四十章



「再会のご挨拶はいたしかねます。どうぞ剣を捨てて私とおいでください」

 抑揚なく告げた撫羊は目を逸らさない。そのまましもべに命じた。

「兄上の相手はわたくしです。お前たちは後ろのあれを」

 沙爽の後方から駆け寄ってくるのは暎景と茅巻。撫羊の麾下きかふたりは阻むために飛び出して剣を構えた。

「貴様ら、一体何をしているのか分かっているのか」

 憎々しげに言った暎景に相手は含み笑った。

「久しいな暎景。我が主の願いだ。おとなしく死んでもらうぞ」



 沙爽と撫羊の周りに止める者は誰もいない。ただ二人になって、沙爽は狼狽うろたえたまま剣柄たかびを掴んだ。

「撫羊、なぜこんなことを」

「散々思い知ったのではないのですか。兄上よりも私を王に推す者たちがいかに多いかということを」

「しかしお前は王にはなり得ない!」

「通常であれば。しかし方法はあります」

 兄は泣きそうな顔をした。

「……私を殺すのか」

 いいえ、と妹は首を振った。

「すでに桂封侯ほうこうからお聞きしたのでは?直系の男子継承者を差し置いて公主が玉座にく方法を」

「泉主がまともでなくなればいいというやつだろう。そんなことまでして、私を辱めてまで王になりたいのか」

「兄上にはまだ生き残るすべがあるのです」

「それでも本当に神勅が移るのか、確証はないことだ」

「そうです。それはやってみなければわかりません」

 撫羊はどこまでも非情だった。「二泉に行きましょう。そこで兄上には特別な処置を受けてもらいます。そして共に黎泉れいせんに参りましょう」

 距離を詰められて剣を半分抜く。

「牙領を攻めた傀儡かいらいと同じようにしようということか」

 すると、おや、と意外そうに肩を竦めた。

「ご存知だったのですね。兄上のことですから、戦のあいだも城の奥でお隠れになっていたものと」

「そうだ。その通りだ。だが耳を塞いでいたのではない」

 ついに全て抜く。撫羊は目を細めた。

「私をお斬りなさるのですか」

「私が癈人はいじんになる道を選んでもお前に殺されても、いずれにせよ王ではなくなるということだ。それは、できない。すでに私には受け入れ難い」

 撫羊、と叫んだ。「どうか諦めてくれ。お願いだ。お前を殺したくない」

 対して彼女は睥睨した。

「今更なにを。私がここで投降したとて、私の罪は変わらないのです。でも、兄上をお連れできれば全てが覆ります。――それに」

 剣を顔の位置まで持ち上げて少しばかり憤慨したような表情を浮かべた。

「私が兄上に劣るとでも?剣でも弓でも私に勝ったことのない貴方が私を殺せるというのですか」

「私は、」

 言いかけた沙爽の懐に刃が突き出る。慌てて弾き距離をとった。

「撫羊!」

「私とて兄上を手に掛けることは極力したくない最悪のことなのです。しかし、いまだ貴方に神勅はくだらず、奇瑞も見えず。黎泉てんは迷っておられるのです、貴方を真に王とすることを。であれば私が動かなくてどうします。空位の四泉が無事でいられると?こうしている合間にも多少なりと泉は腐蝕していく。急がねばならないのです」


 沙爽は頭の中で反響する言葉にぐらついた。そうかもしれない、やはり自分は王ではないのかもしれないという疑念を否定して突き放せず、一度決めた心が撫羊を前にして揺らぐ。彼女の言い分は超然と確信めいていてなにも間違っていないように思えた。


「なにを、吹き込まれた……いったい、二泉主にどうやってたぶらかされたのだ」

「私自身の考えです」

 素っ気なく返して再び構えた。

「戦場に自ら出てくるとは兄上にしてはお気張りになりましたが、ここは殺し合いの場です。申し入れをお聞き届け頂けないのであれば、力づくで従ってもらいます」


 撫羊の突きは鋭い。身のこなしは軽くまるで蝶が舞っているよう、しかし油断すれば容赦ない一撃が待っている。

 重い、と沙爽は剣を受けながら脂汗をかいた。体格は自分のほうが大きいのに圧が桁違いだった。しかも素早い。一振りかわせば次の斬撃が全く違う方向から来る。すでにすねや脇腹を撫で斬りされて血が滲んでいた。


