第十二話「見かけによらず」

 ルーナは、目の前に置かれたカップを見つめる。


 水滴一つない、乾き切ったカップだった。


 本当に魔法具なしで魔法が使えるのか、確かめたいようだ。多少躊躇するも、ルーナを監視するように見つめる目がこんなにも多い中、やらないという選択肢は与えられていなかった。


 ルーナがカップに手をかざすと、スエンとネイソン、そして後ろの巨漢までもがごくりと唾を飲む。


 次の瞬間、カップが紫の光に包まれた。


 カップだけを包み込める程度の小さい光だが、それでいて暖かく、明るい光だ。

 ルーナが手を下ろすと同時に、その光が消える。カップの中には、澄んだ水がたっぷり入っていた。


「……お見事」


 口から漏らすように、フィランがそう言った。

 ネイソンやスエンは言葉を失い、巨漢の老人は顔に似合わず可愛らしく目をぱちくりさせている。


「その、目が紫になるのは?」

「私にもわかりません」


 目の下をとんとん、と叩きながらフィランが問うが、こればかりはルーナでも何なのかよくわからない。

 フィランは「そうですか」と言うと、また質問を繰り出した。


「そういった人はあなた以外にもいるのですか?」

「……私の他には、見たことがありません」


 リリアンでは、だが。ソルテリスには一人いた。冷たい目を持つ、表情のない魔法使いが。


 フィランが変わらぬ笑顔で頷くと、次にネイソンが話し始める。冷や汗を垂らしながら、少し間をおいて冷静さを取り戻そうとしていた。


「……魔法具は、すべて国が保管しています。魔法を使用できる者を軍の魔法部隊だけにするためです。危険が起きる可能性もありますから。なので、あなたが魔法を使ったのを見た時、どこからか魔法具が盗み出されたのではないかと思ったわけです」

「ああ……」


 つまり、あれだ。誤解されたのだ。


 ルーナが魔法具なしに魔法を使えることを知らなかった二人が、魔法具の違法入手を疑って、事情聴取しようとしたわけだ。

 貴族なのだから、国の運営や管理の何かしらに関わっていてもおかしくはない。


「それでしたら、もう帰っても……」

「ルーナ嬢」

「……嬢はおやめください」


 眉間のしわを深くしてそう言うと、フィランは光り輝く笑顔でそれに応えた。


「なら、ルーナ」


 初対面の人間を呼び捨てするのはどう考えても無礼だ。だが、相手は貴族、こちらは平民。敬語を使ってくれているだけでも、こちらへの配慮がある。と、不快感を覚える心を懸命に落ち着かせた。

 だがそれは、次に来る爆弾発言によって、無意味なものとなった。


「王国軍に入る気はありませんか?」

「ありません!!!」


 唾が飛ぶ勢いだった。

 音を立てて机を叩き、思わず腰が椅子から浮いてしまう。ゆらゆらと茶の表面が揺れた。

 軍などと、もしそんなところに入りでもしたら、金髪の女騎士など目立つことこの上ないではないか。

 しかも、王国軍なら王城勤めになるはずだ。王城なんて、今のルーナにとって最も警戒しなければならない場所だというのに、受け入れられるわけがない。


「そうでしょうね」


 フィランが意外にもあっさり納得して揺れの収まった茶を飲み始めると、代わりにネイソンが説明を始めた。


「魔法を使うこと自体は違法ではありません。普通、魔法具を使わないと発動できませんから、法を作る意味がないのです。兵たちは使っていますし、稀に魔法具を民に貸し出すこともあります。禁止しているのは、魔法具の販売だけです。ですが……」


 なんという、運の悪さだろうか。

 力の抜けた体が、よろよろと椅子に落ちる。


 つまり、こういうことだろう。

 魔法を使うこと自体は違法ではないが、少なくとも国は魔法が悪用されないよう上手く管理している。そこに突然ルーナという異端が出現し、犯罪ではないが、かといってそれを野放ししておくわけにもいかない、と彼らは言いたいのだ。


(悪用しません、本当にしないから……!)


 今すぐ、家に帰して!!


 と言いたくても言えず、結局体は椅子の上。

 そんな簡単な問題ではないことくらい、ルーナも分かっているのだ。


 すると、フィランが何かを思い出したかのようにニヤリとしてルーナを見た。スエン、そして巨漢にも視線を動かしながら、その綺麗な形の口を開く。


「あなた方は、食事をしにここへ?」

「え? あ、いや……」

「情報屋……ワルムに用だったのでは? 先程からそちらのご婦人が、彼と目で会話なさってますから」


 ワルムというのは、この怖い顔をした男性のことだろうか。スエンが「あらまぁ」と口に手を当てる。


「こちらの話は少し長くなりそうですから、先にそちらの用事を済ませてください。私がご協力出来そうな事なら、お力添えしますよ」

「……それは……」


 紅い瞳を光らせながらこちらを見る彼の言葉の裏に、「お前の望む物を渡す代わりに、こちらの条件を飲め」という意味が込められている気がしてならない。


(どうする……?)


