普通の凶官の教育譚

猫ノ助

Prologue

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          辞令


   アルフ・ヴォルフィーネ 殿

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  王国暦712年 9月 13日付をもって


  フェルブニエル王国聖導学院・臨時特務

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教官に任命します(異動を命じます)。

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王国暦712年 9月 10日



    フェルブニル王国騎兵団公安部


   総司令官役 フォルテシア・ヴァイオレット


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 王国騎兵団公安部の執務室にて。



「……どゆこと?」



 青年───アルフ・ヴォルフィーネは、差し出された書類に一通り目を通し、緋色の双眸を閉じアンティーク調の椅子にゆったりと腰掛ける生娘に小さく呟き尋ねた。



「どういうこともなにも……そのままの意味じゃない」

「いや、だからなぜに突然辞令? なぁ? なんで? まじホワイっ!?」

「はぁ……」

「明らかに呆れた感じで目を伏せるのやめてくれる!?」



 生娘は毅然としたは様子でアルフが持つ辞令書をひょいっと受け取る。自身で制作したであろう書類を見て、固い態度を崩しまた再燃した疲労感に重苦しい息を吐く。



 どう見てもアルフと同い年ぐらいの生娘───フォルテシア・ヴァイオレットは、一応アルフの所属する公安部内では最年少でありながら総司令官に任命される傑物だ。



 猛々しく燃え揺る業焔のような緋色の髪をふわりとハーフアップに纏まっていて、透けるような乳白色の艶やかな肌の清らかさを際立たせている。整った鼻梁に鋭くも凛々しい双眸も相まって、精緻に造られた人形のような可憐な美しさを放っていた。



 誰もが羨む均整の取れた身体つきや、その妖艶ながらも育ちの良い気品を感じさせる風貌が、堅苦しい印象のある軍服ですらファッションモデルの着るようなお洒落な服装に見えてくる。




「……本当に自分で左遷される理由はわかってないわけ?」



 返答はわかりきっているが、一応の確認を行う。



 もしここで自身の日頃の行いに非があったことを認め猛省するようなら、直ぐにでも辞令書を焼き捨てるつもりだ。



 まだ上官には提示していない案件ではあるし、出来ることならば公安部とて数少ない貴重な戦力を失いたくはないのだ。



「こっちは納得してねぇんだからわかってるわけねぇだろうがっ!」

「でしょうね……」



 とはいえ、あいにくフォルテシアの予測していた通りだった。



 いくら同期で士官学生時代は常にトップ争いを繰り広げてきた戦友とはいえ、今は上司と部下。上下関係が太く根付いた軍隊に所属しているくせに、まるでこの男の態度は士官学生の頃から変わらない。



 むしろ悪化の一途を辿っていると言っていいだろう。



 フォルテシアは、くしゃりと前髪を掻き上げてからバサリと何十枚といった羊用紙を机の上に広げる形で送く。



 そこには、丁重ながらスピードを重視した小綺麗な文字がびっしりと記載されている。フォルテシモの字だと、数年来の付き合いであるアルフは直様悟ると、そこに記されている内容も同時に視界に映る。



「被害報告書……?」



 それも一枚どころではない。二、三、四……十数枚は余裕である。



「一体誰が──」



 一々読むのも億劫になる程の文字の羅列。一体、誰がこんなに沢山の不祥事を起こしたのか。「誰だよ、こんな馬鹿やらかしたのは。呆れてモノも言えないぜ」とか、心の中で嘲笑っていたアルフの表情から色が一瞬にして消える。



「どうしたの? 早く目を通しなさい、アルフ。上司命令よ」

「ふぐぅっ……!?」



 満面の冷笑を称えた悪魔の美声が、アルフの精神を別の意味で射抜いた。



 つまり「この人マジで怖い」、と……。



 だがここで言われた通り書類に目を通せば、何か負けた気がする。何に負けるのかは知らないが、とにかく負けるのだけは凄く嫌だった。



 だからこそ、アルフはぐいぐい押し付けられる書類の束に完全無視を決め込み、頑なに文面を読もうとはしなかった。



 ただし、この場面においていえば非常にどうでもいい頑固さと全く意味のない負けず嫌いではあるが。



「そう……そんなに目を通したくないのならアタシが直々に読んであげる。感謝しなさい」



 花が咲き誇ったかのような可憐な微笑み。しかし緋色の瞳に光がない。とんでもなく怒っていらっしゃる、と数年間彼女の隣で切磋琢磨してきたアルフは勘付く。



 このままではマジで殺されかねない。



「家屋の倒壊が24件。公共施設および自営店舗から出された被害届が59件。独断専行と命令違反が243件。被疑者の軽度を問わない傷者数32名……ちなみにこれ、今年度だけの数値だから」

