第3話

あの日、海の秘密をおじいちゃんと内緒の共有をして、私は特別な気分だった。

おじいちゃんにとっての孫、私にとっての従妹は沢山いて、みんなおじいちゃんがちょっと怒ると怖いけど、大好きな存在だった。


だから、独り占めできた気分でご機嫌な中、私はおじいちゃんちで飼われている雑種の犬の散歩をしていた。


眼が灰色でハスキー犬みたいで図体もでかい。でも毛が全身茶色。散歩してるというより、散歩されてる。


山道をぐいぐい引っ張られて歩く。豪雪地帯だったらさぞ喜んでソリを引くことだろう。


「あぁ、つかれた、ケン。ちょっと休憩しようよ。」

折れた木にリードのわっかを引っかけて座り込む。

ケンはすかさずしっぽをちぎれんばかりに振って私の脇に潜り込んでくる。

「まって、待て!おすわり!」

全然いうことを聞かない。

「もう。バカなんだから。」

頭をなでながら持たされた水筒のお茶を飲んで、ケンにも少し分ける。


「もう!ほとんどこぼれちゃったんじゃないの?!」

小さな水筒のコップに大型犬の口はでかすぎたようだ。ひと舐めでコップはすっからかんになった。


「わかった。はいはい、いこうか。」

立ち上がってリードを木から外すと同時にケンが走り出した。

リードを引きずってケンが走っていく。

「うそ!ケン!まって!マテ!!!!」

言ってる間にケンの姿が見えなくなった。


やばい。どうしよう。探さないと。


ケン!ケン?


多分、こっちに走っていったはず。


ただでさえ獣道で散歩で使うからわかってるようなものの、この道を外れてしまうと全く分からなくなる。


木や草をかき分けて歩いていくと、拓けた場所に出た。

あ、ここ知ってる。お墓だ。


おじいちゃんのご先祖様たちが眠るお墓。何度も来たことがある。

ここからなら帰れる。


でも。怒られるよな・・・ケン。どこいっちゃったの?

帰り道をトボトボと歩いていると、何かが獣道の草を揺らし、慌てて振り向くと

一瞬首輪の赤色が見えた。


ケン?おいで!ケン!


慌てて追いかける。


草をかき分け、入っていくと、ボロボロに朽ちた空き家の柵にたどり着いた。

家?ケン!ケン?


もうケンの気配はない。


家の中にいるかな。ちょっと冒険してみよ!

実家の近くの粗大ごみ取集場所に乗り込んで秘密基地を見つけるのが好きだった私は、ウキウキで柵をたどった。


柵が切れると、おそらく、家の正面にでた。

斜めに屋根が地面についていて、壁もない。折れた木の柱が空に向かってそびえたっている。


ここから入れるかな?

落ちた屋根の隙間から這いつくばって中に入ってみる。

服が泥水でベタベタになった。


出た場所はお風呂だった。

風呂桶に屋根が乗って隙間ができていた。


お風呂から出ると、中は意外としっかりした空間が広がっていた。

草が生えたり、水がたれたりしてたけど、家具や道具があって、差し込む光が奇麗。私は、映画みたいだ!と胸を膨らました。

キッチンを通って、居間に出る。畳を踏むと水が染み出てきて、底が抜けそう。


ふと後ろから動物の息遣いのようなものが聞こえた。


ケン?


振り向いて、私は言葉を失った。

キッチンに人が立っている。


大きな体の男の人・・・。キッチンをじっと見つめて立っている。


「あ・・・あの。人がいるとは思わなくって・・・犬が、いなくなっちゃって・・・。だから・・・。ごめんなさい。」


私が言い訳を連ねていると、ゆっくりと男の人がこっちを向いた。

私は又言葉を失った。


顔が・・・真っ黒だ!目も鼻も口もない。真っ黒。

人じゃないの?何?


