第十三話「麗しの悪魔」

 ネイソンは、呆れ返っていた。


 見た目は飲食店の情報屋から帰って、執務もせずソファで顔に本を乗せて寝ている主に、心底呆れていた。慣れてはいるが、やはり呆れていた。


「……どういうおつもりなのですか」


 低い声でそう聞くと、本の下に覗く口が少し開く。


「何がだ?」

(わかってらっしゃるくせに)


 そう悪態をつきたくなる気持ちを抑えて、ネイソンは言葉を畳み掛ける。


「あのルーナという少女のことですよ! 魔法屋って、一体何を考えてらっしゃるのか……」


 本当に、全く理解できなかった。魔法を魔法具ブースターなしで発動できるというあの少女を監視しておくべきだとは思っている。思ってはいるが、魔法屋なんていう完全に「今作りました」みたいな仕事をやらせるなどという珍行動に走ったのは理解ができなかった。


 主は顔に乗っている本をどかすと、上半身を起こしてネイソンを見つめる。ネイソンの必死な顔に一瞬ふっと笑い、また本を開いた。


「あの魔法を見たか? 速度も精度も、何年も訓練している魔法部隊の隊長でも敵わないだろうな」

「……そうでしょうね」


 魔法具を通していないからだろうか、彼女の魔法は驚異的だった。普通、魔力を出し始めてから熟練の魔法使いでも三秒は発動に時間がかかる。だが、彼女は一瞬だった。手をかざすと同時に対象が光り、光った直後にはもう終了していた。

 おまけに、女性の傷はなかったかのように綺麗さっぱり消え去り、カップには濁りのない水がこぼれずにたっぷりと入っていた。

 治癒魔法は、全ての魔法の中でも特に高位だと聞く。そんな難易度の高い魔法を、彼女は楽々とやってのけてしまった。到底、普通の人間が辿り着ける範疇ではない。


「あれは使える。魔法の技術はもちろん、知識もある。見える所に置いて損はない」

「お側に置きたいのなら、侍女にでも迎え入れればよかったのでは」

「それができないのは、お前もよく知っているだろ」


 フィランはそう言ってまた寝転がる。


(はい、よーく知っておりますとも)


 主のお姿はこの世のものに思えないほど美しい。一度侍女を入れたことがあるが、着替えの世話など任せようものなら襲いかかってくる勢いの者ばかりで、それ以来ずっと身の回りのことは主自身で行なっている。


 最上の外見を持っている者しかできない贅沢な悩みではあるが、それで主が苦労したところをネイソンはその目で見てきたため、納得するしかなかった。


 もちろん、その外見を利用して生活しているのも確かなのだが。今は剥がれているあの輝かしい笑顔も、相手の心理にはかなり影響するものだ。この見た目なら、一発笑っただけで交渉がうまく行ったりもする。


「その理由だけじゃない」


 ネイソンが一人で悶々としていると、主がまた言う。


「俺の目標に一歩近付ける好機だ。これを逃す手はないだろう」

「それは……」


 それは、ネイソンも重々承知していた。

 フィランの目標。目標というより、夢と言った方が合っているだろうか。魔法屋は、その夢に近付く為の大きな一歩になる。

 だが正直、それ以外の理由があるように感じてならないのだ。

 フィランは、人前で「俺」という一人称を使わない。誰もが頰を染める眩い笑顔。心を揺れ動かす上品で丁寧な話し方。気品のある凛とした仕草。それらどれもが、フィランの “表の顔” を作り出している。

 彼はどんな時もそれを剥がしたりしないのに、先程あの場では少し素が出かけていた。


(はあ………)


 二十五歳ネイソン、フィランの側近になって早五年。振り回されながら日々を過ごしてきたが、今回ばかりは今までと何故か少し違う感じがした。胸のあたりがざわざわする。所謂、「なんかいつもよりもっと振り回されそう」感。心の中で、深いため息が連発される。


