第十六話「そういう顔の彼、彼女」
「いいところって……ここですか?」
それから約二十分後。
ルーナとフィランは、とある店の前に立っていた。
鼻を捕まえて離さない香ばしい香り。
昼時の混み合った店内からは賑やかな声が漏れてくる。
「昼食だ」
フィランはそれだけ言って店の扉に手をかけた。
ルーナは、軽くため息をつきながら頭上で揺れる看板を見上げる。
『ワルム食堂』
二週間と少し前に訪れた、見た目は飲食店の情報屋である。
フィランの後に続くようにして、ルーナも店に足を踏み入れる。
店内は、先日訪れたときよりもさらに賑わっていた。
そのままカウンターの方に行くのかと思ったら、フィランは何故か空いているテーブル席に腰掛けた。座るよう促されるので、ルーナも彼の向かい側に座る。
彼は美しい声で給仕を呼ぶと、慣れた口調で注文をし始めた。
フィランの注文を取った後、自然と給仕の女性がルーナに視線を向ける。何も聞いていなかったが、とりあえず「同じもので」と言っておいた。
給仕が軽くお辞儀をして去って行くと、ルーナは目の前の皇太子に視線を戻す。
彼は涼しい笑顔で品書きを眺めていた。
いかにも大衆食堂然としたこの店と彼があまりにも似合わず、首を傾げてしまう。
「本当に昼食をここでお取りになるんですか?」
「ああ。いつも来ているからな」
変わらぬ表情で彼が放ったその返事に、心底驚愕する。
皇太子というのは、国で二番目に尊いお方であり、次代の皇帝だ。
そんな方が城下に降りているだけでも珍しいというのに、貴族ですら利用しない大衆食堂で食事を取るなど、普通ならばあり得ない。
ルーナフィリアなら絶対にさせてもらえなかったし、しようとも思わなかった。彼女自身、こうして飲食店で食事を取るのは初めてである。先程注文をするだけで、心臓がばくばく音を立てていたくらいだ。
会話のないまま約十分ほどの時間が経つ。
と、先程と同じ女性給仕が料理を運んできた。
炒めた雑穀米に豚肉や葱を入れ、スープで炊いたもの。聞けば、ピラフと言うらしい。
初めて食べる庶民料理に、米をすくう手が震える。
そんなルーナを気にも留めず、フィランはそれを頬張ろうとする。ルーナは、それを慌てて制止した。
「? なんだ」
「いえ、あの……少しお待ちください」
そう言って、誰もこちらを見ていないことを確認すると、人差し指を彼の料理に向ける。紫色の小さな光が、それを包み込んだ。
「一応ですが、毒抜きの魔法をかけておきました。毒味役の方がいらっしゃらないようですので」
ルーナのその言葉に、フィランは一瞬目を丸くした。だがすぐに表情を戻し、匙で料理をつつく。
「逆に毒を入れたりはしていないか?」
「……そんなことしません。した瞬間にこの世とおさらばでしょう」
疑われて、思わずまたじとっとした視線を向けてしまう。
だが、そう考えるのも無理はないだろうと、すぐ気まずそうに目を逸らした。ルーナは彼にとって、まだ出会ってから数回しか会っていない女なのだ。そう疑って然るべきである。
(考えが足りなかった)
内心で反省をし、一応、と毒抜きの魔法を自分の分にもかける。
彼女の契約者は、面白がるようにふ、と笑うと、匙を口内に運んだ。嚥下し喉が波打つその動きまで美しく、かつ妖艶だ。フードでその美しい顔を隠していても、体から放たれる煌めく何かは消えないようで、横を通る女性達が何度かちらちらと盗み見ていた。
その様子を無表情で眺めながら、ルーナも同じように食む。
その味に、驚愕した。
(美味しい…………!!!)
