エピローグ
眼下には俺の知らなかった世界、魔界が広がっている。
魔界。それはスリルと危険とデンジャラスが跋扈する異世界。その広い世界で俺が知っているのは、まだこの足元に広がるうちのほんの僅かな場所だけだ。それでも俺はもう一生分、いや何度も死んでるからたぶん数百生分くらいの経験をした。きっとこれからもっと多くの体験をするのだろう。そのほとんどはスリルか危険かデンジャラスなのだろうけれど、ほんのちょっとだけでも、楽しいこともあると俺は信じている。
薄雲が足元を横切るような高さの崖に座り込んで、俺とつくもは足を揺らせながら、日の暮れていく魔界の景色を眺めていた。
「あ、央真さん。今エルフェリータの辺りからなんか飛びませんでした?」
「そうか? 小さすぎてなんも見えねーよ。鳥じゃないのか?」
「そうですかねぇ。私にはまたティアに吹っ飛ばされたリストに見えたんですが」
「それはシャレにならないからやめてくれ……」
彼女はからからと笑うと、また眼下を眺める作業に移った。それからしばらく、俺達は何も話さないまま、段々と町の光が鮮明になっていくのを見守っていた。
俺が遠く山岳に落ちていく見知らぬ星々を数えている頃にようやく彼女は口を開いた。
「ここに来るのは央真さんが魔界に初めて来た時以来ですね」
「そうだな。あん時はほんとに言葉が出なかったよ。まさかその魔界で暮らしていくことになるとはなぁ」
「……」
返事がないことに違和感を覚えて振り向くと、彼女は何か複雑そうな表情を浮かべていた。また何か変なことでも考えているんじゃないかと不安になったが、その口から出てきたのは大層弱気そうな声だった。
「……その、央真さんが魔界に戻ってきたのって私やリストのためですよね」
「ん? まぁそうっちゃそうだな」
「じゃあ、やっぱり私が央真さんの夢を諦めさせちゃったってことになります、よね……?」
なんだ、そんなことか。珍しく殊勝なことを言うものだと驚いたが、別にそんなことは露ほども気にしていなかった。彼女にはそんな態度は合わない。いつも通りわけのわからないことを言っていてもらわないと。
「逆だよ。つくも達のおかげで夢を思い出せたんだ。感謝してるくらいだよ」
「本当ですか? 嘘ついたら針千本血管に流し込みますよ?」
「……お前はうろ覚えの知識を魔界リノベーションさせるのをやめろ」
元々それなりに恐い文句が想像を絶する拷問になってるじゃねーか。
しかし彼女には他に何か懸案事項があるのか、どこか緊張した様子で指をクルクルと回していた。
「央真さん、って友達を作って、遊んだりするのが目標だったんですよね」
「そうだな。普通に駄弁ったりゲームしたり……あ、こっちにゲームはないか」
「へ、へー……そういえば、私もそんなに友達多くないんですよねっ。央真さんは私の実験動物、でしたけど、目標を諦めさせるのも悪いですし、その……」
彼女はどこか空のかなたに視線を向けながら声を上ずらせた。
「改めて、わ、私と……と、ともっ――」
「央真様ぁ」
その声に振り返るとマリナが何かの器を持って立っていた。穏やかな笑顔を顔に張り付けて小首を傾げている。
「おぉう。相変わらず気配の欠片もなく背後に立ってるな」
「はぁい、魔女の得意技ですからぁ」
「それで、どうしたんだ?」
彼女は手に持った小さい鍋を軽く持ち上げた。……中からは何か動物の鳴き声のようなものが聞こえた気がした。
「今、料理の仕上げをしているんですが、央真様は痒いのとくすぐったいのどちらが好みか聞こうと思いましてぇ」
「……できれば味覚の二択にして欲しい」
「では、甘いのとしょっぱいのでしたら……?」
「うーん、まぁしょっぱい方かな」
「はぁい、わかりました。もうすぐ準備できますからねぇ。楽しみにしていてくださぁい」
そういって彼女はくるりと回って、静かに丘を下っていった。その背中をしばし目で追ってからつくもに向き直る。
