第五話「価値のないもの」
城の火は、ほとんど消し去られていた。
大きな火はもう目に映らず、消火活動をしていた兵たちは疲れ切った体を休めたり、物が散乱して汚れた庭園の後片付けにあたっている。
宰相ストレギー・ヘイルランスは、その様子を静かに眺めていた。
彼の今いる場所は、城の最も上にある、国王の執務室だ。ここも魔法で燃えないようにされている、もう一つの場所であった。
これからは、ストレギーの執務室となるだろう。
庭園から目を離し、宙を眺める。
何を思っているのか、ただただ曇った空を眺めていた。今だけは、笑顔の仮面が外れている。いつもあの仮面をつけているのも、楽なものではない。
机に寄りかかって窓の外をぼうっと見ていると、執務室の扉がノックされる音が聞こえ、返事を待たずに開けられた。
「失礼致します、ストレギー宰相」
「ああ、シーマンさんですか」
入ってきたのは、ソルテリス軍一番隊隊長、
ストレギーは仮面をつけ直し、いつも怖い顔をしたその男に向き直る。シーマンは眉間にしわを寄せながら口を開いた。
「城内の炎はほとんど消火し、今は一番隊を残り火の消火活動に向かわせた次第です。死傷者はありません。国王ガリアンの件についてはまだ外部に漏らしておらず、亡骸はこちらで管理しています」
「はい、お疲れ様でした。死傷者がないのは幸いですね。兵の皆さんは十分に休ませてください」
今日起こした爆発は、庭園に集まる人々の意識を国王から逸らさせるためのものだった。死傷者はないに越したことはない。
(……まぁ、ただ燃やしたかったのかもしれないな)
王族が造り上げてきた、この城の歴史を。
ストレギーは、首を振って雑念を散らす。
(それにしても、本当に誤算だった)
あの王女が来てしまうとは。
「……王女とノークスレアは、どうなりましたか」
ストレギーは、シーマンから視線を逸らして言った。その貼りついた笑顔は変わらない。どんな感情であろうと、それを変えてはいけなかった。
「それに関しては私から説明致しますよ」
まるでストレギーのその質問を待っていたかのように、一人の男が執務室へと入ってくる。ストレギーとは正反対の無表情を持つ、ハイデンであった。
「……ハイデンさん、結局追ったんですね」
「国王の暗殺を目撃した優秀な魔法使いと屈指の騎士が、復讐のために貴方を殺しに来る可能性もなきにしもあらずでしょう。危険因子は消し去っておいた方が良い。何より、もともと目撃されたら誰であれ始末すると私は前から言ってきたはずですが」
全く動かない冷えた表情のまま、口だけは活発なのがこの男の特徴だ。一聞くと、嫌味たらしく十返してくる。だが、ストレギーはこの男が嫌いではなかった。こういう人間も、必要な時は必要なのだろう。
「……それで、どうなったんです」
軽くため息をつき、ハイデンに尋ねる。
「ノークスレアは死亡。姫には逃げられました」
その答えを、ストレギーは予想していた。
ノークスレアという騎士は、ストレギーの四つ下の年齢でありながら、この国の三本指に入るほどの実力者だ。剣の腕だけなら、誰も敵わないかもしれない。
そして、彼は自身の主を守るという任務に、全てをかけている。その忠誠心は、先刻わざと王女に剣を向けた時に確かめた。
恐らく、自分がハイデンの攻撃を受け、王女を逃がしたのだろう。あの男が姫を死なせるはずがないと、最初からわかっていた。
わかっていながら、ストレギーは逃したのだ。
(……くだらない)
片眼鏡を持ち上げながら、心の中でそう呟いた。
情も、記憶も、思い出も、全て消し去ってここまで来た。長い長い計画だった。やっと、今からが始まりなのだ。
「王女を探しますか?」
ハイデンは、ストレギーの笑顔が少し曇ったことなど気にも留めず、そう問う。
「……必要ありませんよ。護衛役なしの姫には何もできないでしょ。それより、魔法部隊の皆さんに労いの言葉でもかけてあげてください」