 まだ、誤魔化せる。スエンとワルムは元から知り合いなのだ、ただ友人に養子を紹介しに来たとでも言えばいい。それに、何もこの場所で話す必要はない。情報屋にも守秘義務くらいあるだろう、場所を変えたいと言えばきっと変えてくれる。だが……


(情報は、多くて損はないわよね……?)


 彼らは恐らく貴族だ。

 貴族の情報網がどれ程のものなのか、ルーナは嫌という程知っている。一人から出た噂は、瞬く間に街の貴族間に広がり、さらには国中に広がることもある。それは、ある時は利用できるものでもあるし、ある時は自分に牙を向くものでもある。

 

 今回はどちらだろうか。

 もし自分が求めているものを話し、彼らの話に乗るとしたら、それはつまり契約ということになる。契約は一方的に破っていいものではない。契約の項目に守秘義務を入れてさえしまえば、彼らはそれに反することはできない。


 それに、どちらかというと今優位に立っているのはルーナの方だ。ルーナが彼らの提案を受けないことで困るのは彼らのみ。ルーナの存在が違法でないのなら罰されることもない。多少ふっかけた条件を提示しても、受け入れてくれるのではないだろうか。


 魔獣の話をしてルーナの身分がばれるわけでもなし、魔獣探しが犯罪なわけでもなし、もし信じてもらえなくても、少し頭の変な子だと思われて終わりだろう。なら、話してしまっても不利益はない。何より、この人達から情報を得られれば万々歳だ。


 だが、やはり一歩踏み出せない。

 先程は後先考えず魔法を使ってしまったが、本当は全てにおいて慎重にならなければいけないのだ。


 ルーナは、ちらりとスエンに視線を向けた。

 目が合うと、スエンはゆっくりと首を縦に降る。大丈夫よ、とでも言うようだった。


 スエンは聡明な女性だ。王妃の侍女だった頃、国政に口を出すこともあった。侍女の範疇を超えていたが、ガリアンはそれを咎めることはなかった。その助言は、いつも正しかったからだ。


 スエンの頷きに、ルーナも心が決まった。

 緊張感のある面持ちで、ゆっくりと口を開く。


「……魔獣を、探しています」


 大した事ではないのに、その一言を発するだけで随分と体に力が入る。何かが削られる気分だ。

 一方貴族男性お二人の頭上には、いくつもの「?」が見えた。そうなるのも無理はないだろう。ルーナとて、最初は理解するのに時間がかかったのだから。


 まず口を開いたのは、フィランの方だった。


「……魔獣というのは、童話の?」


 ルーナは、スエンに腕を小突かれ、再度体に力を入れながらその問いに答える。


「……そうです。『月の姫と魔獣』に出てくる、四人の魔獣です」

「それはまた……実在すると?」

「私は、そう信じています」


 実際は半信半疑だが。


 反応はどうかとフィランの顔を見ると、その表情は意外にも変わらず麗しい笑顔だった。ぺらぺらの。


「ふむ……では、その魔獣探し、私たちがご協力致しましょう。ワルムも含め、人脈はなかなか広い方ですので。その代わり……」

(来た……!)


 彼らが、ルーナに望むもの。

 彼らの話に乗れるかは、この提案の内容で決まる。

 ルーナは、フィランの言葉の続きを、ごくりと唾を飲み込みながらじっと待った。

 

 だが、その口から出た言葉は、ここにいる全員が予想もしなかった、いや、できなかったものだった。



「魔法屋を営むのはどうです?」

「…………は?」



 魔法屋?


 その聞いたことも見たこともない職種に、思わず素っ頓狂な声が喉をついて出る。

 リリアン特有の職業だろうか、と周りを見るが、やはりそうではないようで、皆が皆首を傾げていた。


「何ですか、それは?」


 誰もが思っているであろう疑問を口にしたのは、ネイソンだった。

 フィランは、質問したネイソンではなく、ルーナを見つめながら答える。


「魔法を使った便利屋とでも言いましょうか。先程のように治癒魔法で傷を癒したり、客の困りごとを解決する店。そこであなたは魔獣の情報を集めながら仕事をして、我々は我々で、魔獣について調べます。どうです?」

「はい?」

「店の管理は国で受け持ち、給金も国から出します。あくまで国の管轄下の店として出すことになりますが、その分客も集まりやすいでしょう」

(いや、いやいやいやいや)


 何を勝手にどんどん進めているのだ。大体、国で国からと国国言ってるが、そんな勝手にやっていいものなのだろうか。リリアンはそんなにも自由なのか。


(……でも)


