愛の一方通行

ネコイル (猫頭鷹と海豚🦉&🐬)

『すれ違い』

 「なんだってこんな男がいいんだよ!」

 俺は勢い余って手に取った文庫本を机に叩き付ける。投げられた本はカバーを羽のように広げて静止した。ページが波打つ波のようにいくつもの流れを形作っている。

 するとどたどたと大きな足音をたてながらあいつが駆け寄ってきた。

 「なにすんの!?折り目ついたらどうすんのさ!」

 俺に向けられた非難の言葉も、今の俺には全く響かない。俺はとてつもなくイライラしていた。それを感じ取ったあいつが先ほどまでの怒声を引っ込めて声を掛けてきた。

 「えっ、ちょっとどうしたの。っていうか何にそんなに怒ってたの?」

 「なんだってこんな男が愛されてんだよ。意味わかんねぇよ」

 「えっと、もしかしてこの恋愛小説読んでてイライラしてんの・・・?」

 俺の気持ちも知らないで。こいつはまるで面白いものでも見たみたいな表情を浮かべてこちらを覗き込む。俺はその行動にもっとイライラして腕を振り上げてあいつを追い払う。

 「そうかそうか、恋愛小説読んで女の子に感情移入しちゃったんだ。そうかそうか」

 やけにしたり顔をしてこっちに寄ってくるあいつが気持ち悪い。

 「なんだよ、わりぃかよ!?お前が読めっていうから読んでたってのになんだよこれ?まどろっこしいったらありゃしねぇ」

 「なになに?そんな気に入らなかった?」

 あいつはそう言って俺の投げた文庫本の表紙を撫で付ける。やめろやめろ、犬じゃねぇんだから。

 「いきなり恋愛小説は早かったかな。でも、あんたミステリーとかSFみたいな凝った作品は頭疲れるからいやだっていうからさ。かといって歴史系はもっと読みそうにないし、っていうかわたしもあんまり読まないからおすすめできそうなのとか知らなかったから、それははたから無理な話なんだけど」

 あいつはいつもの癖で言葉が止まらなくなっていることにも気づかず、次から次へと意見を言う。こいつ自分でそういうところ直さなきゃ、なんて言ってたのにすぐこれだ。

 俺は主導権を奪われないように一言二言口を挟みこむ。

 「とかいってお前、俺に児童書読ませようとしただろ。ざけんなよ、いくらなんだって俺だっていまさら児童書なんか読まねぇよ」

 「え~?そんなことないよ。どんな人だってはじめて手にする本は児童書なんだから、むしろ読書を始めるなら児童書から始めたっていいくらいでしょ?」

 「あのな、俺は漢字も碌に読めない小学生でもなけりゃ、世界には魔法が溢れているのって口にするような純情な子供でもねぇんだぞ。いまさらそんなもん読んで楽しめるかよ」

 俺が理解できないというように肩をすくめると、あいつは両肩を落として深いため息をついた。

 「あんたがそう言うから、じゃあこれは?って恋愛小説薦めたらあんた食いついたじゃん。それこそ犬にボール与えたみたいにさ」

 あいつのさっきの行動の印象と相まって俺は馬鹿にされたような気分になる。

 「誰がいぬだ!?」

 「はいはい、でもいいと思ったんだけどな。普段無愛想なあんたもこれ読めば少しは女の子の気持ちわかってくれるんじゃないかって期待してたんだけどな。それ以前の問題だった?」

 あいつは俺の正面に移動すると、手近のクッションを手にすると座り込んだ。クッションを腕に抱え込みながら、なんとなく文庫本のページをぱらぱらとめくっている。まるで子どもに本を読み聞かせているようで、こいつなら将来そうなるかもな、と俺は意味もなくそんな未来を想像した。

