第3話よくない家

なんとなく近づかないほうがいい場所、というのは実際に存在する。

心霊スポットというわけではないのにどうしてか薄ら寒い。

例えば通学路。記憶にある人もいるのではないだろうか。なぜか気味悪く感じる曲がり角、テナントが入っては潰れていく店、友達の家の近くにある田舎特有の茂み、など。


十中八九そういう時は何かしら「居る」らしいが、多くの人間は「視えない」から「なんとなく嫌だ」と感じるのだ。かく云う、私もその一人である。生まれてから今まで幽霊というものに出会ったことはない。(現在何となく怪奇現象が起こっている家に住んでいるが)

今回は、視えない私が「なんとなく近づきたくない」と感じた家について話したいと思う。


さて、私は茨城県の某所在住だ。小中高大の青春時代をここで過ごしてきた。

その家を知ったのは、中学生の頃だった。

「なんかやばい家あるらしいよ」と同級生が噂しているのを耳にしたのがその家との邂逅だった。噂とはいつの時代もなんとなく曖昧で、なんとも信じ難い。

この手の話題は、信憑生よりもいかに聞く側が恐怖するかに注力している気がする。その話自体は“夜に行くとでるらしいよ。○○ちゃんの友達の●●君が見たんだって”というような、よくある感じだった。

当時の私は「そんな家あるわけない」と馬鹿にしていた。


時は少し流れ、高校時代に進む。それはアルバイト中のことだった。

私は暇なコンビニで働いていた。暇なコンビニの特に暇な日だったのだが、何故か3人のシフトが組まれており、本当に客一人来なかったので怪談話をしていたのだ。某掲示板の有名どころから、ローカルな話まで。その時出たのがあの家の話だった。シフトメンバーをA、Bと仮定する。Aは中学校が別地区で、高校も別の一年先輩だった。Bは同じ中学で高校は別の同じ学年だ。3人で盛り上がってるうちに、ふたりがその家にバイト後行きたいと言い出したのだ。

頻りに誘って来たが、夜に出歩くなど個人的には絶対遠慮したい。眠いし。

NOと言える日本人なのでしっかりと断わってひとりで帰宅した。

その次のシフトでBと被ったため、あの後どうなったのかを聞いたところ、なんと本当に行ったらしい。しかも家の中に入ったそうだ。

まさか本当に行くとは思っていなかったので、気になってしまい好奇心から話を聞こうとすると先にBが「寒さって見たことある?」と聞いて来た。

「…ないわ。感じるもんでしょそれ」

「うん。やっぱそうだよね。でも見えたんだよ寒さ。その家の場所は知らなかったんだけど、大体の場所は聞いてたから適当に歩いてたの。そしたらすぐわかったよ。」

「へー。で、中に入ったの?」

「うん。中は荒れてるだけだったよ。変だったのは庭かな」

「庭?」

「そう庭。あの日は前日まで雨が降っていたでしょ?だから庭の土が緩くなっててさ。跡が見えたの」

「跡?なんの?」

「タイヤの跡」

話が掴めなかった私は、それがどうしたと言う顔をしていた。

するとBはこう続けた。

「あそこって一軒家で、空き家っていうか廃墟なの。で、車とかはそのまま残ってたんだ。多分長い間人住んでないと思う。でもタイヤの跡が新しくてさ。車ボロボロだったのに。それで気味悪くてすぐ帰ったんだ。」

「ふーん…寒さが見えるってのはどういうこと?」

「言葉にするの難しいなぁ。霧がかっているのとは少し違うんだよなぁ」

「なにそれ?すっごい気味悪いってことは分かるけど」

うーん…と言うBからはそれ以上“寒さが見えた“ということに関して聞き出すことはできなかった。要するにめちゃめちゃ気味悪いと言うことだろう。


時は更に流れ、2020年。私は社会人となった。

一年間一人暮らしをした後、これは通えると判断し地元に戻ってきたのである。

暇な土曜日に、先述のあの家のことを思い出した。

時刻は昼の13時。今の時間なら別にいいかな、数年越しにちょっと見るだけなら。と思い立ち、車を走らせる。

しかし、思い出したはいいが正確な場所がわからない。

そういえばBも教えてくれなかった気がする。寒さが見えたとか言ってたっけ。

と考えているうちに住宅街に来てしまった。ここでノロノロ徐行していたら完全に不審者だ。どうしよう、一度大通りに戻った方がいいだろうか。と考えながらゆるくアクセルを踏み込んだその時、寒さが見えた気がした。


寒さが見えるとは、うまい比喩だったなと感じた。確かに、その通りだった。

その家は確かにそこにあった。周りは通学路だろうか。学童飛び出しに対する注意喚起が描かれた手づくりの看板が目に入る。周囲と比べ、明らかに異質だ。暗い霧が浮遊しているように見えた。晴れた土曜の昼下がりその家だけが黒かった。汚れというより、穢れに色がついた感じだ。腐った何か、ドブ泥の色が漂よっていたとでも表現すればいいだろうか。Bが言っていた車も未だそこに置かれたままだった。物件の管理に明るくないためなぜ車がそのままなのかは分かりかねるが、家の周りにはロープが何重にも張り巡らされていた。地元では有名なため肝試しに使われたのだろうか。それとも他の何かを除けるためだろうか。なんて、頭の隅で考えてしまった。車の窓からちらっと見ただけで気味の悪さは充分感じたので、素直に引き返した。何か憑いて来てないことを祈るしかない。きっとこの家に関わると碌なことにはならないだろう。まるで映画じゃないか。あの恐ろしい女性とその子供に苛まれるのはごめんだ。数年に渡り何となくこの家が気になっていたのは、もしかしたら何か呼ばれていたのかもしれないと考えると少し肝が冷える。


さて、冒頭でも触れた通り私は「視えない」タイプの人間だ。

しかし「何となく関わらない方が良さそう」という事象には殊更強い。この家もその類だろう。

あの話を聞いてからすぐにバイトは辞めた。それ以降AとBとはその後疎遠になってしまい、現在の所在は分からない。だが何となく知らないほうがいい気がする。

わたしはこれからも日常を謳歌したい。

なので、ここで筆を置くことにする。

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