれば、もっと別の単語を探したいような印象。ちょうどいい言葉が見つからなくて困るのですけれど、それでも無理矢理形容するのであれば、「人間の機微、心の細やかな有り様を描いた物語」というのが一番直観に近いかもしれません。というか、そこが好き。
面白かったです。とてもよかったのですけれど、でもどうしよう本当に言葉にできない……とりあえずぱっと見てわかることとして、文章の感覚がとても好きです。簡潔でわかりやすいのに情緒的というか、視点保持者の心情をその手触りごと活写したかのような一人称体。語り口だけでなく物事の切り取り方まで含めて、文章・文体そのものに人柄やその時々の感情を重ねる、この文章のウエットな感触が本当にたまらん感じでした。一文、あるいは一語から読み取れるものの多さ。
全体の構成は少し風変わりで、ふたりの主人公それぞれの視点を、各話ごとに交互に行き来する形で書かれています。なんならストーリーそのものも主人公ごとに別々と考えてもいいくらい。ただそこで生きてくるのが先述の文章の魅力で、書き分け、という言い方が正しいかどうかはわからないのですが(なにしろリズム自体は一緒というか、抵抗になるようなデコボコ感はない)、でも描かれているものの質感の違いにびっくりしました。
例えば男性の方(『おれ』)。淡々と、客観的な事実をただ並べる形で語られる物事。そしてその多くがこれまで歩いてきた足跡、すなわち過ぎ去った過去の物語であること。
そしてもうひとりの女性(『わたし』)。描かれるものは主に現在で、その先に見ているものもどちらかといえば、『わたし』や『貴方』の内側に存在している何かであること。
ずっと終わることができなかった人と、きっと終われないこの先について思う人。同じ不死の悩みを抱えながらも、まるで見ているものが違うふたり。互いの関係性の中にどうにもできない〝何か〟を抱えながらも、でもこの先も永久に共にあり続けるであろう/あり続けざるを得ないふたりの、この、こう、なんというか、あれです。何か。いやすみませんだってなんて呼べばいいのこの気持ち……ちょっとそう簡単には言い換えることができない、そういうものをこちらに投げつけてくれるお話は、間違いなく素晴らしいものだと断言できます。
特にそれが顕著(というか濃厚?)だったのが、やはり最終話である『幸福ぬ・終わら(終わらぬ幸福)』。この辺もうものすごく読み取れるものが多いというか、読んでいてビリビリ伝わってくるものがあるのに、でもそれを安易に「わかる」とは言いたくないところが本当に大好き。仮に自分なんぞがわかってしまったら、つまり吸血鬼でもなんでもない自分の理解の射程内にそれを翻訳してしまったら、その瞬間に魅力だけが一気に色褪せてしまいそうな恐れ。
感想にしてしまうのがもったいなく、何かを語るのもおこがましい。まるで大事な宝物のような「良い」を与えてくれる、壮大・壮絶ながらも繊細な物語でした。面白かったです!
物語の組み立て、構成のうまさ、ギミック、読者を驚かせるというのがとても上手、という作者の素晴らしい技術力は前提として。
今回の作品は一文一文が丁寧で、心に残る。ようは「エモい」
なにかで読んだことがある気がするあいまいな記憶ですが、
「純文学というのは、一つの文章にたいしてコスト(情報量、与える感動)が高い」(記憶があいまいなので純文学が主語じゃないかもしれないし、言い回しが違うかもしれません。悪しからず)
ようは、この作品がものすごくコストが高いってことです。
以下に好きな部分を書き出していきます。
(問題があると指摘されたら消します)
※以下作品内抜粋するため、未読の方はご注意を
『どういう原理か、飲み込めてしまった。』
(→ここで不死性、というものが「当事者もわからない」ものである、と
完結そして違和感なく説明できている)
『ねえ、あなたは、幸せだった?』
(→カニバリズムからこうくるとは思わないじゃないですか……すき)
『同類がいなくなり、何もなくなった。
何もなくなったから、何でもなかった。
何でもなかったから、何者でもなくなってしまった。』
(→最高すぎてなにもいえない)
『ただ、ふわりと小さく死んでしまいたい。
それを叶えてくれる貴方とずっと抱き合っていたい。』
(→短歌のような、詩を思わせる、手の届く範囲内、きっと二人の中で届くだけの『小ささ』と慈しみ。うつくしい……)
この後はすべてえもいので、未読のひとは読んで確認してください。