 「で?あんたは何がそんなに気に食わなかったの?」

 「こいつがよ

 「こいつじゃわからないでしょ?半分以上読んでるんだったらちゃんと名前でいいなよ」

 俺の言葉を遮ってあいつがぴしゃっ、と𠮟りつける。

 「こ、あの男だよ。宮部ってやつだよ・・・」

 俺がしぶしぶ気に食わないあの響きを口にすると、あいつはみやべ、みやべと口にしながらページからどのキャラかを確かめている。

 俺が我慢できなくなって口を挟もうとしたとき、勢い良く顔を上げてあいつがこちらを凝視する。

 「なに!?宮部ってヒロインが恋する男じゃん。それの何が気に入らないってのさ?」

 「それは・・だってよ・・・」

 ヒロインが恋する相手ならどんな相手であっても許されるというのか。あいつのあまりの反応に俺は先ほどまでの怒りが、ただの恥ずかしい思い違いのような気がして自信がなくなってしまう。

 「なにさ、いいから言ってみなよ。べつになに思ったっていいんだよ?それがあんたの感じたことならそれに間違いなんかないからさ」

 特別なことなど一つもないかのように語るあいつの言葉をこれほどまでに嬉しく思ったことは、多分これからもそうないと思う。俺はその感覚を信じて、口をすぼめながら思ったことを口にする。

 「こ、こいつがなんで・・愛されてんだよ・・・」

 「え・・・?」

 「なんでこんな奴のこと好きになったりすんだよ!?いつも自信満々に語るくせして、追い込まれたら何も出来ねぇし、まわりには当たる。こんな奴さっさと見限っちまえよ、なんでずっとそばに居続けようとすんだよ!意味わかんねぇよ・・・」

 あいつが間違いなんてないっていうから思った通りに言ったっていうのに、あいつが変な反応するから俺は怒りと恥ずかしさで溜め込んだ思いの数々を口から吐き出した。さいごはもう心残りはないというように、弱々しくも確かな充足感に満たされながら。

 そんな俺を見てあいつは、じわりじわりとこちらに近づいてきてこう言った。

 「なにあんた、あたしよりも女の子みたいなこと言うね?」

 「はっ!?」

 意味が全く理解できないのに、俺の顔は熱くなる。それを止められないことが余計に俺の落ち着きを乱していく。

 「な、なに言ってんだよ!ばかじゃねぇの!?」

 「ほらほら!その感じとかめっちゃ女の子みたいじゃん!いやむしろ乙女だね、純情乙女!!」

 俺の理性はそこで切れかけ、力任せにその言葉を撤回させようとしたが、あいつに投げつけられたクッションが俺の顔をクリーンヒットして手を出す前に落ち着くことができた。いや、実際にはまだ頭と心臓とが別々にドクンドクンと激しく脈打っていて、体もつられて動き出してしまいそうだった。そうなればもう俺はどうすることもできないだろう。そう感じたからこそ、俺はあいつの言葉の一語一語に集中することにした。殺意に近い感情も裏返せば、まじめに授業を受ける生徒のように見えることだろう。お前を狩るのはまた今度にしてやる。

 「ごめんごめん、もう言わないからさ。いやぁ~しかしはじめての読書体験でそこまで感情移入するなんてね。これは育てたらもっと輝くかも」

 「で、お前からなにか言いたいことはあるか?(最後に言い残すことはあるか?)」

 「え?そうだな・・・」

 「無いのか?ないんだな・・・」

 「あっ!待って待って、聞きたいことあるからさ」

 ちっ。

 俺は内心舌打ちをした。

 「で、なにが聞きたいんだよ?(内容によっては恐ろしい目にもあわせなくちゃあな)」

 「それでさ、あんたはこの続き読む気はあるの?」

 「は?」

 想像もしえない方向から来た矢は完全に俺の脳みそをどこかに吹き飛ばしていってしまう。もちろん先ほどまでの殺意と共に。

 「どっち?読むの読まないの」

 「よ、読まねぇ・・かな」

 「なんでさ!?なんで読もうとしないのよ!」

 俺の返答が気に入らなかったのか、あいつはこれまで以上に激しく詰め寄ってきた。俺もつい乗せられて口答えする。

 「あ、あんな奴が愛されてるなんて面白くねぇんだよ!大体なんだよ、あいつ!?彼女があれだけ健気に心配してやってんのにそれを当たり前みたいに感じやがって、見ててイライラすんだよ!」