「あ、すまん。なんか言いかけてたよな。なんだっけ?」
「へ!? いや、だから……その、これからは飼い主と実験動物じゃなくて、と……とも……ともだっ――」
「央真にぃ」
再び振り返ると、今度は銀髪の少女が背後に立っていた。
「おう、リッカ。どうした?」
「歓迎会、そろそろ始められる……央真にぃたちも……来て、って……」
「そうか、もうそんな時間か」
「わたしも……いっぱい……手伝った……!」
彼女は誇らしげに胸を張った。その頭を撫でてやると、彼女は恥ずかしそうに顔を手で覆った。
「この前は、久々に……お母さんとお話し……できたし……友達も……たくさん、できた……。今日は……おいしいものも、たくさん……。央真にぃといると……たのしいこと、いっぱい……!」
「そっか、そりゃ良かった。これからもよろしくな」
「うんっ……!」
髪をくしゃくしゃにしたまま、彼女は無邪気に駆けていった。その微笑ましい様子を眺めてから視線を戻すと、つくもは反対にむくれていた。
「……どうした? いつもはリッカがいると機嫌いいのに」
「ふーん、何でもないですよっ。央真さんは友達沢山できたみたいでいいですねっ」
「え、そう見える? やっぱ友達でいいんだよな。うわ、嬉し過ぎて吐きそう」
「んもうっ! 『純真無垢な人を騙して奪った魂を切り刻む悪魔』みたいな笑顔しないでくださいっ!!」
「いやそこまで酷くはねぇよ!? というかどうしたんだ、そんなに怒って……」
「だから……だから私は……これから央真さんとっ……!」
そこまで聞いてようやくわかった。なんだそんなこと心配していたのか。まぁ彼女には大事なことなんだろう。
「わかってるさ。お前にとっちゃ俺は実験動物のままだ、って言いたいんだろ? まぁ危険なのは勘弁だが、お前の夢は自由にできる人間が不可欠なんだもんな。仕方ないからもうしばらくはお前を飼い主だって思ってやるよ。な、これで安心だろ?」
それを聞くと、つくもは長々と唸って、
「~~~~っっっ!! バカ! 央真さんのバカ! 馬鹿央真さんっ! ヘタレ人間!! ケンタウロスのケツ毛ぇ!!」
「意味はわからないけどめちゃくちゃ酷いこと言われてる気がする!! というか蹴るなっ!! 落ちるっ、落ちるからッ!! やめ、蹴るなやめイヤあぁぁーーーーー!!」
こうして一人の魔王がまた死んだ。かもしれない。
これからもそうやって、この魔界で何度も死んでは戻ってくるのだろう。それは辛いことなのかもしれないけれど、あいつらがいる限りは、また何度でもここに戻って来たいと思っている。
俺はそうやって、この魔界で誰かと生きていく道を選んだのだった。
◇◇◇
「わぁーっ! 私こんな豪勢な食事見たことありません! ティアが全部作ったんですか?」
「マリナちゃんやリッカちゃんにも手伝ってもらったわよ。今日は新生フィフィの開店祝いも兼ねてるからねっ」
「央真にぃ、これわたしつくった……食べて……」
「央真様、これは私が。食べさせてあげましょうかぁ?」
「い、いや一人で食べられるから……。というか乾杯はしないのか」
「乾杯? なんだそれ。めんどくさいのなら勘弁だぞ。オレは早くティアさんの料理が食いたくてウズウズしてるんだ」
「いや、そんな難しいのじゃないよ。こうグラスをぶつけて……」
「叩き割って力を誇示するんですね! 人間らしい浅ましさです!!」
「違う! ただの挨拶だよ。誰か中心の人が音頭を取って……」
『ふむ、それではその合図は魔王である私が承ろう』
「人間の文化は無意味で楽しそうですね! みんなグラスは持ちましたかー? それじゃあ……」
『エルフェリータの新たな友の門出を祝って!!』
「乾杯!!」
魔界の夜に、グラスのぶつかりあう音が響き渡った。
顔面魔王の友情奇譚 完
顔面魔王の友情奇譚 十手 @Jitte_77
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