 正直、仕事が欲しいとは思っていた。

 スエンは、自作の洋服や菓子などを売って生計を立てているが、それで生活できていたのはスエン一人だったからだ。ルーナが増えた今、彼女の稼ぎだけでは生活は厳しいだろう。それに、こう言うのも難だが、住居はあのぼろ家だ。良い暮らしをしているとはとても言えない。何より、彼女の性格上、ルーナのために無理をしないとも限らないのだ。


 仕事を探すつもりではいたのだが、そんな簡単に見つかるとはルーナも思っていない。魔法があればある程度は役に立てるだろうが、よそで無闇に魔法を使うわけにもいかないのが難点だ。フィランたちのように勘違いした人が、ルーナを衛兵に突き出さないとも限らない。


 フィランの提案は、ルーナにとってうまい話ではあった。だが、それだけで受け入れてしまえるほど、ルーナの置かれている状況は簡単ではない。

 その『魔法屋』が国から出されるとなれば、恐らく客は殺到するだろう。普段目にすることもできない魔法が見られるのだから。だがそれは同時に、ルーナの存在が広まってしまうということでもあるのだ。

 ルーナの事を知っている誰かが店を訪ねてくる可能性もある。それが、どれほど恐ろしいことか。


(どうにかできないかしら……)


 足りない頭で必死に正解を探す。だが、なかなか正解が見つからない。もういっそ、断ってしまった方がいいだろうか。危険な綱渡りをするよりも、自分で職を探すべきではないだろうか。そんな迷いが頭を埋め尽くす。

 だがその考えは、誰かの声によって遮られた。


「条件を、提示させて頂いても?」


 芯のある凜とした声が、室内に低く響く。

 背の曲がった老婆が、その蜜柑色の瞳をフィランに向けていた。


「なんなりと」


 フィランもまた、紅い瞳をスエンに向け、次に来る言葉を余裕めいた表情で待っていた。


「まず、一つ。ルーナの魔法は、出来る限り人目に晒したくありません」

「なぜです? 彼女の魔法は違法ではありませんよ」

「そうではありませんわ。……この子は、前にいた国で利用されたのです。この特別な魔力を目の当たりにした人間が、ルーナの魔法ちからを手に入れようとして、身も心も傷付けられたのです」

(…………なんて?)


 何だろうか、その身に覚えのない言葉は。


 悲しげに目元を押さえるスエンの口から、すらすらとありもしないルーナの辛い過去が出てくる。

 その様子に、ルーナは驚愕した。やはりこの老婆、見かけに騙されてはいけない。切れ者である。


「その卑劣な人間たちによって両親を失い、この国に逃げてきたところを私が保護し、養子にとりましたの。このような事情があります故、その点は考慮していただけたらと思います」

「……そうですか。承知致しました。それでしたら、あくまで魔法具ブースターを使っているという事に致しましょう。一つ魔法具を支給致しますので、それを身につけて頂ければ彼女の特別な魔力については外部に漏れません。これでよろしいですか?」

「ええ。そうして頂ければ何よりですわ。それと、この髪や顔も出来る限り隠させて下さいませ。いかんせん目立つ容姿を持つ子です、この容姿さえ、金に目の眩んだ人間に利用され育ってきたのです」


 今度は、懐からハンカチを取り出して目元に当て始めた。聡明とは思っていたが、もはや狡賢さまで備わっている気がしてならない。正面にいる二人と後ろの巨漢には見えていないだろうが、ハンカチで隠された口元が軽く弧を描いているのがルーナには見えた。


「ですから、人の目に触れる際ははこのローブの着用は絶対とさせてくださいませ。貴族の方を相手にした時、フードを被ったままというのは失礼だとは思いますが、その点は考慮して頂ければと……」

「それは勿論構いませんよ。何より、国家管轄下の店となるのですから、相手も迂闊な事は出来ないでしょう」

「まあ。そうですわね、ありがたいわ」

 

 フィランは驚いた様子はなく、むしろ少し面白がっているように見える。ネイソンはというと、突然流暢に話し始めた細身の老婆に驚きを隠せないようで、ぽかんと口を開けていた。後ろの巨漢は、慣れているのだろうか、ため息をつきながら頭を掻いている。ルーナもネイソンとさして変わりない。

 スエンはひとしきり言い終えると、茶を飲んで一息ついた。まるで貴族女性のような佇まいである。


(恐るべし……)


 ルーナは、なぜミラが彼女をそばに置いていたのか、なんとなくわかった気がした。


 その後、契約書の作成と調印はまた後日ということにし、その場は御開きとなった。

 本日一番の衝撃は、紛れもなく、美しい顔の貴族様でも、怖い顔の巨漢でもなく、隣で微笑む老婆だった。


 その後、スエンに物凄い勢いで魔法について問い詰められたことは、言うまでもないだろう。

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