男の人は又ゆっくりと頭を動かし、キッチンを見つめている。何かをしてくる感じではない。

だけど、右手に錆びた刃物のような物をもっている。


どうしよう・・・包丁?持ってる・・・キッチンを通らないと出れないかも。でも。怖い。

沈んだ畳の部屋を見ると、畳が落ちている場所から光が見えた。


あの隙間から出よう!

慌てて隙間に飛び込んだ時、飛び出した大きなクギで頭を引っ掻いた。


痛さも感じない。もう恐怖でいっぱいで、家から飛び出し方向もわからないまま全速力で走った。


ここは、どこかな。どうしよう、誰かの家、車が通る道ないかな。

後ろを見るとなんだかつけられている気がして、怖くて怖くて必死で草をかき分ける。


唐突に道が途切れた。危ない!


足元を見ると、石垣の真上だった。でも道路が走ってる。そして、真正面を見ると、おじいちゃんの家だった。


ケンが私に気づいて吠えながら近づいてきた。

「ケン、帰ってたの?バカ!!誰か呼んできてよ!!!降りられないの!」

ケンがけたたましく吠えるので、家から人が出てきた。叔母だった。


「花ちゃん!そんなところで、え?怪我したん!ほら、降りてらっしゃい。こっち、こっちに歩いておいで。落ちないように、ほら。」


石垣ギリギリを歩いて行くと、道路に降りることができた。


全身びしょぬれ、泥だらけ、ひっかき傷だらけ。さらに頭から血を流しているとなれば、もう怒られる以外の選択肢は無かった・・・。


風呂に入り、怪我は大したこと無かったが、犬を見失ったこと、怪我をした理由を話しながら、母にしこたま怒られていると、「まあ、えかろう。」とおじいちゃんが割って入ってくれた。