 そうして数発目のため息を終えたところで、主はまたにっこりとしてネイソンと目を合わせた。


「使えるものは使うべきだろう。それに……」


 その一瞬、フィランの顔が微かに曇った気がした。

 その続きを、彼は言葉にしなかった。


「……いや、なんでもない。きっと、一ヶ月後は役に立ってくれるだろう」


 主が椅子から立ち上がりながら言ったその言葉に、ネイソンは勢いよく顔を上げた。


「一ヶ月後……ってまさか……参加させるおつもりで……?」

「うん」

「いやいやいやいや彼女民間人ですよ!?」

「ただの民間人じゃないだろ、とっても優秀な治癒魔法を使える稀有な民間人だ」


 そう言うと、フィランは机に本を置いて部屋の扉に向かう。開いた口が塞がらない中、ネイソンは主の広い背中を目で追った。すると、その背中が扉の前でぴたりと止まる。


「……それに、ネイソン」


 ネイソンの方を振り返ったフィランの口角は、にやりと嫌に上がっていた。


「あの顔、見たか? 俺と話すたび眉間にしわが寄ってるあの顔」


 フィランが、くくく、と肩を揺らして笑う。

 その仕草に、ネイソンの体がふらりと倒れかける。


(ああ、嫌な予感はこれだったか……)


 ネイソンは、主の表情を見れば大体の事は察しがつくようになってきた。どうやら、見える所に置きたい理由は、やはり別のところにあったようだ。



「面白い娘だったな」



 主の顔は、お気に入りの愛玩動物ペットを見つけた時の顔だった。


 ネイソン命名、『悪魔の微笑み』。


「じゃあおやすみ、ネイソン君」


 そう言ってフィランは部屋を後にした。


 ネイソンは、これから苦労するであろう魔法使いの少女に心の中で祈りを捧げながら、また一つ、大きなため息を落とした。




* * * *




「……これは、一体…………」


 一週間後。


 ルーナは、目の前にそびえ立つ建物を見つめながら、あんぐりと口を開けていた。


 木造りの、二階建ての建物。

 一階の真ん中には同じく木で造られた扉があり、金色の取っ手が光っている。扉の両横には木枠の窓があり、真っ白なカーテンが室内を隠していた。


 周りにはこれといって何もなく、一週間前に訪れた中心街に比べて緑がだいぶ多い。

 眼前のこの建物以外は、家も店も特に視界に入らない。人影もない。静かで穏やかな空間だった。


「ははは、立派でしょう?」


 聞き覚えのある声に、そっと横を向く。


「新しく建てるには時間がなかったので、所有していた建物をそのまま使うことにしたのです……ああ、勿論中の家具は取り替えてありますから、ご心配なく……中心街からは外れておりますが、あまり目立ちたくないとのことでしたので、丁度いいかと……まあ、どうしたって客は集まるでしょうが……はは……」


 消え入りそうな声でそう言うのは、先日よりもクマを一層濃くしたネイソンだった。

 今日は黒いローブは着ておらず、胸元でリリアンの国章が光っている。


「どうして、そんなに急がれたのですか?」


 げっそりとやつれた顔のネイソンにそう問うと、彼は遠くを見つめながら細い声で答えた。


「悪魔が……そうしろと言うもので……」

「悪魔?」


 何のことかはよくわからないが、涙ぐむこの男に、とりあえずスエンお手製の焼菓子を一つ渡しておいた。


「ああ、いらっしゃいましたか」


 ネイソンが涙ながらに菓子を頬張る様子を観賞していると、聞き覚えのある他の声が後方から聞こえてくる。


「では、中へ」


 今日も今日とて、薄っぺらいきらきらの笑顔を浮かべるご貴族様は、そう言って建物の扉を開けた。


 今日は、契約書の調印をする為にここに来たのだ。二日前に使いが送られてきて、この場所の住所を伝えられた。それで来てみれば、こうして既に立派な店が建っていたのである。


 中に入ると、木の香りが体を包み込んだ。

 空っぽの棚が壁に立ち並び、真ん中にテーブルと椅子、奥にカウンターと、その横には二階に繋がる階段がある。ほとんど何もない空間だが、ルーナが胸を踊らせるには十分だった。


 ルーナは今まで、ほとんど城の外に出ず、人並み以上の教養を手からこぼれ落ちるほど沢山受けて来た。触れ合うのは決まって同じ人たちで、友人も出来ず、ルーナにとってはあの狭い場所が世界の全てだった。

