第十話「はじめての街」

「じゃあ、行きましょうか」


 二日後の、午前十時。


 ルーナは、膝下まで袖のある茶色の服と、足がすっぽり隠れるこれまた茶色のズボンに身を包んでいた。全て、昨日スエンが手持ちの布で作ってくれたものだ。無地でだいぶ地味だが、ルーナが城にいた頃に着ていた寝巻よりも動きやすい。


 背中に背負う鞄には、飲み水やタオルが詰め込まれている。他にも色々と入れているので、かなりの重量が肩にのしかかっていた。


「なんだか、旅にでも出るみたいじゃない?」

「そうねぇ。でも、備えは多い方がいいでしょう」


 スエンは満足気な顔でそう言う。

 備え、と言っても、すぐ近くに行くだけなのだが。


 さて。今日ルーナがどこに行くかと言うと。


 話は、二日前に遡る。




* * * *




「魔獣の手掛かりって、何もないのかしら」


 ルーナは風呂から出ると、夕食の片付けをしているスエンにそう問いかけた。


 スエンは洗っていた皿を置いてタオルを持つと、ルーナの髪をそっと拭き始める。さすがは元王妃の侍女である、最高に心地が良い。

 ほにゃあ、と表情筋が緩んだルーナの様子に微笑みながら、スエンは「そうねぇ」と考え込んだ。


「情報屋なら、少しは知っていそうなものだけど」

「情報屋?」


 その名称に、驚いたような声が出る。

 噂には聞いた事があったが、本当に存在するとは。


「私のお友達が情報屋をやっているのよ。男の人なのだけど、その奥さんと仲が良くてね。奥さんが亡くなってからは、よく食事を持って行ったりしてるの」

「へぇ、仲が良いのね」

「ええ、それはもう。それで、よく話を聞いたりもするのだけど、変な力を持つ人間の情報が入ってくる事もあるんですって。そんなの誰も買わないのに、これも商品だからって頑なに教えてくれなくてね。けちん坊なのよねぇ」


 スエンはそう言って口を尖らせた。見た目によらず茶目っ気のある老婆である。


「ちょっと気の強いお爺さんだけど、私の名前を出せばきっと取り合ってくれるわ」


 少し得意げに笑う老婆の提案は、すぐにでも乗ってしまいたいほど魅力的だった。

 だが、問題点が一つ。


「私とスエン、どんな関係だと言えば良いのかしら……」

 

 これである。

 スエンの名前を出して、もしどんな関係かと聞かれたら、どう答えれば良いのかわからない。

 馬鹿正直に「スエンは母の元侍女です」なんて言えるわけがないし、「友達」とも違う。「古い知り合い」でやり過ごせるとも思わない。ならば……


「娘にしましょうか」

「えっ?」


 突拍子のないスエンの発言に、思わず間抜けな声が出てしまう。

 頭の上にいくつもはてなが浮かんだルーナの顔を見て、スエンが言葉を付け加える。


「養子に取ったことにするのよ。こんなのはどうかしら。他国で暮らしていた少女が両親を亡くして、母の故郷であるリリアンを訪ねた。身寄りのない少女を、私が養子に取った。どう? 嘘は言ってないでしょう?」


 その手があったが、とルーナは右手の掌に左手の拳を落として感嘆した。さすがスエンだ、天然ぽく見えても頭が切れる。


 その設定なら、ルーナがリリアンについてよく知らなくても言い訳がきく。

 ルーナは、リリアンについて本当に知らないことが多いのだ。


 もとは、リリアンとソルテリスは関係が良かったのだ。ところが、二十三年前、リリアンが自国の貴重な鉱石の輸出を拒んだことをきっかけに、ソルテリスが宣戦布告なしで突然戦争をふっかけた。

 突然攻め込まれたリリアンはなすすべなくソルテリスに侵略されるが、宣戦布告のない戦争は国際間で認められておらず、国際評議会で審議にかけられ、その戦争は、鉱石の所有国はリリアンのまま、輸出もすることなく、国交が断絶される形で終わりを告げた。


 ……という歴史を、城の老師から習った覚えがある。まさかこんなところで眠たかった授業が役に立つとは。


(ありがとう老師……)