「花、頭は?」

「ごめんなさい。」

「あやまらんでええ。血は引いたんか?」

「うん。ちょっと引っ掻いただけだって。」

「よかった。頭の怪我は血がようけ出るけんね。どこいっとったんな。」

「ケンの散歩してて、お茶飲んで・・・そしたらケンがどっかいっちゃって・・・」


優しいおじいちゃんの口調に涙があふれてきた。


「怒らんけぇ、ゆっくり話しなさい。」

「だって・・・お母さんが・・・」

「ほら、泣かんでいいけ。」


一通り話をしたところで、家の中に入って、人がいたことを話したところで、おじいちゃんが険しい顔をした。

「人なんているわけないでしょ!又嘘をついて、そんなに困らせたいの?」といきり立つ母を遮り、

「もうええ。ちょっとおじいちゃんと散歩行こう。」

とおじいちゃんが言って、一緒に外に出た。


「嘘じゃないよ!」ケンのリードをもったおじいちゃんの背中に言葉をたたきつける。

おじいちゃんは、ただ「散歩しなおしじゃ」と言って、いつもの散歩道とは違う方向に歩き出した。


ケンはおじいちゃんと一緒だと、一切リードを引っ張らない。おじいちゃんの歩くスピードに合わせて、嬉しそうにおじいちゃんの顔を見上げている。

ケンもおじいちゃんが大好きなんだ。私はそう思った。


「どこ行くの?」

「まあ、ええけ。しんどくないか?」

「うん!」

「花は元気じゃの」


まず、お墓についた。

「お墓参りだったの?お花もってこなかったね?」

「ええんじゃ。お守りくださいと言いに来たんじゃけ。」


リードのわっかを手に通したまま、おじいちゃんはお墓に向かって手を合わせている。

私も真似をして手を合わせる。


「このさきじゃの?花が行ったんは。」

「わかんない・・・・ケンがそっちにいた気がして・・・多分そう。」


「そうか。」


そういったおじいちゃんと歩いて行くと、あの朽ちた家があった。

「ここだ・・・ここだよ。この隙間から入ったの。」


「ここはの、悲しい事があった場所でな。」


おじいちゃんは、又静かに手を合わせた。


「ここには、もう来んほうがええけね。中にもはいっちゃいけん。」

「秘密基地にしようと思ったの。」


「秘密基地か、ええのぉ、じゃあ、帰ったらおじいちゃんがええとこおしえちゃるけ、ここはあきらめなさい。」

「え?おじいちゃんの秘密基地あるの?」


「秘密ぞ?」


そう言って帰路についた。


家に着くなり、秘密基地の場所を教えて!とおじいちゃんにつきまとっていると、おじいちゃんがある場所に連れて行ってくれた。


一見ただの物置。

開けてみると、右に向かってずーっと空間が続いていた。

「ここ?」

「そうじゃ。物にはさわっちゃいけんよ。」

「何が置いてあるの?」

「しばらくつかわんものよ。皿なんかもあって危ないけね。」


「入っていい?」


ちょっと待ちなさいといって、ぶら下がっているコードのスイッチを押すと、押し入れの中が薄暗い黄色い光に照らされた。


「わぁぁ!!!すごい!本当に秘密基地だ!!!!」

「ほら、ついてきなさい。」


おじいちゃんは背中をかがめて、私はしゃがみながら入っていく。

「すごいね!秘密だね!」

「気に入ったか?」

「うん!」


「ここがええんよ。」

そういっておじいちゃんは少し天井が高くなっている場所に座った。

わたしもすぐ横にくっついて座る。


「花があの家で見たもんじゃけどな。あの家に住んどったひとなんよ。」

「まだいたよ?」

「そうか。可哀そうにな。母親の世話をしとった息子がな、少し疲れたんか、母親を刺してしまって、そのあと息子は自分で死んだんよ。」


「顔は見たか?」

「見た。真っ黒で、のっぺらぼうだった。髪型もなんとなくしか分かんなかった。」

「怖かったじゃろ。」


「うん。包丁みたいなもの、持ってたよ。でもね。一回こっち見て、元に戻ってずっとそこに立ってた。」


「そうか。辛かったんじゃろう。きっと。」


「これから先、花は同じような物を見るかもしれん。でもな。気づかんふりをしなさい。」

「海といっしょ?」

「そう。よく覚えとったな。海と一緒。でもな。黒いのは海より危ないんじゃ。ついてくるけ。」


「ついてくる?じゃあ、今も?」

「わからん。でも。花にはご先祖様がついとる。」

「ご先祖様?お墓の?」

「そう。強い力で護ってくれる。」

「気づいてくれてると思うと向こうがついてくるけぇね。しらんふりするんじゃ。」


「なんで・・・なんでもない。」


「どうした?いってみぃ。」

「うん・・・。お母さんに秘密にしてくれる?」

「ああ、約束じゃ。」


「なんでお母さんはいつも私の話嘘だって言うの?」


「そうじゃな。お母さんには見えんからじゃないかの。」

「見えない?」

「そう。みんなが見えるわけじゃないんよ。」


「どうして花には見えるの?おじいちゃんも。」


「物や草木に対しても優しく、人を受け入れる器を持ち、話を聞いてくれる。そんな人間には人が集まるもんなんよ。失敗したこと、しなきゃよかったと思ってること。そんなことを優しく聞いてくれる。そんな人に、人は頼り、甘えてしまうんよ。」


