わざと事件に巻き込まれる

 1週間が経っても、はるはまだ自殺の方法がどうのこうのと言っていた。一時の気の迷いではないらしい。俺は不安を感じ始めた。

「はよせーや直己なおみ。俺のピークが過ぎてまうやないか」

 下校中の俺たちは、高校の最寄り駅に向かって歩いていた。陽は俺を責めながら指定鞄を振り回し、時々自分が振り回されかけた。無理なダイエットを始めてから、こいつは鞄に負けがちになった。

「お前、痩せすぎじゃね?」

「いきなり何やねん。痩せすぎちゃうわ。俺、今ベスト体重やで」

 俺は陽の小さな顔や、制服の半袖から伸びるほっそりした腕を観察した。元々食べても太らない奴だったが、それにしても細くなったものだと思う。

「もう少し増やした方がいいと思うけど」

「俺的にはベストやねんて。このために献血も諦めたんやぞ。『キングダム』途中やのに」

 ちょうど俺たちは、献血ルームの前を通り過ぎるところだった。「献血にご協力ください」という幟が何本か立っている。そういえば、「空調の効いた献血ルームで、アイスを食べながら置いてある漫画を読む」というのが、陽のお気に入りの休日の過ごし方だったことを、俺は思い出した。それを諦めた時点で、今がベスト体重とは言えないと思うのだが。

「これ以上俺の寿命を長引かせるんやったら、直己がキングダム買うてきてや」

「何でだよ。陽が自分で買えよ」

「金がないんや」

「お前んち金持ちじゃないの?」

「金持ってんのは俺やなくてうちの親。校則でバイト禁止やし、俺かて小遣いやりくりするしかあらへんがな。あとな、献血ルームのキングダムとアイスは、小遣いで買うたもんとは一味違うんや。自分の血と引き換えに手に入れたもんやからな」

「血と引き換えにって……」

「直己も行けばわかるで。売血の味が」

 このままだと献血ルームに連れていかれそうなので俺は黙った。注射が苦手なのだ。

「それに痩せてた方が、早くお骨になるやろ。火葬の準備にもなるわな。エコやで」

 陽はそう言ってまたカバンに振り回される。

「エコかぁ……?」と言って俺はふと、陽の最近の奇妙な行動のことを考えた。そういえばダイエットと同じ時期に始まったあれらも、全部死ぬための準備なのだろうか?

「そういえば陽、最近財布薄くなったよな。あれも死ぬ準備か?」

「ああ、死ぬならポイント貯めてもしゃーないやん。パンパンだと遺品整理されるときカッコ悪いし」

「じゃあ、女の子の連絡先断捨離したのも?」

「あれも死ぬなら不要やな」

「じゃ、伊奈子いなこちゃんの話しなくなったのは?」

 妹の名前が出たとたん、陽の眉がぴくりと動いて、切れ長の目が俺をじろりと睨んだ。

「俺、伊奈子の話せーへんか?」

 俺は少し怯みながら、「最近聞いてない」と答えた。そういえば話を聞かない以前に、最近彼女を見かけていない。病弱で引きこもりがちとはいえ、以前はたまに可憐な姿を拝むこともあったのだが。

「そうかぁ……」と、陽は考え込むように目を伏せる。長い睫毛が頬に影を落とす。

「実はあいつ、最近入院しとんねん。せやから話すネタがないねん」

「えっ、そうだったのか」

 悪いことを聞いたかもしれない。俺は話を変えることにした。

「じゃ、じゃあ、原付登校やめたのは何で?」

「原付やめたのはなぁ、うーん……俺の原付、荷ケツでけへんからな」

 お前に合わせとるんやで、と言うと、陽は自分より少し背の高い俺の顔を見上げて、照れくさそうにニッと笑った。

「今くらい直己と一緒に帰りたいねん。死んだら会えへんからな」

 突然の告白に、俺の目頭が熱くなった。

「え、陽……」

「嘘やで」

「嘘かよ!」

 そのとき、近くの商店街の中から悲鳴が上がった。怒鳴り声が聞こえる。

「逃げろ!」

「刃物持ってるぞ!」

 俺と陽は顔を見合わせた。

 商店街の方に向き直ると、血のついた肩を押さえながら転がり出てくる人がいる。その奥に、手に凶器らしきものを持った男が見えた。

 こんなとき、自分は足がすくんでしまうタイプなのだということを、俺はこの時身をもって知った。まさか、本物の通り魔か? なんてタイミングだ。陽にとっては天啓かもしれないが……。

(そうだ、陽は?)

 さっきまで隣にいたはずの陽がいない。まさかあいつ、マジで通り魔に殺されようとしてるんじゃ……そう思っていると、俺の目の前を当の本人が、案の定商店街に向かって走っていった。

 いつの間にか、両手で長いものを持っている。献血ルームの幟だ。

「おおお! おいおいおい!」

 金縛りが解けた。俺は慌てて陽を追いかけた。商店街を恐怖のどん底に叩き込んだ男は大きな鉈を持ち、携帯ショップの前で座り込んでしまった若い女性に、今まさにそれを振り下ろそうとしている。

 幟を持った陽は、まるで棒高跳びの選手さながら、迷いなく携帯ショップの前に駆けていく。男の前に立ち、胸全体が膨らんで見えるくらい大きく息を吸い込む。

「ィヤーーー!!!」

 地声がでかいだけあって、ビリビリと辺りが震えるような物凄い気合いだ。それと共に、陽が幟を前に繰り出した。幟の先端はなんと、過たず男の喉を突いた。後で聞いたら、競技用の木剣と幟はさほど重さも長さも変わらないそうだが、俺はそんなことより、陽がわりと真面目に部活をやっていたらしいことに驚いた。

 喉を押さえてうずくまった男を、ワンテンポ遅れて周囲にいた人々が押さえ込む。

「陽!」

 俺は息を切らしている陽に声をかけた。

「おい! すげーよ陽!」

「アカン、倒してもうた」

「は? 全然アカんくないぞ!」

「ちゃうねん、自分の頭に鉈当てにいくつもりやったのに、なんかカーッとなって……幟がええとこにあったせいや……」

 そう言いながら、その場にペタンと座り込む。

「何後悔してんだよ。殺されなくてよかったじゃん……おい、陽?」

「立てへん」

「は?」

「腰が抜けて立てへん……直己、おぶって」

「今!?」

 どうやら陽は、恐怖が遅れてやってくるタイプのようだ。

「早よ逃げな! 新聞に『高校生お手柄!』とか書かれる前に! はよ!」

 そう言って騒ぐので、俺はしかたなく陽を背負って商店街を出た。思ったより軽かった。

「ごめん」と背中で陽が呟いた。

「気にすんなよ。お手柄だったんだしさ」

「ごめん、伊奈子……」

 陽は俺の肩に顔を埋めた。

 なんで今妹なんだよ……と思いつつ、俺は黙って駅に向かった。


 結局、陽の目立つ顔と高校の制服、それに物凄い気合いと突きは、その場に居合わせた人たちの記憶に残った上に写真も撮られていた。翌日の新聞にはまんまと「高校生お手柄!」の見出しが踊ることとなった。

 陽は「恥ずかしくて死にそう」と嘆いたが、幸い誰も死なずに済んだ。

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