後編
それから、死神を名乗る男は自分の人生のあらゆる場面で姿を表すようになった。
20代後半、愛する異性が出来た。自分には出来過ぎた美人で気立ての良い相手で、すぐに結婚を決意したものだ。
プロポーズに使う指輪を買いに行く道には、奴がいた。今日は行かない方がいい、そう言うのだ。
いくら命を助けられた相手とは言え、従うのは癪だった。死にたい訳ではないが、自分の行動を先読みして阻害されるのは自分の流儀に合わないのだ。人生のネタバレである。
水掛け論めいた口論を遮るように、パトカーのサイレンが響いた。宝石店強盗が店内の客を人質に立てこもったらしく、また自分は死神に命を助けられたのである。
それからは、死神は自分に声をかけなくなった。何かが起こりそうな時に、そわそわと視界に映るのみである。結婚式の来客として、妻の出産を行った病院の入院患者として、サバ定食か豚カツ定食かを迷った昼時の定食屋の客として。
何度も遭遇するうちに、それがある一定の規則性と共に現れることが分かってきた。おそらく、それは人生における岐路なのだ。昼に食べる定食が自分の将来にどういった影響を与えるかはわからないが、今の自分はそういった薄氷の上を渡るような人生を歩んでいるらしい。本当に癪だが、奴が現れた時はいつもより慎重に行動を選ぶ。その度に死神が視界の端でサムズアップするのが、腹立たしくて仕方がない。
そうこうしているうちに、死神と会ってから妻と子供に恵まれた平凡な人生を60年も歩んでいることに気づく。今の私は80歳を超え、孫を可愛がる平凡な幸福を手放せなくなっていることに気付いた。
今の自分は病院のベッドに寝かされ、夕陽が落ちていく暁の空を眺めている。太陽が落ち、夜になりつつあるのは、自分の人生もだろう。
大往生、天寿を全う、老衰。この状態を表す言葉は沢山あるが、そのどれもが“幸福な終わり”を意味する。死神の感性は、想像よりも人間に近いのかもしれない。
「クランクアップです。おめでとうございます」
最期を看取る家族に紛れて、陰気な男が呟く。その言葉も、その姿も、自分以外には届いていないのだろう。
人でなしが。内心でそう呟いた。奴の行為は他者のためではない。全て自分本意な動機だ。死など見飽きているかもしれないが、たった一つの人生をまるで映画を観るように消費し、対象の意思を尊重しないのは傲慢ではないか?
「“人でなし”? そもそも人じゃないので、適切な言葉選びですね!」
奴は変わらずヘラヘラと笑っている。60年経っても、相変わらず陰気な顔だ。姿形も、その思想も、何も変わっていない。自分はこんなにも老いて、もう立つことすらできないのに。時間の流れと共に無鉄砲な精神は摩耗されて、大人になってしまえたのに。もう新しい物語を楽しみ、ネタバレに怒る気力すらないのに。
死神とはずいぶん勝手な生き物だ。人の心が無いのか? オチを先に語られるのは驚きがない、と最初に言ったはずなのに。こんな見え透いたハッピーエンドは退屈すぎるのに。
「でも、楽しい人生だったんでしょう?」
あぁ、とても楽しい、幸福な人生だった。だからこそ嫌なのだ。頭では無数の反論が思いつくのに、心のどこかに納得する自分がいる。太く短い人生でなくても、嫌々敷かれたレールをまっすぐ進む人生だったとしても、最後に悪くない、と思えてしまう自分が嫌なのだ。
霞む視界に、泣いている老婦が映る。老いた妻よ、先に逝く自分を許してくれ。きっと、近いうちにまた会える。
心配そうに自分に声を掛ける娘夫婦が映る。後々迷惑をかけないように身辺整理はしておいたが、それでも娘たちにとっては初めての経験だ。心配させてすまない。いつまでも見守っているよ。
まだ死を理解していない末の孫が映る。あまり遊んでやれなくてすまなかった。墓参りの時くらいは思い出してくれると嬉しい。
その後ろで精一杯の拍手をしている陰気な男よ。お前とは一番付き合いが長いが、感動される筋合いだけはない。生まれ変わっても死神にだけはなりたくないものだ。流石に死んだ後まで付きまとう事はないことを祈っている。
心臓が動かなくなっていくのを感じた。私は眠るように生を終える。それは、陳腐で見え透いた幸福な終焉、ハッピーエンドだった。
ハッピーエンドへの導き方 狐 @fox_0829
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