冗談めかしてそう答えると、ストレギーはまた、窓の外を眺めた。
その空に、彼が何を描いているのかはわからない。
その仮面の下に、何が隠れているのかもわからない。
だが、自らの全てを捨て、国の全てを手に入れたこの男の思い描く先に、更なる高みがあることだけは、はっきりとわかるだろう。
ストレギーは、執務室にいる二人を見比べて、少しだけ、くすっと笑みをこぼした。
年中怖い顔をした堅物男と、無表情の饒舌男。
努力して集めた面々には、二人以外にも、もっと沢山の人間がいる。それをまとめていくのも、ストレギーの責務であり、求めたことなのだ。
(つまらない男ばっかり集まっちゃったなあ)
そんなことは、作戦実行前から分かりきっていることだった。
このつまらない男たちと作り上げる未来が、どんなものになっていくのか。ストレギーは、その未来を見据え、高揚感さえ覚えていた。
『――――月の姫が、きっとそれを阻むだろう』
一瞬、亡き王の声が聞こえたような気がした。
* * * *
何もない、暖かな道の真ん中だった。
ルーナフィリアは、ぼろぼろになったドレスに身を包み、そこに座り込んでいた。
辺りは、本当に何もないと言ってよかった。民家はもちろん、畑や川もなく、ただ広い道だけがあり、ずっと向こうには、高い木が立ち並ぶ森が見えた。
あの森は、城下町の街境なのだろうか。あの森が何かなど、城下町から一歩も出たことのないルーナフィリアにわかるはずがない。
一体ここは、どこなのだろうか。
ノアの魔法で飛ばされて、目を開けたらここに座り込んでいた。
(…………ノア)
自身の護衛の名。そして、唯一の友の名。
だが、もうその名を呼ぶことはない。
その名の主は、もうこの世にはいない。
ルーナフィリアの青い瞳に、水が溜まっていく。
大きな瞳にも収まりきらないその水は、涙となって、ルーナフィリアの悲しみを、苦しみを、溢れ返らせた。
「うあ……うあぁ、うああぁぁあぁぁ!!!!!」
止まらなかった。止められなかった。
ルーナフィリアが、この世で最も信頼し、愛し、心を置いてきたのは、父と、友であるノアだけだった。
何よりも大切で、何にも代えられないその二人が、これからの未来でルーナフィリアに笑いかけることはもうない。
一人になってしまった。もう何も信じられない。この世の全てに、牙を向かれている気分だった。
「ふ……ぅ、あ……うぁあ……」
声とも言えない嗚咽。じくじくと痛む腕と足には、もう痛み以外の感覚がない。
痛みは、止まることを知らない涙と友に、苦しみを増幅させた。
いっそ、もうこのまま、すり減っていくこの命を絶っても良いのではないか。
もう何もないのに、誰もいないのに、未来に光なんてあるわけがない。それならば、死んでしまったほうがいい。こんな命、あって何になるのだ。
目の前で殺させてしまった悔しさ。何もできない自分の惨めさ。それら全てが、彼女の心を蝕んでいった。涙は枯れる気配もなく、色の消えた彼女の頰を濡らし続けた。
ザク、ザク、ザク。
背後から、土を踏む足音が聞こえる。
もしかして、敵ではないだろうか。
もし敵ならば、早く殺してくれ。
価値のないこの命を、どうか早く絶ってくれ。
ルーナフィリアは、強く目を瞑って、その瞬間をただひたすらに待った。
だが、その瞬間は一向に訪れない。
足音は後ろで止まった。ルーナフィリアの後ろにいるのは明らかだ。ルーナフィリアは、そっと首を後ろに向け、足音の主の顔を見た。
「…………え……」
懐かしい、本当に懐かしい顔だった。
溢れていた涙は止まり、その人に急いで声をかけようとする。
だが、赤い血が流れ続けるこの体が、その時間を与えてくれるはずがなかった。
彼女の顔を見つめたまま、視界が横に倒れていく。
そして、目の前が真っ暗になった。
暖かい何かが、ルーナフィリアの体を包み込んだ気がした。
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