第十一話「兎」

 椅子と机だけが置かれた、狭い空間。


 横に、困り顔の老婆が一人。


 向かいの椅子には、黒ずくめの男が二人。


 後ろには、怖い顔の巨漢が一人。


(なぜ……)


 そして、小さく縮こまる、兎のような少女が1人。


(なぜ、こうなったの…………)


 部屋の空気は、完全に冷え切っていた。




 魔法を見られた後、向かって右に座るフードの男に、肩を掴まれ声をかけられた。


 何が何だかわからないまま、そして謎の恐怖に震えながら、店の事務室まで連れてこられたわけだが。


(……逃げたい)


 誰も、何も口を開かない。

 目の前の机には何故か暖かい茶が出されているのだが、その茶が何故出されたのかもわからない。もてなされているのだろうか。ソルテリスでは客人に茶を出すのが普通だったが、リリアンでは違うのだろうか。


 横に座るスエンは、何度もちらちらとこちらを見ていた。色々と聞きたいことが多そうだ。時々後ろの巨漢に何かを目で訴えているが、彼も同様に、何もわからない、といった顔をしていた。


 ルーナが人よりも魔力量が多いという事が判明したのは、八歳の頃だった。母が亡くなってからすぐのことだ。

 つまり、母の死亡と同時にいなくなったスエンは、ルーナの魔法について一切知らないのである。

 正直、完全にそれを忘れていた。彼女には今すぐに説明したいのだが、この状況では出来そうにない。

 いや、というか、本当に何なのだ、この状況は。


 そんな考えを巡らせていると、唐突に、ルーナに声をかけてきた男が軽い咳払いをする。

 萎縮しきった兎の肩が、ビクッと大きく跳ねた。


「えー……」


 男は、ゆっくりと口を開ける。


「まず、お名前からお聞きしてもよろしいですか」


 そう聞いた男の表情は、フードに隠れてよく見えない。だが聞く限り、その声は冷たくはないようだ。


 ルーナは、一度息を深く吐き心を落ち着け、


「……まず、先に名乗るのが礼儀ではないのですか」


 と胸を張って発言した。

 ……つもりだったのだが、残念ながらその声は震えていたようで、目の前の男が「ぶはっ」と吹き出す。


「これは失礼、先に名乗るべきでしたね」


 そう言うと、男は黒のローブを脱ぎ、その顔を露わにした。

 それを見て、ルーナは思わず息を呑んだ。


 艶やかな漆黒の髪に、輝く紅い瞳。ルーナとさして変わりない白くきめ細かい肌、そして完璧な輪郭。筋の通った高い鼻に、ほのかに色付いた綺麗な唇、それに広い肩幅まで。


 見事なまでに、端正な顔立ちだった。


 ルーナは一国の王女だったのだ。玉座を狙い、整った顔の息子を連れてくる者は沢山いた。なので、それなりに綺麗な顔には慣れている方である。

 だがその男は、今まで見た中で最も美しいと言ってよかった。耐性のあるルーナでも、顔に意識がもっていかれそうになるほどに。


「フィラン・ネルスと申します」


 彼がそう名乗ると、隣に座る男性が突然咳き込む。何故だかわからないが、呆れたような目を彼に向けていた。かくいうフィランは、それに対して「ん?」と笑顔を返している。


 今咳き込んだ方の男性は、茶色の短髪で、フィランよりも少し年上に思えた。目の下には薄いくまが見える。疲れているのだろうか。


「……ネイソン・ギル・アルハードでございます」


 ため息気味にそう言うネイソンは、胸に片手をあてて頭を下げた。服装からして、二人は貴族のようだ。服の装飾の度合いや今の態度から見て、恐らくフィランの方が身分が高いのだろう。


 スエンは、何やら顎に手を当てて首を傾げていた。

 口には出していないが、何かを思い出そうとしているように見える。眉間に深くしわが寄っていた。

 

