第2話見てる

私は長距離通勤者である。

職場までは往復4時間ほどかかるが、それと引き換えに住み慣れた地元での安定した生活が得られるならばどうってことはない。


そう思っていたのだが、最近少し気になることがある。電車の中で視線を感じるのだ。なぜか私の正面に座った人がジッとこちらを見てくる。事の始まりは二ヶ月ほど前、帰りの電車だった気がする。最寄りに近づくにつれて車両の人影は疎になるのだが、通路を挟んで向かい側に座っている乗客は一向に降りる気配を見せない。ジッ…っと私の顔を見つめているのだ。最寄り駅は田舎だが特急が停車する大きい駅のため夜でも人は多い。そのため降りてから撒けばいいかと考えたがやはり少し気持ち悪い。そう思った私は2駅ほど手前で車両を変えた。終点の最寄りに着いた際、改札へ急ぐ中一瞬後ろを振り返ったが、その乗客は居なかった。


また別の日、私は同じように電車に乗っていた。今度は行きの電車だ。目の前に座った先日とは違う乗客が私のことを見ている。勿論車両は変えている。もしかしたら知り合いなのかもしれないと思い、私も見つめ返してみたがやはり知らない人だった。よく見ると視線は私の顔から外れているような気がする。どこを見ているのだろう。目的地まではまだ随分時間がかかるため、私は諦めて眠ることにした。閉じたはずの目蓋の裏で誰かの視線を感じた気がして一層強く瞑ったのをよく覚えている。


そしてまた別の日、その日は雨が降っていた。混雑の影響で乗り換えた路線が遅延しており、狭い箱の中は人で溢れていた。混み合う車両に乗り込み目立たない位置に立つ。そこは窓のある座席の前だった。しばらくするとまたどこからか視線を感じる。ビクッとして恐る恐る私の前に座っている乗客を見ると、携帯を操作しており視線の先に私はいなかった。なんだ、気のせいかと思い顔を上げると窓に映る乗客と目が合ってしまった。

居た。私のすぐ後ろに。全く知らない男性だった。流石に近すぎる。逃げようにも、私にも車両にも身動きが取れるほどの余裕はなかった。窓越しに私をジッと見つめている。視線から目を逸らすことができない。なにをするでもなくずっと目を合わせてくる。どれくらいそうしていただろうか。段々と男の口角が上がるのを感じた。窓の外の景色からあと少しで目的地に着くことを察した私は、全身に力を入れ強く目を瞑った。時間的には数分であっただろう。しかし体感的には永遠のように感じた。もう限界だ。付けているはずのイヤホンから音が聞こえなくなったその時、「横浜〜横浜です。京急線、東急東横線、みなとみらい線は…」という車掌の気の抜けた声がした。まさに天の声だ。急いで人をかき分け列車を出た。誰よりも早く扉の外に出て、乗客が動き出す前に自分が立っていた場所を降りたホームから振り返る。すると、そこは不自然に空いている二人分のスペースから私が居なくなっただけだった。自分以外誰も電車からは降りていないし、この満員電車のため動きようもない。徐々に乗降が始まる。無理やり人をかき分けて出てきた私を非難するような視線を感じた。体にまとわりつく湿気から、あの視線を思い出して身震いする。

あの男はなんだったんだろうか。


それ以来、まだあの時のような視線は感じていない。今思い返すとあれは男だったのかもはっきりとしない。窓越しに確かに見たはずなのにどんな「  」だったかを思い出せない。覚えているのは視線だけだ。


また見たら思い出すんだろうか。

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