 間合いをとって思わず荒い息で背を丸める。先刻斉穹が掠めた肩の傷が思ったより深い。腕が思うように動かない。

「以前よりも良くなりました。鍛練なさいましたね」

 撫羊は初めてほんの少しだけ口角を上げた。

「でも私も、この四年死ぬ思いをして技を磨いて参りました。……次はもっと速いです」

 沙爽は笑う膝を叱咤して重心を落とす。瞬きの攻撃をなんとか受けながら唇を噛んだ。このままでは終われない。


 次の斬撃が脇腹を平行に薙ごうと構えられた、その一振りが来る直前に柄を手放した。虚を突かれて撫羊の動きが固まる。沙爽は油断の一瞬を見逃さなかった。


 すかさず手首を掴んで引き寄せると力いっぱい平手打ちした。張った音を高く鳴らし、そのまま自ら振った腕の勢いで倒れ込む。ぶたれて顔を伏せだが踏みとどまった撫羊は、ややあってゆっくりと体勢を立て直した。冷酷な青い炎を燃やした目で見下ろし、鼻から垂れたものをこぶしで拭う。

 すぐに腫れてきた頬を軽く押さえつつ、立ち上がろうとした兄の首に容赦なく剣鋒をかざした。

「侮辱するのもいい加減にしてください。私がこの程度のことで挫けるとでも?」

「目を覚ませ撫羊。一緒に泉宮みやに帰ろう。母上も待っている」

「いつまでも脳天気なことを!」

 ぐっと押し当てた皮膚から赤が滲む。



「鼎添兄上――――禅譲ぜんじょうを」



 凄絶に見つめられて沙爽は瞠目どうもくした。大人びた顔、仇敵に対峙したかのような無慈悲な眼、しかし、その中にはほんのわずか、確かに泣き出しそうな年相応の少女がいた。


 これしきのことです、と感情を押し殺した声で言った。


「ただ女であるというこれしきのことで継嗣けいしにはなり得ないと言われた私の気持ちが、貴方に分かるのですか。いいえ、才能でも技量でも人柄でもなく、ただそれだけで弾かれる者の悔しさは経験した者でなければ決して分からない。そんなものはおかしい。兄上は疑ったことさえないのですか」

「私とて同じ気持ちだ撫羊。許されるのなら、お前に王になってもらいたかった」

「それならば、なぜ!」

「これはお前と私だけで終われることではないからだ!」

 口に入ってくるものが、雨なのか涙なのか、もう分からない。

「撫羊だって分っているだろう⁉仮に正当な泉主を歪めた方法で廃し、公主を王に立てたとして、水が腐らない保証がどこにある!泉を失えばなんの罪もない民が渇いて死ぬ。何万という犠牲が生じるかもしれない危険を冒してまで、我々だけの意思を優先させた継承を容認する勇気は、私には無い!民を持たない王が君臨してなんの意味がある。そんなものこそただのはりぼて、名ばかりの傀儡かいらいだ!」

 撫羊は唇を微かに震わせた。顔に初めて迷うような色を浮かべて。押し黙り、剣に込める力を少しだけ緩めた。

「…………だとしても、やはり全ての元凶は私が女に生まれたがためのせいだと思っておられますか」

「それは違う。撫羊」

 泥に身を横たえたまま、沙爽は手を伸ばす。雨音に消されるかいなかの声で囁いた。「私とておかしいと思っている。この寰宇かんうことわりを……疑っている。しかし、多くの人を傷つけてまで試そうとは思わない。それは……できない……」