 それが悪かったというわけではない。だが、身に余る高等教育や最高級の食事に感謝しながらも、どこかで平民たちに憧れを抱いていたのも確かだった。


 これからルーナは、平民たちのように、朝が来れば家から出て近所の人に挨拶し、自分の店を開き、街に出て買い物をする、そんな生活を送るのだ。


 ルーナが人知れず目を輝かせていると、フィランが席につく。ネイソンはその後ろに立っていた。

 座って、と手を出されるので、ルーナもそそくさと椅子に腰掛ける。

 

「お気に召されたようで」


 向かい側に座る麗しのご貴族様は、ルーナの顔をじっと見つめながらそう言う。舞い上がっていることがばれてしまっていたようで、恥ずかしさに思わず顔を赤らめた。それを見て面白がるように笑うのだから、やはりこの男、いけすかないことこの上ない。


「早速ですが、本題に」


 フィランのその言葉に、すかさずネイソンが四枚の紙を机に並べる。


「こちらが、契約書と魔法具貸出証明書になります。ルーナ様の分と、こちらの分で二枚ずつです。契約書の項目全てに目を通して頂いて、同意して頂けるようでしたら、下のお名前の横にサインをお願い致します。貸出証明書も同等です」


 ネイソンの説明にこくんと頷き、ルーナは契約書の内容を上から順に確認して行った。


 スエンは今日、隣町まで洋服の納品に行かなければならないようで、この場に来ることができなかった。

 一人で確認しなければならないことに不安はあるが、スエンに言われた通り、とにかく丁寧に、丁寧に読み込む。


 先日話したことと同じく、ルーナの魔力量に関しては最大限秘匿とすることの外、店舗及びルーナの警備や国の管轄下とすることなども記してあった。

 つまりは監視という事だろうが、それに関しては既に予想していたし、これといって拒む理由もない。警備と言うからには、何かあった時にはしっかり警備としての仕事もしてくれるだろう。


 じっくりと読み込み、自分に不利益がないかを確認した後。これが、今日の最重要任務だ。

 手に持っていた書類を卓上に置き、姿勢を正して、並外れた美貌の男と向き合った。


「……サインをする前に、お二方のご身分を明かしていただけませんか」


 こちらとて素性の分からない方と契約するつもりはございません、と強く主張する。


『なんだかねぇ、先方のお名前、聞き覚えがあるのよね。フィランさんだったかしら? どこかで聞いたのだけど……サインする前に、必ず相手の素性を明かさせるのよ』


 昨夜、スエンに言われたこの言葉。

 彼に「追々説明する」と言われた後、のらりくらりと流されてしまい聞けていなかった。

 もしも彼らが素性の怪しい者であるなら、契約は白紙だ。危ない橋は出来るだけ避けて通りたい。


 フィランは、ルーナのその問いを聞くと、にやりと口角を上げた。

 そして、契約書の下方をとんとん、と指で叩く。


 ルーナは、彼が指し示した箇所に視線を向けた。

 

 途端に、大きく息を飲む。



「……ラエフィラン・ネルス・……?」


 

 確かに、そう記されていた。

 何度見直しても、そう記されている。

 彼が指差したのは、契約者の名の欄だった。

 ルーナの名の横に載っている名は、契約相手の名であるはず。その為、この名は目の前で不敵な笑みを浮かべるこの男の名でなければならない。


 名前に、国の名称が入っている。

 これが、何を意味するのか。ルーナは、それを誰よりもよく知っていた。


(待って……フィラン・ネルス……?)


 ルーナは、もう一度契約書の名を見る。

 ラエフィラン・ネルス・リリアン。

 そしてこの男が前に名乗った名は、フィラン・ネルスだった。


(え……?)


 すると、目の前の男が、くく、と肩を揺らして笑い始めた。後ろでは、ネイソンがやれやれ、と頭を抱えて首を振っている。


(待って、つまり、それって……)


「申し遅れました」


 笑っていた男は、紅い目を細めて、今までで一番光輝く笑顔を顔に貼り付けた。



「リリアン帝国皇太子、ラエフィラン・ネルス・リリアンと申します」



 その男、皇太子ラエフィランの胸元には、小さな太陽の形をしたブローチが光っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る