第17列車 幼き夢と本当の夢を叶えるものとは

幼い時、電車が今よりも大きく見えて、座席も大きかった、そんな電車がかっこよかった。「電車の車掌さんになりたい!」という夢は、どこかへ消えてしまった。年を重ねるにつれて、人間関係も行動も広くなる。しかし、時として心が病んでしまう。心が病んでしまい「自殺したら楽になれるんだ」という気持ち、その行動が走る。人間、もっとも病みやすい原因は、人間関係だとか。このネット社会、誹謗中傷も相次いで止まない。インターネットを使った「いじめ」も止まない。幼い頃の持った夢を一切変えず、あきらめずに叶えてるのは、ほんの一握り。一部の人間は、なんでもかんでも笑い者、バカにしたがる。過去に「~(鉄道会社名)の運転士になる」と習字で書いていたら、それを見たクラスメイトは「お前マジかよ(笑)、無理だよ、なんでなるんだよ(笑)」と笑い者にされ、バカにされたことがある。僕がその後にとっさに行動は、書いていたその半紙をくしゃくしゃにし、新しい半紙で「普通の会社員になる」と書き直した。だけどもその夢は高校3年生前半までは諦めきれなかった。しかし、もうひとつやりたい夢が出来たため、その夢を諦めることにした。どんな夢を語っても批判され、笑い者にされ、バカにされる。だけどもその粘り強さをどれだけ持てるか、応援してくれる人たちも絶対いるということを成長して今、身に感じる。人から言われて諦めるようでは、それは夢ではなくただの願望であることを。豆腐メンタルの僕は、批判やバカにされてただけですぐ落ち込むんだけどね。僕のように色んなことを経験し、途中からやりたいことが見つかってそっちに集中したいということなんていくらでもいる。だけども、最初からであれ、途中からであれ自分が叶えたい夢を本気で突き進めるか、本気でやろうとしているのかは自分次第。その態度とかが分かるのは第三者の視点から。今これを読んでいる人こそは僕は言いたい、「自分には才能がないのではなく、チャンスを自ら掴もうとしていないだけじゃないかい?、才能がなくたって別にいいじゃん、続けるこそ力となって運も味方してくれる。才能がどうのとほざいてるなら、それは夢ではない」と。別にバカにされたっていいじゃない、笑い者にされたっていいじゃない、挫折こそ自分が成長できるチャンス。メンタルを鍛え直すチャンス。チャンスは待つものではなくて自ら掴みに行くもの。自分がここチャンスだなと思ったらどんどん突き進めば良い、勝負に出ればいい。私の中の分岐点というなの線路切り替え部分は2つある。一つは、小学生の時。もう一つは、高校生の時だ。





~あとがき~

最後までご覧頂き、ありがとうございました。久しぶりにあとがきを書きますね。僕がリアルに忙しくて、執筆してない日でも読んでくださる方が居るというのは、本当にびっくりしています。この人生時々列車内を読んでいる皆様は、どのような気持ちで読んでいるのか知りたい面もあります。自分は正直な話、面白くないし、所々日本語が変になっている部分があるなという印象です。日本語って本当に難しいんだなと実感しつつ、語彙力や表現が多方向に広がっていくのは、便利な一面もあります。長くなりましたが、これからも人生時々列車内を読んでいただけると嬉しいです。

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人生時々列車内 無才能 @Shinkinada1473

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