第十七話「苦み」
フィランによる説明はこうだ。
現在、リリアン帝国のナミアス地方の領主は、サインス・ベルートンという伯爵らしい。いつかの戦争で武勲を立て、四年前、褒賞としてナミアス領主の座を授かったのだとか。
だが最近、そのナミアスで何やら不穏な動きが見えるのだそうだ。
地方の統治は全面的にその領主に任せているらしく、ここ最近中央への報告がかなり減少し怪しく思って調べたところ、無茶な増税や農民への過酷な労働強要などの問題が浮かび上がってきた。
それに対する調査のため、二十日程前にナミアスに調査員を数名送ったのだが、その調査員たちがまだ帰ってきていないのだそうだ。
これはいよいよ何かあると感じたラエフィラン皇太子は、今から丁度二週間後に、自ら少数の部下と共に事前通知なしでナミアスへ向かうらしい。
そして、その少数精鋭の部下たちの中に、なぜかルーナを含めると言っているのである。
「な、なぜですか!?」
それを聞いた途端、ルーナの喉が張り裂けそうなほどの大きな声が出ていた。
彼女はリリアン帝国では平民だ。普通、次期皇帝であるお方と知り合うこともできない身分に今はいる筈なのだ。どう考えても、平民の範疇を超えている。
「……殿下、私は平民です」
「知ってる」
「行ってもお役に立てません」
「魔法の能力が誰よりも高いのに?」
「せ、政治についても詳しくありませんし」
「俺がそんなこと求めてると思うか」
「殿下、まず私は平民で」
「だから、知ってる」
いたちごっこだった。
何を言っても涼しい笑顔で反撃される。
勝ち目がなさそうだった。
悪魔の微笑みを向けられて逃れられた人はいません、と先日ネイソンにこっそり言われたのだが、それは誠のようだ。
「なんでそんなに平民でいることにこだわる?」
再度どうにかして反論しようとしたところを、フィランの鋭い質問によって遮られる。
その質問に、ルーナは言葉を詰まらせた。
最も答えにくい問いの一つなのだ。
「普通なら、平民であれ貴族であれ出世を願うものだろう? 良い機会だとは思わないのか?」
そのフィランの言葉は、至極全うである。
だが、今のルーナにとって何よりお呼びでないのが、まさにその出世なのだ。
平民としてひっそりと暮らす。それが今の彼女の目的であり、命を守る方法でもある。
権力だとか地位だとか、そんなものは自分の存在を誇示する材料にしかならない。
だからこそ、皇太子なんかと関係を持ちたくはなかったのだ。
あまり返答に時間をかけると怪しまれる。
ルーナはとりあえず思い付いた理由を、出来るだけ彼から目を逸らさずに言った。
「……静かに暮らしたいだけです」
それを聞いたフィランが、あからさまに納得していないというように無表情になる。
(ええ、我ながら微妙な口実だったと思います)
そうしてまた新しい口実を考えていると、意外にもフィランはすぐに笑顔に戻り、「そうか」と言ってフードを被り直した。
(……信じたの?)
ルーナの方が信じられず、フィランの様子を恐る恐る伺う。
だが、その男は椅子から立ち上がると同時に、ルーナに向き直ってその綺麗な口を開けた。
「なら、諦めろ」
そう言って、彼は満面の悪魔の微笑みを見せた。
それに対するルーナの表情は、言葉にする必要はもはやないだろう。そういう表情である。
(ああ……疲れる……)
外に出て行こうとするフィランの背中を見ながら、ルーナは頭を抱えた。同時に、普段のネイソンの心労を思って、今度来た時はスエン作のお菓子を全部差し上げよう、とも考えた。
はあー、とまた深いため息をついてフィランの後を着いて行こうとすると、再度フィランが振り返る。
「それと、ルーナ」
「はい……なんでしょう……」
「今朝決まったんだが」
やけに勿体ぶるその言い方に首を傾げる。
その笑顔は、なんだか普段より更に意地悪く見えた。
「魔法屋、一ヶ月以内に利益を出さないと閉店ということになった」
「……………………え」
それは、あまりに突然で。
ルーナの思考回路を壊すには充分過ぎた。
(……………………えぇ?)
今度こそ本当に空耳かと思い、更に首が角度をつけて傾く。だがやはり、目の前にいる契約者の顔は、人間を捕えて逃さない悪魔の微笑みでしかなかった。
「お前の魔法について知っているのは、俺に最も近しい数人だけだ。その中の一人が、客もいないのに、限られた予算をそこに使うべきではないと言ってな。結果、そうなった」
「いや……えぇ……」
確かに、契約時に契約期間などは定めなかった。
だが、それにしても、一ヶ月は流石に早すぎる。
(……どうしろと?)