「動物もそう。人じゃないものもな。」


「あれは、人じゃなかったんだ・・・。」

「そう。普通顔があるじゃろうが。」

「うん。真っ黒で、やっぱり、海の時みたいに寂しそうだったよ。」


「寂しそう?怖かったじゃろ。」

「うん。怖かったのは包丁みたいのもってたから。何かされるかと思って怖かったの。道もわからなかったし。包丁持ってなかったら、多分お話してた。」


「そうか、花はやさしいのぉ。そんな子に育ってくれて、おじいちゃんはうれしいぞ。」

「ついてきてるのかな?」

「気にしたらいけん。しらんふり。」

「わかった。又約束だね?」


「そうじゃ。」


「おじいちゃん・・・他のお話してもいい?」

「どうした?」

「おかあさんね・・・やっぱいい。」

「ええのか?」

「うん。ええの。」

「そうか。話したくなったらいつでもおじいちゃんのところに来なさい。」

「うん!」


私は母がお父さんじゃない男の人と会っている話をしたかった。

だけど、おじいちゃんにとって自分の娘。なんとなくお母さんを裏切るような気持がして、言えなくなった。


「ほら、もうすぐ晩御飯じゃけ、いこうか?」

「うん。晩御飯、なんだろね?」


晩御飯を食べ、従妹たちと広い部屋で雑魚寝。

布団がひいてあるけど、みんな好き勝手に寝てる。


私は真ん中を陣取って、大の字に広がった。

今日のあれ・・・ついてきてるのかな・・・。あ、だめだ忘れなきゃ。約束。知らんふり。


眠りについて、ふと、目が覚めた。従妹の足が真横にある。頭の怪我をした場所がズキズキと痛む。


「痛いなぁもう。蹴った?」独り言を言って足をどかす。

寝返りを打って、半分すりガラス、半分障子になっている障子を見つめる。


すりがらすの向こう。いやに黒い場所がある。

他の場所より黒い。


何だろう・・・あ、知らんふりのやつかな。

しらんふり、しらんふり。目をつむって寝てしまおう。


眼をつむると、従妹たちの寝息、寝言、寝返りを打つ音、いろいろな気配を感じる。

ねなきゃ・・・知らんふり、知らんふり。


隣で寝る従妹にしがみつくと、「あついよぉ」と寝言で拒否された。


いろいろな気配があるのに、黒いものの気配が距離を詰めてきているのが分かった。

どうしよう・・・近づいてきてるよ・・・どうしよう!!!気づかないふり・・できないよ!どうしよう!ご先祖様はどうやって守ってくれるの?!


勇気を振り絞り、目をあけ、すりガラスをみると、黒いものの動きが止まった。

止まってる・・・おじいちゃん・・・おじいちゃんのところへ行かなきゃ!


違う場所から出ればいい。

いっせーのーで!私はダッシュですりガラスとは反対のふすまを勢いよく開けた。

するとふすまの弾かれる音に驚いた母が飛び起きて、「何!?」と声を出した。


あ・・・怒られる・・・!

私は驚く母を無視して、おじいちゃんの部屋へ走った。

廊下を走って、おじいちゃんの部屋の障子を開けると、おじいちゃんとおばあちゃんが静かに寝ていた。


慌てておじいちゃんの布団に潜り込むと、花か?どうしたんな、おじいちゃんびっくりしたぞ。と声を上げた。


しばらくして母が追い付いてきた。

「花?どうしたの?又怖い夢?」


「いいの!お母さんはあっちいって!お母さんは見えないの!わからないの!嘘じゃないのに!あっちいって!!」


おばあちゃんが声に驚き、ゆっくりと体を起こす。


「いい加減にしなさい!」

母が大きな声を出す。

「うるさい!いっつも花のこと嘘つきって言って!嘘なんて言ってないもん!」

「花!」


「静かにしなさい。みんな寝とるんじゃけ。」

厳しい声でおじいちゃんが割って入った。


「花。今日はおじいちゃんと寝るか?」

「うん。あのね。あれが来たの。」小声でおじいちゃんに伝える。

「わかった。」


「そういうことじゃけ、戻りなさい。」

母は不満そうな顔で部屋を出て行った。


母が勢いよく弾いた障子をきちんと閉めなおすと、おじいちゃんが布団に戻ってきた。

「しらんふり、できんかったか?」

「ううん。しらんふりしてたの。でも、近づいてくるの。だから逃げた。」

「そうか。大変じゃの、花は。もう寝れそうか?」

「おじいちゃんと一緒なら寝れる。ねえ、毎日一緒に寝よ?」

「甘えんぼじゃの、まあ。花の好きにしなさい。急に布団にはいってきたらおじいちゃんもびっくりするけ。」

「やった!」


その夜はとってもよく眠れた。


それからというもの、たまに黒いものがいる時があったけど、夜おじいちゃんに話すと気持ちが楽になって、そのうちいなくなった。






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何人目 小幸  @Sounds

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