あれから10年後

 夕食の準備をしていた私は、玄関から戸を叩く音が聞こえてきたので料理している手を止めた。


「こんな時間に、一体誰かしら?」


 夕方を過ぎてオレンジ色の夕日は沈み、徐々に外は暗くなっていくような時刻。


 私の住んでいる家は村から少し離れた場所にあるので、普段から人が寄り付かないような森の中にある。だからこそ、夜に私の家に訪ねようとする人は居ない。昼でも慣れていないと、家に来る途中で確実に森の中で迷ってしまうから。


 だから、こんな夜になってから家を訪ねてくる者は居ないはずなのだが。


 今日は約束している人も居なかったはず。訪ねてくる人物に心あたりは無かった。もう一度思い返してみたが、やっぱり分からない。だけど、そのまま気付かなかったフリをして放置するわけにもいかないか。


 私は不審に思いつつ、少し警戒をしてノックの音が聞こえた玄関へと向かった。


 私が玄関へ向かっている途中に何度も、繰り返し扉を打つ音が聞こえてきていた。不審な来訪者に急かされる。


 それなのに、来訪者は声を出して住人に呼びかける事をしなかった。聞こえてくるのは扉を慌ただしく叩く音だけなので、私は来訪者の正体をつかめないでいた。訪ねてきた誰かは、かなり急いでいることだけは分かった。


(厄介事のような気がするけれど。……あまり、出たくないわね)


 そんな予感を抱きつつ、私は玄関までたどり着いてしまった。まだまだ、扉を叩く音は鳴り止まない。もう十分に聞こえているのに。


 念の為に、私は玄関脇に立てかけてあった魔法杖を右手にとって何かあれば対処できるように装備してから、外に呼びかけた。


「どちら様でしょうか?」

「イザベラ! 居るのだろう、開けてくれ」


 聞こえてきたのは男性の声。そして、女性の名前を呼んだ。その名は、私にとって身に覚えがあるモノだった。仕方なく、扉を開くことした。


「やぁ」

「どちら様ですか?」


 扉を開けたそこには、村で見たことのない40代ぐらいの草臥れた中年男性が1人片手を上げて立っていた。彼が戸を叩いていたようだけれど、見覚えがない。


 村の住人ではないといしたら、彼は一体誰だろう、私に何のようなのだろうか、と考えていると来訪者が口を開いた。


「久し振りだね、イザベラ」


 再び私の質問に答えない彼は、疲れた様な笑顔を見せられながら、女性の名を口にする中年男性。来訪者は、私に向かって”イザベラ”という名で呼びかけてきた。私は彼が誰なのか分からなかった。


 顔をもう一度しっかりと見てみたけれど、見覚えはない。近くの村に住んでいる人でないことは確かだけれど、それ以外は分からない。私の記憶には無い、男の顔だ。


 彼の服装を見てみると、貴族の着るような立派なモノだった。生地や作りは立派。けれど、なぜか染料が劣化していて薄汚れた色になっていて粗末な印象を抱かせる。それが今の貴族の流行りなのだろうか。貴族社会から離れて久しい私には、判断できない格好だった。


 そんな服装も汚くなっている。疲れた顔と薄汚れた格好から長旅にでも出ていたのだろうかと想像しながら、彼が誰なのかをもう一度ハッキリと聞いてみた。


「あの、大変申し訳ないのですが、どちら様でしょうか? 誰かと間違えていませんか?」


 もしかすると私が思い出せないのは、彼が一方的に知っているだけの関係だったり、一度だけ出会った事のある人なのかもしれない。


 家を訪ねてきた本人に直接、聞いてみた。すると私の反応を見た彼は、大きく目を見開いた後、今度は目をつぶって落ち着いてから溜息を一度ついていた。どうやら、残念がっているみたいだったが。


「コレを見てくれ」

「え?」


 私に向かって何かを差し向ける来訪者。その手のひらには、フロギイ国と呼ばれる王国、私のかつての故郷だった場所の国章が刻まれたペンダントがあった。


「私は、フロギイ国の王。アウレリオだ」

「ん? えっと……」


 アウレリオ。その名前を聞いた私は、すぐには思い出せなかった。聞き覚えがある名だったが、何だったっけか。数秒悩んでから、ようやく思い出した。


「あぁ! お久しぶりですね!」


 私が10年前に破棄させられた元婚約者の名前を名乗られて、改めて彼の顔をもう一度見た。だが、記憶にある人物と全然一致しなかった。


 目の前に居る男性は、若く見積もっても40代ぐらいの年齢だろうと思わせる程に老けて見えた。私の元婚約者は、私の2歳年上だったはず。今の私が25歳だから、記憶通りに計算するれば彼の年齢は27歳のはずだろう。30代を超えて、40代に見えるぐらい老けた見た目の男が、アウレリオ本人だとは思えなかった。


 だけど、彼の手のひらの上に置かれて差し出された国章が刻まれたペンダントは、王族しか持つことを許されていない物だったはず。それが本物だとするならば、彼がフロギイ国の王族であることは間違いないだろうと。


 アウレリオ本人かどうか分からないが、王様という大きな権力を持つ人物。面倒事にはならないよう素直に話を合わせて、彼が訪ねて来た用件を済ませることに。


「お久しぶりですが、一体何故この場所に? 私は10年前に処刑されて死んだ事になっている人間です。そんな死人に対して、どのような用件で来たのですか?」


 彼が家を訪ねて来て、私が扉を開けて出迎えた事に驚きはなかった。私のことも、普通にイザベラと呼んでいた。私が10年前に処刑された時には死んではいなくて、今も生きて続けて生活していることを彼は知っているようだ。


 私が生きているという事を知った上で、私の住む家を訪ねて来た。彼の話を聞いてしまったなら厄介な事に巻き込まれそうだと予感しつつ、家を訪ねてきた王族に話も聞かず追い返すわけにはいかないか。


 さっさと用件を伺って、彼にはいち早く帰ってもらおうと話を促す。


「ここに来た理由を伝えるには話が長くなりそうだから、座って話し合いをさせてくれないか?」

「……ッ」


 私は、家に来た目的を早く話せと促した。しかし、話し合いをするから家に入れてくれという彼の言葉。そう言って、ジッと私の顔に視線を向けてくる。


 元婚約者だけれど家に入れるなんて、かなり嫌な気分だった。すごく拒否したいと私は考えたが、彼は家に招いて座らせるまで用件を話さないつもりなのか口を閉じて沈黙。私が家に招き入れる言葉を聞くまで黙ったまま、玄関の前で立って待っているようだった。


 苦渋の選択。彼を家の中に招くかどうか。


 先程から、森の中に何人か人間が隠れているような気配には気づいていた。流石に一国の王を1人で勝手に出歩かせる訳にはいかないのだろう。姿を隠して潜んでいる連中は、王様を影から守護する存在なんだろうな。


 無視したいが、仕方ないか。


「はぁ……、どうぞ中へ」

「すまない」


 仕方なく、王子を家に招き入れて素早く話を終わらせられるように頑張ろうと決意しながら、元婚約者である彼を家の中に招き入れた。

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