「…………」

「これで左遷されない理由がわからないとは言わせないわよ」



 抑揚はなくとも凛々しい声に、アルフは背筋に冷たいものを感じ思いっきり目を逸らす。



 今言った内容だけが全容だけではないらしいが、公安部が出した被害総額約1000万ベルの内約980万ベルを占めているのがアルフのものだったりする。



 それに伴い減給に減給を重ね、先日とうとう今年度の年俸を上回る減給を受けたアルフ。今年度はタダ働きが確定されたばかりであった。



 当たり前の話ではあるが彼の出した賠償金はほんの一部であり、払いきれない金額は公安部の予算から差っ引かれている。つまるところ、アルフは公安部にも借金をしているのだ。



 であるにもかかわらず、この男は反省一つせず違反行為を平然と行いやがる。



 今の今まで寛容で寛大な対応で恩赦を受けていたアルフだが、その恩赦を与えていたフォルテシアも手を下さざるを得なくなってしまったというわけだ。



「アンタ、アタシ達の立場ほんとにわかってんの?」

「……わ、わかってるぁい」

「結局どっちよ」



 だらだら、キョロキョロ。



 あらぬ方向に彷徨わせる黒瞳、かつ額からとどめなく流れ出る脂汗。答えは一目瞭然──絶対にわかっていない、だ。


 

「……まさか、本当に自分の所属する部署の仕事をちゃんと理解してないなんて」

「というか、そんなもん知ってどうなるってんだ。 規則? 連携? はっ! っんな下らないもんに束縛されなくたって任務は完遂出来るってんだっ! むしろ一人の方が気楽でやりやすいわっ!」

「こいつ開き直りやがったよ」



 ストレスマッハ状態のフォルテシア。憤りを通り越して精神的疲労が蓄積された心を落ち着ける為に安物インスタントブラックコーヒーの淹れているカップに口をつける。



 だが、淹れてからそれなりに時間が経過し冷め切ってしまっていた珈琲の味は想像を絶する不味さ。思わず吐き出しかけるところを強引に嚥下して涙目になりながらも堪えた。ストレスレベルがさらに高くなる。



 公安とは、「公共の安全と秩序」という意味を持ち、公安部はそれらを裏から守る為に立ち上げられた王族公認の裏組織。



 今も昔も変わらない表の規則とは違ったやり方で裏から平穏を守り続ける秘密結社のようなもの。



 隠密にそれでいて迅速にをモットーに任務を遂行し、治安を維持することこそが本懐。



 だというのに、この阿保はまるで公安部とは思えない悪目立ちの仕方ですぐ暴走して任務に不必要な問題をホイホイ持ってきやがる。



 しかも、それを一向に抑える気概もないどころか理解していないときた。



 今の不味い珈琲の影響も少なからずあるものの、こうして思い返せばやるせない憤りがもはやとどめようもなく沸々と込み上げてくる。



「とりあえず反省しなさい──“聖印接続セット解錠アクティベート”【氷焔】」



 フォルテシアの小さく囁いた聖文が部屋に響き渡った。



 直後、絶対零度を誇るフォルテシアが発動した白銀色の焔──【氷焔】が部屋全体を覆う。



 先代の総指揮官から受け継いだ世界に一つしかない貴重な軍旗も、いかにも歴史的価値のありそうな高級ワインも、皇王から直々に承った誉ある勲章品までもが瞬く間に氷漬けになった。



「アルフ、ちょっとそこに直りなさない。上司命令よ」

「お、おい……お、落ち着けよフォル。とりあえず言う通りにするから、一旦その左手に発動した【氷焔】を解除してくれよ。な? このままじゃ話なんて出来ない──」

「訂正するわ──アルフ、氷像になりなさい。上司命令よ」

「余計にタチが悪いわっ!! ──って、うぉっ!?」

「ちっ、躱したわね」



 ひゅっ、とフォルテシアの左手が素早く横薙ぎに振るったかと思えば、白焔が放射状に放たれアルフの右肩を掠め通過する。



 アルフが危険を逸早く予見し咄嗟に身体をわずか横に逸らしていなければ間抜けな青年の氷人形が完成するところであった。



「なんで避けるのよっ!? あんたは的なんだからそこから動いちゃダメ。そこのところ理解してるっ!?」

「っざけんなよっ!! 当たったら死ぬし、そもそも俺は的じゃねぇ!? そんな暴力的だから彼氏の一人も出来ねぇんだよぉおおおお──ッ!!」

「…………は……?」



 アルフの思わず口走った皮肉混じりの絶叫が氷窟となった執務室に響き渡る。と、同時に【氷焔】とは一切関係なく部屋の空気が一瞬にして凍り付く。



「あ……っ」



 空気が変質したのを認知した瞬間、自身の爆弾発言が原因だと悟ったアルフ。余裕のなかった表情が、さらに血色悪く蒼白になっていく。



 フォルテシア・ヴァイオレット。最年少にして公安部の総指揮官に任命された才媛。他の追随を許さない圧倒的な神聖力と、それを卓越された技巧能力で操る制御能力で幾度となく戦場にいる敵軍を蹂躙してきた実績からついた異名は、【氷輪の焔魔】。



