第4話飲みきれない
季節は夏本番だ。
日々最高気温を更新しているため水分補給は欠かせないものとなっている。
何気なく口にしている「水」だが飲み切っている人はどれくらい居るのだろう。
こんな話を祖母に聞いたことがある。
「水は完全に飲みきらないといけないよ」
はて、勿体無いからだろうか。
「何で?」とわたしは聞き返した。
「水ってのは神聖だからね。口を付けて飲むだろう。あれは長く置くと悪いモンを呼びよせんのさ」
寝耳に水とはこのことである。祖母からこの手の話を聞いたのは初めてだった。
「え、そうなの?何でよ」
「何でもなにもないよ。昔からそういう風に言われているんだ。夜に爪を切っちゃいけないだとか、夜に靴をおろしてはいけないとか言うだろう。あれと同じ類だよ」
祖母はそれ以上語らなかった。恐らく民間伝承と言いたいのだろう。そう結論付けこの話は終わった。
時は流れ、今私は電車に乗っている。
そんな話のことはすっかり忘れていたのだが、目の前にぽつんと座席に忘れられた飲みかけの水を見て、祖母の言葉を思い出したのだ。
四分の一ほど残された飲みかけの水がゆらゆらと揺れている。
まだ最寄り駅までは時間があるし、あの時の話を考えてみようじゃないか。
恐らくここでいう水の意味は「神水」ではないだろうか。神水とは陰暦の五月五日の牛の刻に雨が降った時、竹の幹を切りその節の中に溜めた水のことだ。簡単に言うと霊験のある水、要するにものすごく神聖な水ということだろう。だから「放っておくな罰当たり」と伝えたかった昔の人が居たのではないだろうか。そして「口を付けて飲む」という点については心霊主義の一種だろうと推測する。スピリチュアリズムと言った方が耳に慣れているかもしれない。人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在し現世の人間が死者の霊魂と交信できるという思想だ。この霊魂とやらは口や鼻の穴から出ると考えられているらしい。したがって神聖な水に口を付けるということは魂を移すことに繋がったりするのではないだろうか。
勿論そんな儀式が本当に存在するのかは分からない。あくまでも祖母の話から推測するに、だ。唯一信憑性がある点といえば心霊主義は世界中を巡り日本にも伝わったということだろう。代表的なものには「こっくりさん」が挙げられる。あれはテーブルターニングという立派な降霊術だそうだ。ただ簡易的なため殆どは何も起こらないが、最悪の場合低級霊を呼んでしまうらしい。
ここまで一通り考えを巡らせてふと気が付いた。
こっくりさんは低級霊を呼ぶ。簡易的な方法で素人が儀式を行うからだ。
ちらりと車両に置き忘れられた水を見る。これは神聖なものでも何でもない。コンビニのテープが張られているペットボトルに入ったただの水だ。しかし祖母が言っていた「長く置いておくと悪いものを呼ぶ」という箇所が引っかかる。なぜ悪いものを呼ぶんだろう。日本人は本当に目に見えない何かが好きだと思う。しかしその手の話を一切しない祖母が言うくらいだ。水に口を付ける行為にはあながち本当に何か意味があるんじゃないだろうか。もし我々が日々の水分補給で知らぬうちに「意味のあること」を簡易的に行っているとしたら、こっくりさんと同じ降霊術の一種になるのだろうか。
だがそう簡単に結論に飛び付くわけには……と悩んでいると目的の駅にそろそろ着くというアナウンスが流れた。やれやれ、と電車に放置されたままのペットボトルに再度目をやる。先ほど自分が考えたことは空想に過ぎない。大体この世に何本飲み残された水があるというのだ。心配なら自分が飲みきれば良いだけの話じゃないか。そういえば飲みかけの水をわたしも持っていた気がする。飲みきって捨てて帰ろう。と鞄を漁ろうとしているうちにドアが開いてしまった。
一歩外へ踏み出すと日本特有の湿度の高さにため息が出る。そういえば今日は夜まで暑いと天気予報で言っていた気がする。毎年毎年最高気温を更新している気がするが、地球はどうなってしまうのだろう。来年くらいには爆発するんじゃないか。この様子じゃ、ますます「 」が欠かせないじゃないか。
──あれ「 」ってなんだっけ。
……まぁ、いいか。
そう思って改札へ向かって歩みを進めた。
車両に忘れられた「 」は、停車している座席の上でゆらゆらと揺れていた。
日常のうらがわに「 」 衛藤アキラ @Evrika___
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