 そうして考えにふけっていると、机がコンコン、と叩かれる。はっとして俯いた顔を上げた。


「お名前は?」


 美しい顔の男が、眩しい笑顔をルーナに向けた。


 恐らく大抵の女性ならこの笑顔に卒倒するのだろうが、ルーナは違う。むしろ、嫌悪感さえ覚えた。


 嘘っぽい笑顔だったからだ。


 嘘の笑顔は、同じような表面だけの笑顔を持つ、ある男の顔を思い出させた。


「……ルーナです」


 無意識に、出す声が低くなってしまった。

 ルーナは人見知りする方ではないのだが、身分を隠さなければならないというこの状況と、目の前の男の胡散臭い笑みへの嫌悪感が相まって、どうにもぎこちない口調になる。


 そんなルーナの態度を気にも留めず、フィランはさらに言葉を続ける。


「苗字は?」

「ありません。……平民、ですので」


 リリアンもソルテリスと同じように、苗字があるのは貴族以上の者だけだと、スエンに確認済みである。


 ふむ、と顎に手を当てルーナを見つめるフィラン。

 どの仕草も芸術品のように美しいが、笑顔だけはいけすかないと思ってしまう。これはアレルギー反応のようなものだ、仕方がない。


 だが、さすがにどんな顔のどんな男であろうと、ここまでじっと見つめられると自然と目が逸れてしまうもので。

 それを見て、フィランはまた一瞬クスッと笑った。

 ルーナは、険しい表情で不快な笑みの男に聞く。


「そちらのご身分は、明かしていただけないのですか?」

「それは追々説明致します。そちらの素性が分からない限り、こちらもお話する事はできませんから」


 それはお互い様だろう、とさらに眉間の皺が深まる。

 だが、そんな事を言ったとて、永遠に堂々巡りを続けるだけになるだろう。

 渋々頷き、口を閉じた。


「フードは取って頂けませんか?」


 彼の紅の瞳が、下から覗くようにルーナを見つめる。思わず俯くが、恐らく身分が高いであろう男性二人に顔を出させておいて、平民の自分だけが隠しているわけにもいかない。ルーナは、そっと白いフードを頭の後ろに下げた。


 目の前の二人と後ろの巨漢が、目を見開く。


 白のフードに隠されていた輝かしい黄金の髪。


 それだけで驚く理由には十分であるが、ルーナは元々整った顔立ちなのだ。真っ白な小さな顔に澄んだ青の瞳、長い睫毛、桃色の唇。化粧を施さなくても、一目で美人だとわかる華やかな顔を持つ。

 それに黄金の髪が加わり、より一層存在感を増していた。


 フィランの方は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに平静を取り戻してまた薄っぺらい笑顔を貼り付けた。一方ネイソンは口をぽかんと開けてルーナを見つめている。


(…………なんだか、裸で放り出された気分)


 元々、ソルテリスでは髪を隠す事などなかったのだが、今は妙にこの髪を見せる事が気恥ずかしい。

 それに、この髪に価値がある事はルーナ自身もよく理解しているので、身分も頼れる権力者もいない今、髪を人目に晒すというのは少し怖かった。


 フィランは横で呆けている男の背中を笑顔でばしんと叩くと、またその口を開く。


「先程使っていたのは、魔法で間違いないですね?」

「……ええ」


 やはり、話は魔法のことだった。

 まさか、禁止国だとでも言うのか。魔法を使っただけで、投獄されたりするのだろうか。


(……それは嫌)


 ルーナはひたすら自分の予想が間違っていることだけを願い、気まずそうに再度目を逸らした。


魔法具ブースターは?」

「え?」

「魔法具は、どこに?」


 今度はフィランではなく、ネイソンが聞く。

 先程の呆け状態から目が覚めたようで、こちらは薄っぺらい笑顔ではなく、少し訝しげな視線をルーナに向けていた。


「……持っていません」


 そう答えると、フィランは首を横に傾けた。


「先程のは魔法では?」

「魔法です」

「それなら、なぜ魔法具を持っていないんです?」

「使いませんので」


 短い答えに、ネイソンは更に訝しげな表情をして、質問を畳み掛ける。


「どういうことです? なぜ、魔法具をお使いにならないのですか?」

(……成程)


 つまり、二人はまだ見たことがないのだ。魔法具を使わずに魔法が使える人間を。そして、その存在も知らないようである。

 この状況を打破するためには、説明するしかなさそうだ。


「魔法具の仕組みはご存知ですか?」

「ええ。人間の生まれ持つ微量の魔力を増幅し、それを対象に放って発動するための道具だと」


 今回はフィランが答えた。


「はい。私の場合、その生まれつきの魔力量が多いので、魔法具を通す必要がないのです」


 ルーナが少し緊張しながら述べた説明に、スエンにネイソン、そして巨漢が大きく目を見開いた。

 フィランも、こればかりは驚いたようだった。紅い瞳が揺れている。かと思ったら、もう一度考えにふけり始めた。


(……何か、問題でも……?)


 正直、今すぐ逃げ帰りたくてたまらなかった。だが今席を立って扉に向かっても、後ろの大きな老人に止められてしまうだろう。大人しくしておくしかない。


 そうしてまた萎縮していると、考えが終わったのか、フィランがルーナの瞳を見つめ、にやりと笑った。


「一度、見せてもらえないでしょうか?」

「えっ」


 フィランはそう言うと、新しいカップを持ってきてルーナの前に置く。


「これに水を。魔法具を使わずに」


 そう言ったフィランは、変わらず笑顔のまま、試すようにルーナと目を合わせていた。

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