 そんな、戦場において欠点らしい欠点がない彼女にも大きなコンプレックスがあった。



 それが、男性関係の話題である。



 近年、聖術の普及によってフォルテシアのような女性騎士が輩出されることがそれなりに増加してきた騎兵団ではあるが、依然として男社会は変わらず。



 よって、騎兵団に入隊した男達は女性との触れ合いが極端に少なく、ほとんどのものが女性関係で飢えていると言っても過言ではないだろう。



 そんな中で咲いた一輪の華。



 可憐ながら凛々しく、艶めかしくありながらも清純に。そんな精緻に整った容姿を持った穢れのない生娘が、こんなむさ苦しい男しかいないような世界に自ら足を踏み入れたと言うのだ。



 女性に飢えきった男性騎士達にとってこれほど喜ばしいことはないだろう。それこそ、戦果を上げて皇王から勲章を受け賜る何倍もだ。



 だから、当然のようにフォルテシアは、入隊してからずっと日々違う男性騎士からアプローチを受けていたのだが。いかんせん彼女の聖騎士としての実力が高すぎた。



 とある日。男達の声掛けにも辟易としてきていた頃、フォルテシアはとうとうこう切り出した。



『こうも毎日付き纏わられるとうざいったらありゃしないわ……もう面倒だからまとめてかかってきなさい。そして、最初にアタシを倒した人とお付き合いしてあげる』



 そう口火を切った後、十数名ほどいた男性騎士達が分け目も降らず一斉に襲いかかった。結果は、彼女の男性遍歴が真っ白なことから察してほしい。



 それからと言うもの、フォルテシアの周囲を付き纏っていた連中は綺麗さっぱりいなくなり、同期(主にアルフ)からは【行き遅れ間違いない女ナンバーワン】や【男性クラッシャー】などという大変不名誉な渾名をつけられる始末だ。



 そういう経緯があって、彼女に男性関係の話を持ち掛ければ不機嫌になることをとっくに知っていたはずのアルフだったが、まさかまさかの、渾身の発言ミス。



 あろうことか、ストレス限界突破中のフォルテシアに対しての罵声だ。普通に死ねれば御の字、酷ければ肉片だって残らない。どうあっても死は免れないのだ。



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 拝啓、我が愛しの妹。


 

 お兄ちゃんは、絶対に死にます。



 生き残れる自信がないというか、そんなことも考える必要がないくらい確実に死にます。



 でもだからといって悲しまないでください。これは俺がとんでもない大罪を犯した罰だからです。貴女が背負う必要はありません。



 最後にユウリが作ったクリームパスタが食べたい人生だったよ。



 それでは、お元気で……。



   いつまでも成長しないバカ兄より

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 そんな手紙が愛しい妹の手に渡り、妹が蔑みながら読んでいる姿まで想像できてしまうぐらいには死を直感していた。



 刹那、双眸を鋭く細めたフォルテシアは、白焔を迅速でいて完璧に制御し様々な姿形を創り出した。



「そこまでアタシの言うことを聞けないのなら……もういいわ。あんたなんて左遷する前に死んじゃえばいいのよ。【氷焔】──“創炎氷造”っ」



 先端が鋭利に尖った氷礫、三連。



 拘束用に縄状になった炎蛇、五匹。



 自動追尾を可能にした白炎の輪刃、四刀。



 唸りを上げ本物と遜色のない俊敏性と凶暴性を誇る氷狼、三匹。



 冷気から来る寒さとは異なる寒気。これは本気の殺気なのだと、積年の経験から理知する。つまり、マジで殺しに来ていると。



「……じ、冗談、だよな?」



 フォルテシアさん、無言でこれ以上ないくらいににっこり。アルフも頬を引き攣らせながらにっこり。



 この時点で察する──「あ、終わった」、と。



「死ね♡」

「ギャアァアアアアアアアアア──ッ!!」



 語尾にハートマークの入った死刑宣告の後、アルフを中心に蒼炎が猛然と這い上がる。



「……またあの二人か。ほんと元気だねぇ〜」



 静寂なはずだった執務室から突然響き渡った轟音と青年の助けを求める絶叫に、先日の任務内容を几帳面に纏め上げた報告書を提出しようとしていた壮年の隊員は呆れつつも巻き込まれたくない一心からゆっくりと踵を返した。






 


 

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