ヒマワリ

@k_aoki

第1話

 僕は壁に掛けた六月のカレンダーを勢いよくちぎった。明日からは七月である。カレンダーの余白に描かれた花は落ち着いた紫色のアジサイから、夏の青空に映える黄色のヒマワリになっている。色とりどりの書き込みがある六月のカレンダーを小さく折ってゴミ箱に捨て、僕はベッドに向かった。あと数分で七月だ。たかだか月が替わるぐらいで、とくにどうということはないのだが、根拠のない明日への希望をいつもより強く抱いて目を閉じた。

 昨日よりも三十分ほど早く目が覚めた。窓枠に掛けた風鈴がちりんちりんと涼しく鳴っている。気分がいい。僕は寝巻から着替えて散歩に行くことにした。まだ太陽は低く、外の空気はひんやりとしている。昨日の夕立に打たれて花茎がすっかり曲がってしまったアガパンサスの花びらの上できらきらと光がはじけていた。まだ人通りの少ない住宅地の道を朝日に向かって歩く。少し行って国道を渡ると田んぼが広がっている。風は銀色の帯となってその上を通り過ぎていく。舗装されていないあぜ道のでこぼこが履き古した運動靴の底から伝わってくる。僕は奥のほうまで行って深呼吸した。青臭い畳のような、少し湿ったにおいが肺の中に充満する。

 もと来た道を引き返して家に向かった。同じ道だというのに、景色は全く違って見える。行きしなには気づかなかったが、もう一つ向こう側のあぜ道の脇には小さなヒマワリ――しかし鮮烈な黄色に輝いている――が見えた。一つ見つけると他の様々な場所でも見つけることができた。国道を走るトラックに激しく揺さぶられるものや、休耕田の端で控えめに咲いているもの……。どうして今まで気づかなかったのかと不思議に思えるほどたくさん咲いている。もしやと思い、僕は足元を見た。背の低いヒマワリが咲いている。ふと背後に気配を感じた。振り返るとわだちの真ん中から二メートルほどもあるヒマワリがあって、てっぺんには見事な大輪が咲いている。前に向き直ると僕の行く手を阻むように大きなヒマワリが咲いていた。僕は楽しくなって、バレエの踊りのよう一周ぐるりと回った。ぽんぽんと僕の回転に合わせてヒマワリがあらわれる。子どもの腕の太さほどの、乱立するヒマワリの茎をかき分けて僕はあぜ道を無我夢中で走った。茎の鋭いとげがちくちく刺さるのも気にならない。

 国道に出た。土砂を満杯にしたダンプカーの荷台や運転席からヒマワリが顔を出している。行きかう車が尾を引くように黄色い花びらをまき散らしていくので、路面はヒマワリの色でいっぱいだ。僕は脇に溜まった花びらを両手にすくって思いっきり上に放り投げた。ひらひらと僕の周りを飛んでいる。あぁ、なんて美しいのだ。日の光を吸い込んだ花びらはいっそうその黄色を鮮やかにして僕を照らす。もうひとすくい僕は巻き上げた。花びらは僕の手を離れたとたんに輝きだす。照らされた僕の手も鮮やかな黄色になって舞い始めた。手の次は腕、腕の次は肩……。視界が黄と緑で埋め尽くされていく。その時僕は気づいた。世界はヒマワリでできているのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒマワリ @k_aoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る