 「それかなり女の子のほうに肩入れしてんじゃん。やっぱりあんたって乙・

 俺が無言で腰を軽く上げると、あいつはごめんごめんと平謝りした。俺はなんとか残った理性で怒りをしずめる。

 「でもまぁ、その気持ちも分かるよ。わたしも女の端くれだから、こういう男にはちょっとむかっ腹立つさ」

 あいつにしては珍しく俺を肯定する意見を述べた。いつもなら俺の意見や考えを否定してばかりだったのに、今日は何かあるのかもしれない。

 「あんたがそういう風に感じるのはこれが恋愛小説っていう形をとってるからだよ」

 唐突に始まった講義に俺は抜け出すことも叶わなぬままに参加させられてしまった。

 「はっ?いきなり何の話だよ?」

 「いいから。あんたも読んでたのなら気付いたと思うけど、この小説では彼氏彼女のそれぞれの視点で描き分けされてるの。全ての小説がそうだってわけじゃないけど、こういう形式はそう多くはないよ。だから混乱するのもわかるけどね、いい?愛ってのは一方通行なんだよ」

 「一方通行?そりゃどういうことだ?」

 俺のこの言葉を待っていたのかのように、あいつは得意顔に背を伸ばすと床に落ちたクッションをたぐり寄せ、嬉しそうに口元を隠した。まるでこれから好きな男子の話をする女子のように。

 「あんたがさっきまで読んでいた本でいうなら、彼女は彼氏にこれでもかってくらい愛情を向けていたでしょ?でも、それに彼氏は全然気づかない。それが気に食わないんでしょ?」

 「そうだよ。あいつには全然伝わってない。それが見ていてイライラすんだよ」

 「うんうん、でもそれって小説だからこその視点なんだよ」

 「小説だから?なんだよそれ」

 「現実でも同じことってあると思うよ。街中でカップルが喧嘩しててるとさ、わたしたちには全然関係ないけど二人が何言ってるのか聞こえてくるでしょ?そうするとさ、二人とも言ってることが全然かみ合ってないって感じることない?」

 あいつの例えがなかなかに的確で俺は、話が一瞬それていることにも気づかずに乗ってしまった。

 「あぁ、あるかもな。彼女が感情的になっているのに、彼氏はどこか素っ気なくて余計に彼女の怒りを買うんだろ?よくあることじゃねぇか」

 「そうそう。なに?意外と知ってんじゃん。そういうのには興味ないかと思ってたけど」

 話が本当にそれてきたと感じた俺は進路を修正する。

 「おい、話がそれてんぞ。で、街中のカップルがどうしたってんだよ」

 「う~ん、やっぱガード硬いな。まぁいっか、でしょ?そのカップルでもなんでもないわたしたちからすれば、互いの感情がずれていることにすぐ気が付ける。でも、二人は今目の前の相手のことしか見えていないし、二人の行動は二人がそれぞれに決めること。わたしたちがどうこうできることじゃない。これって正にこの恋愛小説の構造と同じなの」

 たしかにそう言われればそう思わなくもない。

 「そうなの。そしてその物語を読んでキャラクターに感情移入するわたしたちの思い、つまり愛ね。この愛もまた一方通行。二人が互いに向けあう異なる愛情にわたしたちもまた異なる愛情を向けるの。それが互いに関係しあうことはあっても同じ線を共有することはない。だから、そんなきれいにはまとまらないの。二人の関係も、それを読む読者の愛情も」

 最後、あいつはため息を織り交ぜてそれっぽい雰囲気を醸し出した。それこそ恋する乙女のように。それがなんだか癪に触って、俺はからかってやった。

 「端くれでも恋する気持ちは忘れてなかったみたいだな」

 「バッ、ばか!?あたしだって恋ぐらいするよ」

 そう言うあいつは恋をしていることを隠すみたいにクッションで顔を覆い隠して、闇雲に蹴りを入れてきた。それがなかなかに痛くて俺はからかうのはこれで最後にしようと決めた。