 撫羊はまじまじと兄の顔を見た。凡庸だと思っていた彼もまた、そこに行き着いたのだと驚嘆した。色のない口を小さく開く。


「兄上………」


今ならば、あるいは。


「…………実は、斉穹朋嵒は」

「泉主‼」


 呟いた声に被さる叫び声と獰猛な気配が近づいてきた。撫羊ははっとあたりを見回す。己の忠臣が血溜まりに倒れ込んだままこちらを見つめ、赤い水しか零れない口で何事かを訴えていた。

 沙爽はいきなり襟を引っ張られた。撫羊は前抱きにしてその首に腕を絡める。

「来るな!」

 すぐ傍まで近づいた暎景は忌々しげに止まる。撫羊は剣を人質の首にあてがい、いまだに族主と撃ち合っている斉穹を見た。

「二泉主!」

 彼は間合いを取って振り返り「終わったか」と言うと手を挙げた。遠巻きに控えていた側近がわらわらと集まった。濡れた前髪を掻き上げ敵を一瞥する。「お前たち、族主の相手をしてやれ」

 命じて勝負を放り投げると二人に歩み寄った。撫羊は暎景と、こちらも駆け寄ってきた茅巻を牽制したまま斉穹に話しかける。

「車はまだありますか。兵は残して我々は先に二泉へ戻りましょう。蓮宿れんしゅくも街道も伏兵はいません。休まずに走って…………」


 不自然に言葉が切れたのを沙爽は怪訝に横目で窺った。



「―――撫羊⁉」



 呆然として開いた小さな口端から鮮血を噴き出し、得物を取り落とす。肉の切れ裂ける水音をさせ、少女の腹に突き出た剣先が後ろに抜けた。身体からだがくずおれる。

「撫羊!」

 慌てて受け止め、沙爽は信じられない思いで悠々と刃の雫を払った男を凝視した。

「なぜ……どうして」

「まどろっこしい」

 眉ひとつ動かさず酷薄に真顔で言った。

「継承者は二人も要らぬ。沙爽鼎添、もはやお前は二泉の手中、四泉は我の統括のもとでさらなる繁栄を見る。泉を結合させなければ黎泉には罪として裁かれはせぬ。なれば確実に水をきよめられるほうを残せば良い。それを禅譲だの殺したくないだのと面倒なことばかり。撫羊、お前が死ぬのは聡いわりに無駄な情を捨てきれなかった己のせいだ」

 撫羊もまた驚愕の瞳で見上げた。沙爽は血が溢れ出す厚みのない腹を必死で押さえながら怒りに震える。なんなのだ、この男は。あまりに非道い。

「二泉主、あなたは、なんということを。いったいどれだけ罪を犯せば気が済むのか。あなたは自身の行いが泉の澄明にまったく関わらないと思っているのか」

「ひとつ大罪を犯したならば、他の小罪をいくつ重ねたとて同じこと。我のせいで二泉が滅ぶのならばそれはそれで仕方のないことだ」

「何を言っている!それでも黎泉に神勅をいただいた泉主か!武傑と称される王がこれほどまでに暗愚とは聞いて呆れる!」

 斉穹は沙爽の糾弾などまるで気に留めたふうもなく顔を逸らし、事は済んだと言わんばかりに腰に手を当てると再び族主のほうへと近づく。



 長丁場での消耗が激しいようだ。十人ほどの羽林うりん虎賁こほんで取り囲み、先ほどの毒水を手当り次第に浴びせた。聞得キコエの利かない今、全てを避けきれずただ衰弱だけが増す。ついに大釤たいさんの石突きを地に立てて縋りついたところをすかさず取り押さえる。遠くから党羽なかまたちが助けに入ろうとするも、他の羽林兵が首尾よく妨害した。


 腕を後ろに回し、泥の中に膝を着かせ、前屈みに頭を押さえつける。散った黒髪が白い顔に張りついている。雨溜まりになおも吐きこぼしながら、首魁は尖先とっさきのようなまなじりを激憤と憔悴でひくつかせてこちらを斜めに睨み上げた。


 斉穹は大きく溜息をつくと、再び剣を抜いた。

「生き地獄を味わわせようと思ったがやめだ。その様子だと泉賤どれいにしても主を殺しそうでかなわぬ。美女を斬るのは惜しいが仕方あるまい。まあ、首だけになっても咬みついてきそうだが」