 もう恐らく会うことのない老師に心の中で礼を言う。


 つまりは、ルーナが生まれる前から国交を断絶しているこの国について、これ以上知っていることがないのが現実、ということなのだ。なので、スエンの提案は非常に都合がいい。


「じゃあ、そうしましょう。突然美人の娘ができて嬉しいわぁ」


 ふふ、と笑うスエンの気分はすごく良さそうに見えた。目尻は垂れ、口角は上がり、声も少し高くなっているように思う。

 ルーナが娘になる事を喜んでくれているのを見て、ルーナもどこか気分が良くなった。


「じゃあ、明日にでも行こうかしら」

「あら、駄目よ。まだ何も教えてないじゃない」

「教えるって、何を?」

「リリアンについてよ。一般常識くらいは身につけてから外に出た方がいいわ」


 至極真っ当な言葉である。

 ルーナはすぐに納得し、翌日はスエンの特別講義、そして二日後に情報屋へ向かうことにした。




* * * *




 そんな経緯で、今に至るのである。


「スエン、もう出られるわよね」

「ああ、ちょっと待って」


 扉を開けようとするルーナを、スエンが慌て気味に制止する。そして、ふわりと頭に何かが被せられた。


「これを着て行きましょう」


 それは、真っ白なローブだった。

 聞けば、リリアンでも金髪は凄く珍しいそうだ。無条件で目立ってしまうので、フードを被って隠そう、ということらしい。

 ルーナは「わかった」と言うと、ローブを着て首元の金色の紐をりぼん状に結んだ。


 三日間寝ていたため実感がないが、外に出るのは五日ぶりだ。扉を開けると、真っ青な青空が視界を埋め尽くした。

 ソルテリスと同じく、リリアンにも季節はない。年中比較的温暖な気候だ。

 爽やかな風が、ローブの裾を揺らした。久し振りの外はやはり気持ちがいいものだ。こう思えるのも、スエンのお陰である。


 スエンは家の鍵をしっかり閉め、ルーナの前を歩き出した。王女だった頃なら、侍女が王女の前を行くなど有り得なかったが、スエンは一昨日の夜と昨日だけで、完璧に義母に順応してくれた。敬語を使うこともなく、ルーナを平民の娘として扱ってくれている。それがルーナにとっては凄く有り難かった。


 老婆を街に連れ出すのは体力的にあまり良くないかと思ったのだが、突然一人で街に出るのは心配だし、彼女も行く気満々だったので甘えさせてもらった。


 二人はまず、装飾品店に向かった。

 

 装飾品店の店主は、どちらかと言うと貧しい容貌の二人を訝しげに見つめたが、それはすぐに歓喜へと変わった。

 ルーナが鞄から取り出したのは、成人式の時につけていた髪飾りなどの装飾品だった。ドレスはぼろぼろになってしまったが、装飾品は無事だったのだ。

 盗品かと疑われるかと思ったが、金になるなら何でも良いらしい、物凄い早さで買い取ってくれた。


 装飾品店の店主が話す言葉は、ソルテリスと同じ言語だ。

 この世界は四つの大陸に分かれており、その大陸内は全て共通の言語を使用する。千年以上前は、一つの大陸が一つの国だったからなんだそうだ。

 四大陸の内最も大きい大陸である『ウェルスタン』。この中に含まれるのが、ソルテリスとリリアンである。

 勿論他にも沢山の国が存在するが、この二国は大国だと言って良いだろう。


 実際にこうして他国の人間と同じ言語で話していると、中々に不思議な気分になる。


 売上は百五十万リーネ。かなりの高額のようで、袋一杯の金貨を鞄に詰め込むこととなった。


 次に向かう先が、今日の一番の目的である情報屋だ。ここからそう遠くないらしい。


 スエンの話によると、この街はリリアンの首都メリステアの中央にある城下町なんだそうだ。

 城下と言うだけあって、街は活気に満ちていた。噴水の周りでは子供たちが楽しそうに走り回っている。子供が親も連れず自由に遊び回るというのは、治安が良くなければ出来ないことだ。


 食欲をそそる香りにつられ、思わず足を止めて露店を眺めていると、スエンが串刺し肉を買ってくれた。それをぱくりと口に含むと、熱い肉汁がぶわっと口内に広がる。甘辛いたれで味付けされたそれは、天に昇るほどの美味しさだった。宮廷料理よりもこちらの方が舌に合っているのかもしれない、と思ってしまう。