 「い、いてぇよ。分かった、やめろやめろ」

 「今度同じ事言ったら容赦しないよ?」

 その表情は本気だった。俺はあいつに誓いを立てた。

 「二度とあんなこと言わねぇよ」

 それでようやっとあいつはクッションで顔を隠すのをやめた。その向こうからのぞく目はまるで狩人の目のように鋭く険しかったので、ようやっと一息つくことができた。

 そこで緊張が解けたためか、ふとした疑問が俺の口を伝ってこぼれ落ちた。

 「しかしまぁ、なんでそんなもんがこうも人気なのかねぇ」

 その言葉の響きは再びあいつの中のなにかを呼び起こしたようで、表情をころっと変えてしゃべりだした。

 「なんで?恋愛なんて人間に生まれたのなら一度は経験しておきたいものじゃない?」

 「それはそうだけどよ、なんだ?お前が言ったように、すれ違うことだってあるわけだろ?そうやってすれ違ってお互い幸せになるチャンスを棒に振るかもしれないことをなんでそんなに求めちまうんだろうな」

 「それはきっと、誰かと手をつなぎたいからじゃないかな・・・」

 「たしかにカップルになってまずすることって言ったら手をつなぐことだろうさ。でもなそれじゃあ・・・

 「違うの!わたしの言ったのはちょっと違うの」

 あいつのやけに必死な声に俺は口をつぐむ。

 「あっ!?ごめん、勘違いしないで。べつになにか言いたいことがあったわけじゃないから。全然気にしなくていいから」

 「なんだよ、きになるじゃねぇか」

 「いいじゃない、べつにあんたこういう話好きじゃないでしょ?」

 やけにごまかそうとするのに違和感を感じ、俺は少々強引に詰め寄る。

 「言ってみろよ、俺に感想言わせたときにお前なんて言った?どんなことでも思ったことに間違いなんてないんだろ?なら言ってみろよ」

 俺の言葉を受けて、逃げ道をなくしたあいつは最終手段としてクッションで顔を隠そうとした。俺はそれを上からの押し下げ、無理やり目を合わせる。

 あれだけ自信満々に語っていたあいつの目線がどこにも定まらず激しく動き回るのがよく分かる。それを見て俺もやり過ぎたと思い身を引いた。

 「わ、悪い。やり過ぎた」

 俺が目のやり場に困っていると、あいつはしどろもどろになりながらも弁解してきた。

 「こ、こっちこそごめん!?自分から言っといてなんだけど、ちょっと気障っぽいかと思って、つい、恥ずかしくてさ」

 その言葉を真に受けたわけではなかったが、俺の態度にあいつが怒ったりしていなかったことに安心した。怒らせてしまうのは本望ではなかった。

 「それでもいいよ。お前がなに思ったのか言ってみろよ」

 俺は改めて聞き返す。今度は真面目な表情でもって。

 「え?そんなに聞きたいの?」

 「いいから言ってみろ」

 「うん、わたしさ人生は綱渡りみたいなものだって思ったの」

 「綱渡り?あの、サーカスとかで見る?」

 「そう、みんなそれぞれ一本の綱の上を歩いているの。それにみんなが向かう方向は全然違う。上下左右にいろんな道を歩く人がいて、そのうちの誰かとすれ違いざまにお互いの手を握れたらとっても安心できると思わない?恋愛ってそういう人生のうちのほんの一瞬のことを言うんだと思ったの」

 俺はなにか言葉を継ごうと思ったが、この気持ちをうまく表す言葉が見つからず、かといって適当な言葉でごまかすのも違うと思い黙ってしまった。

 「あぁ、やっぱ恥ずかしい!!もう忘れて忘れて!今のなし!!」

 俺の沈黙を悪い方向にとらえたあいつがまたとんでもなく痛い蹴りを放つものだから、俺はとりあえずその考えを否定することにした。

 「やめろやめろ!?別に恥ずかしくなんかねぇよ!よかったよ、普通に感動したわ!」

 俺の言葉を聞いたあいつは今度はなぜか両手で俺を殴り始めた。俺はその表情を見ることができなかったが、さきほどまでの蹴りと比べると少し優しく弱まっているのだけは分かった。

 

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