 しかしそれを聞いた途端、夷狄の王はかすれた息で嘲笑い、口角を上げた。

「なにがおかしい」

 殺されそうだというのに高慢な態度を崩さない敵にさすがに余裕を失い殺気立った。

「死にぎわまで不遜とは、まったく腹の立つ奴だ。その顔のまま皺首にしてやる」

 風切り音を響かせ、雨滴が飛び散った。そうして振り下ろした長剣は、───うなじに触れる直前で澄んだ音をさせて折れた。斉穹は硬直する。刀身を精確に折ったのは同じく剣、それは今しがた殺そうとした者のすぐ傍に立つ己の腹心が差し出した鋼刃だった。


 ほぼ同時の直後、虎賁が悲鳴を上げて吹き飛び、予想外の事態に動揺が走る。跳び退いた斉穹は敵を庇い前に進み出た男の名を呼んだ。



銀兎ぎんと…………」



「兵をお退きください二泉主。もはや貴方に勝機はありません。騰伯とうはく公と王太子は二泉宮へご帰還あそばされました」

 なんだと、と柄を握りしめた。憎々しげに吐き捨てる。

「騰伯、あの裏切り者め!」

「朝廷からはすでに四泉からの撤退命令が布告され、悠浪ゆうろう平原の軍も停戦しております」

「誰がそんなことを許した!王は我だ!勝手なめいは大逆とみなす!」

湶后せんごう陛下からの懿旨いしが下りました。王太子殿下のご体調が戻り次第、黎泉へ神勅の奏請そうせいに昇られます」

 斉穹は怒りで顔を歪めた。「我を廃そうというのか。許さん。そんなことはさせぬ」

 対する銀兎は冷静に仮初かりそめの主を見据えた。

「これはもとい二泉朝廷の総意でございます。宮城の虎賁もすべて捕らえられました」

 ひたと見つめた瞳はそれが事実であると悟らせた。やがて、折れた剣を地に降ろした斉穹は項垂うなだれて肩を上下させ、それからひどく愉快そうに笑った。銀兎は呆然と成り行きを見守っていた近侍たちに投降を呼び掛けるよう指示を出す。抵抗むなしく、すべての羽林諸兵も駆けつけた族兵に縄を打たれた。



 拘束されてなお壊れたように笑い続ける敵の王に、よろめきつつ立ち上がった珥懿が改めて刃を向ける。


「牙公!待ってくれ、二泉主を殺すな!」


 言ったのは沙爽、虫の息の妹を膝に抱いたまま叫んだ。

「こいつは一族のあだだ。殺さねばすべてが収まらない」

「いま二泉主を殺してはどんなわざわいが二泉に起きるとも分からない。それに、まだ訊かなければならないことがある」

「まだそんなくだらない慈悲を垂れる余裕があるのか貴様は。妹を斬られたんだぞ」

 それでも、と歯を食いしばった。

「……だめです……‼」

 珥懿は剣呑な目でしばし斉穹と沙爽を見比べたが、ようやく溜息をついて大釤を下げた。途端に力が抜けてふらつき、血相を変えて駆け寄ってきた斬毅ざんきの肩に縋る。表情はまるで変わらなかったが、ひどく億劫そうに顔を拭った。

「……曾侭そじんを開城し二泉主と兵を牢へ。二泉へ鳥を飛ばして使者を呼べ」

 沙爽は頷いた。妹を見下ろす。

「撫羊、いま手当てを」

 するから、と言いかけた頬に血糊に濡れた手が触れる。うつろな瞳を必死に覗き込み、その冷たい指を泣きながら握った。


 撫羊はどこか諦めたような、吹っ切れたような表情をして、ただ力を失ってゆく薄い身体からだを地に横たえていた。色のない唇を震わせて開いた。顔を近づけた沙爽は自分の名を呼ぶ声を確かに聞いた。