その一言に尽きる。
ルーナは幼い頃から王女としての教育をふんだんに受けて育った。だがその中に「潰れかけの店を立て直す――まず立っていたかすら怪しいが――方法」なんてものは当然ながら入っていない。
みるみる内に顔が蒼白になっていく彼女の顔を見て、フィランはまたくすりと笑った。
「安心しろ。俺が先程言ったのは、正式な魔法屋への依頼だからな」
その言葉の意味が理解できず、眉間に皺が寄る。
「おめでとう。皇太子の視察に同行した魔法屋だなんて、きっと客が殺到するだろう」
それを聞いた瞬間、ルーナは事の全てを察した。
そして同時に、ルーナの負けが決まってしまった。
今まで彼が、魔法屋が国の認可店であると公表してこなかったのはこの為だった。ルーナが、客を増やすために着いて行くしかないという事を分かっていて、何も手を出さなかったのだ。
(悪魔………っ!!!)
皇太子は、勝ち誇った顔をして部屋を出た。
頭が痛くなる。
部屋に、またも深々とした溜息が響いた。
* * * *
あの後、ルーナはフィランに店まで送り届けられ、客のいない魔法屋で午後を過ごした。
そして現在、彼女は自室のテーブルに頬杖をついていた。
行儀が悪い? そんな事はルーナも重々承知しているが、そうせずにはいられない気分なのだ。
目の前に置かれた皿から、野菜を少し口に入れる。
「…………苦っ」
焦げのせいで壊滅的な苦味を完成させたそれは、落ち込んだルーナの精神に更に打撃を与えた。
日も暮れ、護衛も退勤し、店仕舞いをして自室である二階に戻ってから約一時間。
何故か彼女は、黒々しい謎の料理と格闘していた。
魔法屋の二階はルーナが自宅として使用している。
フィラン達にそうするように言われたので有難く使わせて貰っているのだが、意外にも中々に快適なのだ。
二階は思いの外広く、寝台やテーブル、棚などが既に備えられていた。浴室も一階の店の裏に設置してある。平民は普通、街の入浴施設を利用する為、家に浴室がある事は滅多にない。毎日入浴していたルーナにとっては、有難い事この上ないのだ。
スエンと共に住もうと思ったのだが、それは彼女に断られてしまった。『あんなあばら家でも、愛着があるのよ』ということらしい。すぐに会える距離ではあるし、食事や菓子を持ってきてくれたりもするので無理強いする理由もなく、ルーナはそれに納得した。
そうして一人暮らしを始めた訳なのだが、ここで露見したのがルーナの生活能力の低さである。
今、彼女の目の前に置かれている黒焦げの野菜炒めもどきがその証明だ。彼女は、本当に、全くもって料理ができない。
洗濯や掃除は魔法で何とかできるが、料理はまた別なのだ。
王女として身の回りの世話を全て任せていた彼女が、家事などできるはずもない。
スエンが作り置きしてくれた食事も底をつき、自炊に挑戦してみたらこれである。先が不安になるというものだ。
だがしかし、基本的には本当に充実している。
ここまで手厚くしてくれるとは思ってもみなかった。
かつて暮らした国を出て敵国に辿り着き、こんなにもすぐに安定した生活が手に入ってしまったのだ。
いくら世間知らずな王女でも、それがどれ程のことなのかくらいは理解できる。
だがその生活は、今まさに失われようとしていた。
「はあ……」
皿を卓の奥に押しやり、テーブルに顔を突っ伏す。
最早何度目か分からない嘆息は、空間を一層どんよりとさせていった。
一ヶ月以内に利益が出なければ閉店。
彼女の契約者である男はそう言った。
ルーナに与えられた選択肢は二つ。
このまま何もせず一ヶ月後の閉店を待ち、新たな職を探す。もしくは、今日皇太子から受けた依頼を遂行し、皇太子の遠征に同行した魔法屋として名を広げる。
何をどう考えても、現実的なのは後者だろう。
その現実がまた、ルーナの気分を落としていくのだ。
(あんな男と遠征なんて、気が滅入る……)
どうにも彼女には、あの悪魔皇太子が肌に合わない。顔を見るだけで不愉快になる。
あの薄っぺらい不快な笑顔を剥がしたくて堪らない。だが剥がしたら剥がしたでまた面倒そうなのでそれも遠慮したい。つまりは一切関わりたくないのだ。
だがルーナとしても、彼に頼るしか方法がないのは理解している。というか、今の生活も彼のおかげで成り立っていると言っても過言ではないのだ。
家を用意してくれたのも、仕事にありつけたのも、十中八九彼のおかげなのだからこうして嫌ってしまうのは少々忍びないのだが、彼はルーナから向けられている嫌悪の視線を気にしないどころか喜んでさえいるように思う。変態以外の何者でもない。
単純に国の認可店だと公表さえしてくれれば良いのだが、彼の性格上そうはしないだろう。
確実に、ルーナで遊んでいる。まだ出会ってから二週間と少ししか経っていないのに、彼の人となりが大体分かってきた。理解はできないが、分かってはきたのだ。
(どうにか、二週間以内に来客がないものか……)
そう望みの薄い願望を浮かべ、再度嘆息する。
現実逃避をするように、また焦げた夕食に口をつけた。
「苦っ」
そして、抗えない現実の苦さに、薄い涙を浮かべるのだった。
月の魔法屋ルーナ 梅明いゆ @niconyon1112
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