「さあ、ここよ」


 そうして楽しい時を過ごしているうちに、いつのまにか目的地に到着していた。


 目の前の建物に顔を向けると、そこはまるで飲食店、いや完全に飲食店だった。

 酒場や喫茶店が並ぶ飲食街で、一際大きな煉瓦造りの店構え。ルーナはそれに首を傾げた。どう見ても、情報屋ではない。


「表向きは飲食店なのよ。傍で情報屋を営んでいるの。違法ではないけれど、彼はかなり灰色な情報まで売ってしまうから」


 その説明を聞いて納得した。

 違法ではないが、公にはできないということか。


 カランカラン、と音を立てて扉を開けると、中は昼前だというのにほぼ満席だった。手前にテーブル席があり、奥にはカウンターがある。

 スエンは客席を素通りすると、そのままカウンターに向かう。ルーナはその後をついていった。


 カウンター席は夜のバーでだけ開放するらしく、誰も席に座ってはいない。だが、長いカウンターの端で、大柄の年配男性と黒いローブを着た二人が何やらこそこそと話していた。……見るからに怪しい。


 スエンと目を合わせると、彼女はそっと頷いた。恐らく、カウンターの内側に立つ大柄の男性が、その情報屋なのだろう。

 スエンがそこに向かって足を踏み出すのに合わせて、ルーナも進み始めた、その時。


「いたっ……!!」


 ガチャン、というガラスの割れる音と共に、女性の小さな悲鳴が響いた。


 反射的にそちらを向くと、従業員の制服を着た女性が足を抱えて蹲っていた。床には割れたガラスコップが飛び散り、女性の足にはガラスの破片が刺さっている。大きく血は出ていないが、痛々しかった。


 女性は泣くのを我慢しながら、足に刺さるガラスを取ろうとする。

 その様子を見て頭に浮かんだのは、成人式の日、王女ルーナフィリアの部屋で、髪飾りによって怪我をした侍女の顔だった。


「ルーナ?」


 スエンに名を呼ばれるが、ルーナの足は、自然と女性に向かっていた。立ち上がろうとする女性の肩をそっと押さえ、また座らせる。

 

「少しだけ待ってくださいね」


 安心させるように優しく言うと、ルーナは傷口に手をかざした。そして、ゆっくりと、目を伏せる。


 次の瞬間、紫の光が傷口を包み込んだ。

 三秒もない間に、小さく明るい光の中で傷が癒されていく。光が消えると同時に、傷は消えて無くなった。


 ルーナは傷が完全に消えた事を確認すると、ふう、と息をついた。

 そして、女性に声をかけようと、足から顔へ視線を上げる。その顔を見て、しまったと思っても遅かった。


「……っ!!!」


 女性は、何が起きたかわからない、と言うような顔でこちらを見ていた。体を震わせ、傷のあった足を触り、また驚愕の表情を浮かべる。


 やってしまった。やらかしてしまった。


 世界には、魔法が浸透していない国もある。もはや禁止されている国さえある。

 当然のように魔法を使ってしまったが、この女性の反応を見るに、恐らく魔法はあまり浸透していないのだろう。驚かれている、いやむしろ怖がられている。


 慌てて客席の方を向くが、運良く誰もこちらに注目してはいなかった。カウンターとテーブル席が離れていることが幸いしたようだ。

 目撃者がこの女性一人だけなら、大した問題はない。


(こういう時は、何もなかった事にするのが正解)


 そう勝手に納得する。

 そして、女性に苦し紛れの笑顔を見せ、その場をそそくさと立ち去ろうとした、その時だった。



「少し、お時間よろしいですか」



 肩を掴まれる感覚とともに、誰かの声が後ろから聞こえた。


 ルーナの顔から、血の気が引いていく。


 恐る恐る、ゆっくりと振り向くと、そこには、黒のローブを着た男が立っていた。


 ルーナは、完全に忘れていた。


 情報屋と思われる男性。その男性と話をしていた、二人の黒ローブ男が後ろにいたことを。


(ああ……終わった……)


 フードの中で光る紅い瞳が、白い兎を喰う、黒い悪魔のように見えた。

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