 もう痛みがないのか、華やかに笑った。それは沙爽がよく知る撫羊その人だった。賢く美しく、優しい自慢の妹。満足気に一度だけゆっくりとまばたき、そうして息を吐くのをやめた。





 暎景に肩を抱かれ揺すられても、沙爽は己が叫んでいることに気がついていなかった。我に返ってなお喉から漏れ出る悲しみの呻きは抑えようもなく、流涕りゅうていの涙は雨とともに、もはや微動だにしない玉容の上に降り注いだ。結いの解けた頭を掻き抱いて大泣きに泣いた。公主として高貴な身分でありながら哀れなほどに短い髪が余計に悲愴を増した。


「すまない。すまない撫羊…………‼」


 泣きじゃくりながら妹の血で染まった手で頭を撫で、ただただ謝罪の言葉を口にする。こうなるまでなぜ止められなかったのだろう。どうすれば失わずに済んだのか、やはり自分がおとなしく禅譲すれば良かったのか、後悔ばかりが胸中を満たす。


 茅巻が屈み込み、沈痛な面持ちで半開きのままの瞼を閉じた。齢十六、本来ならば決して、五体を泥と血にまみれさせ死ぬような年齢でも立場でもなかった。それも、王に弑逆しいぎゃくを企てた大逆賊としてその短い生を終えた。しかし汚れて横たわってはいても、少女は誰の目から見ても人離れして美しく見えた。



 遺体は一度沙爽の手から引き取られた。謀叛人といえど公主、今後どう扱うかは朝廷に伺いを立てなければならない。板に乗せられ開門した曾侭の中へ運ばれて行くのを見送り、暎景に支えられて立ち上がった沙爽は泣きやめないまま周囲を見渡した。おびただしい屍、壊れた車馬と突き刺さった剣と矢。終わったのか、と虚脱し猛烈な吐き気をもよおした。多くの者を巻き込み、これほどまでに犠牲を出し、妹までも失って、なぜか自分は生き残っていることがひどく居心地が悪い。



 ――――死すべきは自分ではなかったか――――。



 何かに勝利したという思いは皆無だった。心が石になったよう、たくさんのものが消えた喪失が深い風穴となって悪寒がした。絶望して天を仰ぐ。目に入り込む雨粒、滲んだ視界は鉛色に溶けて霞み何も見えない。


 真上に、浮かぶ光を見た。それは間隔を置いて雷気を発する妖雲、小雨の灰雲のなかにそこだけが濃墨のように塒渦とぐろを巻いていた。

 なんだ、と思った矢先、渦の真中から一条の電火が射した。轟音を伴って垂直に下り、見上げた沙爽の額に直撃した。


「――――泉主‼」


 一瞬、光に包まれ場が白く暗転する。撃たれてけ反った体を暎景が慌てて支えた。何が起こったのか分からずに主を見るとすでに気を失っていたがしかし、額に当たったように見えた霆撃いかずちの痕はどこにもない。


 いったい何が、と見た空は渦巻いていた雲がひといきに霧散し、中点の頭上から同心円に疾風の勢いで晴れていく。


「なんだこれは……」


 ありえないものを目にし唖然と顎を落とした。瞬く間に地平の彼方へ消え去った雲、たった今まで降っていた雨はもうどこにも無く、嘘のような快晴の青空がしんと静まった人々を包んでいた。さらに彼らを感嘆と畏怖におののかせたのは陽の周囲を取り巻いた二連の虹蜺にじ、不気味に輝くと幾ばくかして光に取り込まれ消えた。



「――――くだった…………」



 呟きに、暎景はいまだ夢現ゆめうつつのまま理解出来ず見返した。茅巻は視線を合わせると力強く頷く。



「神勅が、降った。――――沙爽さまに」



 聞いてぽかんと口を開く。状況についていけず、腕の中にある主の顔を穴の空くほど見た。やがてゆるゆると湧き出た感情にようやく雄叫おたけびを発して抱え上げた。それが伝染した兵たちも勝鬨かちどきを叫ぶ。大快哉は門前から波となって城内へと広がり、しばらく止みそうになかった。




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