舌触りが良く、スープの味が良く染みこんだ柔らかい米。雑穀米など食べたことがないが、想像以上にとても美味しい。
スエンが作ってくれた野菜炒めも凄く美味だった。やはり、ルーナにはこういった料理の方が合っているのかもしれない。そう思いながら、米をすくう手を動かし続けた。
そうして夢中でピラフを頬張ること約十分。卓上に置かれた皿には、米一粒すら残っていなかった。
(食べ終わってしまった……)
最後の一粒を噛み締めながら、その惜しさに肩が落ちる。匙を皿の上に乗せ、卓の中心に置いてある水に手を伸ばした。
「へっ」
そこで、麗しの皇太子殿下が彼女をじっと見つめていることにやっと気がつく。
卓に肘をついてルーナを見つめるその顔は、なんだか満足気に笑っていた。
「美味そうに食べるものだな。俺のことは完全に頭から消えていただろう?」
その言葉に、思わず顔が赫らむ。
初めて食べる料理が美味しくて周りが見えていなかったなど、あまりに子供っぽい。
顔が沸騰しそうなほどに熱くなり、無意識にフードを更に深く被り直した。
すみません、と赤い顔を隠すように俯くと、くすりと小さい笑い声が聞こえた。
顔を上げれば、またもフィランがじっとルーナを見つめている。今度はなんだか不快になって、いつものように軽く睨みつけた。
「なんでしょうか」
「いや? そういう顔もいいかと思って」
どういう意味だ、と思いながらも、それを聞く前に彼が席を立ち上がったので、ルーナもいそいそと彼に着いて行った。
彼はやはり、情報屋に用があったようだった。
向かうのは出口でも会計でもなく、大柄の男が立つカウンター。スエンの友人、情報屋ワルムである。
「ああ、入ってますよ。こっちに」
フィランが話しかけると、ワルムはそう言って二人を奥に通した。先日と同じ部屋だ。
今度はワルムが向かいに、ルーナはフィランに手招きされ、隣にそっと腰掛ける。
ワルムはその大柄な身体に似合わず、甘い焼き菓子と紅茶を用意してくれた。また毒抜きが必要かとフィランを見ると、彼は「必要ない」と言ってその焼き菓子を一枚つまんだ。余程彼を信頼しているようだ。
「んで、例の件ですが」
場が落ち着いたところで、ワルムがその口を開ける。フィランは焼き菓子を更に頬張りながら頷いた。
「殿下が言ってた通りだな。あいつぁ黒だぜ。そりゃあ報告できる訳ねえわな。何の為かは知らんが、きっつい増税をしてるらしいんですわ。あそこの男共はみんな別の街へ働きに出てるだろ? そいつらを呼び戻して、過酷な労働条件で働かせてるらしい。まあ、きつくても家族といたいって奴は多いんでしょうな」
ルーナには全く何の話か分からないが、どうにも真剣な話のようだ。
ワルムの乱暴な口調に少々驚きはするが、当の皇太子は気に留めず菓子を食べながら話を聞いているので、呆れ気味なため息が出そうになる。すんでのところで止めて、また耳を傾けた。
「サインスって言ったか? なんであんなのを領主にしたんですかい? 領民も役人もそいつの好き放題、領地は全て独壇場だって言うぜ」
「まったくだな。元は中々根性のある男だったんだが……隠してたか、その根性が裏目に出たか」
そう言う間も、フィランの笑顔は変わらない。
話の内容が一つも理解できないルーナは、耳だけ傾けながら紅茶を口に入れた。
(……私、いてもいいのかしら)
たまに感じる視線。ワルムが、何度もルーナを気にしているのが分かる。
話の内容を聞く限り、これが内政の話だという事だけは分かった。普通、どんな内容であろうとそれらは機密事項に当たるものだ。部外者のルーナが聞いていて良い理由がない。
「なんにせよ、早めに行った方が良さそうだな。予定は?」
「二週間後」
「そんじゃ、そん時までに新しいのが入ればお伝えしますわ」
ワルムはそう言って、フィランに食べ尽くされた菓子の皿を下げに立った。
そこで、また、ちらりとルーナを見つめる。萎縮気味な兎の肩がびくっと跳ねた。
「……すいませんが、殿下。そっちの子は、この前のスエンの養子だろう? 聞かせていいのかい」
ずっとルーナが気にしていたことが、やっとワルムの口から出た。
ルーナは気まずそうに視線を泳がせる。深く被ったローブに遮られてか、はたまた彼女の顔が俯き気味だからか、二人の顔が目に映らない。
だが、そこで楽器の音色のような美しい声が耳に入った。
「平気だ。これも連れて行くからな」
「……はい?」
聞き間違いか? 空耳か?
そう思ったが、それは空耳などではないと、彼の表情を見て確信した。
悪魔の微笑み。
皇太子ラエフィランは、その紅い瞳をルーナに向け、にっこりと微笑んでいた。
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