第4話

 そして野分は、名無し子と暮らすことに決めました。こうなったらとことん目の内に溜まる泥をそそいでやろうと思ったのです。

 熊の長老にそう伝えると、最初は億劫おっくうそうに目を細めましたが、「これからは山葡萄やまぶどうの実がっても手当たり次第に蹴散けちらさない」という決め事を持ち出すと、長老は仕方なくゆっくり頷きました。

 そうして次の日、山の向こうから昇ってこられるお天道てんとうさまに向かい、二人は静かにこうべれました。そうして始めて、山で暮らすことを認められたのです。

 お天道さまは名無し子へ「ナギ」という名前を授けられました。すると、ナギはぼろぼろと泣き始めてしまったので、野分は深くため息を吐きます。

「どうしてお前は泣いてばかりいるのだろう。たかが名前を頂いただけじゃないか」

「それでも、わたしにとっては大切な名前だよ」

 ナギは顔中くしゃくしゃにして笑いました。そういう忙しいところは実に子供っぽくて良いのだが、と野分は思いました。


 さて、それから野分はナギにしっかりと山の生活を教えました。

 白露しらつゆつばめが去る頃は、秋霖しゅうりんが活気づくので気をつけること。小雪しょうせつの虹が消える頃は、もう淡雪あわゆきが踊り出すこと。水仙すいせんには毒があるのでかじらないこと。西の森にははい群狼ぐんろう共が退屈をしているので近づかないこと。

 ナギは教えを一つ一つ忠実に守りましたが、それでも時には力及ばず、雄大な自然に呑まれることもありました。その度に野分は「や、や、それはいかん」と癇癪かんしゃくを起すのでした。

「子供というものはとにかく向こう見ずで、腕白わんぱくでなければいかんのだぞ。なにくそ情けない、俺がお手本を見せてやる」

 そうして大旋風おおつむじを巻き上げながら、鳴神なるかみの大嵐と取っ組み合ったり、白魔はくま冰雪団ひょうせつだんことごとく追い返したり、灰の群狼どもを蹴散らしたりと、野分は大暴れしたので、誰にも手が付けられませんでした。

 山のみんなも驚いて「野分はとうとう改心でもしたのか」と思いましたが、野分にその気は一切ありませんでした。


「一体全体、どうして俺が心など改める必要があるか、まったく馬鹿馬鹿しい。俺はどのような境遇におかれていようと俺なのだ。風で、気まぐれで、朱の切れ端をひるがえらせていればすなわちそれが俺なのだ」


 野分は山に向かって訴えましたが、誰も彼の話を信じませんでした。山彦やまびこが面白がって、野分の真似をするだけでした。


 ただ、ナギだけはくすくすと笑いながら、朱色の激しく舞り狂うさまを、楽しそうに見守っているのでした。


 



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