第二話「赤」
(……不安だ)
成人式の開始から、一時間半が経過していた。
城の露台には、二つの席が用意されている。
一つはルーナフィリアの席。もう一つは、国王であるガリアンの席だ。
だが、その席には誰も座っていない。
ルーナフィリアの不安は、刻一刻とその濃さを増して行った。表情に出さないよう笑顔で取り繕っても、顔の蒼白さは隠せない。
(……不安だ)
ルーナフィリアは不安を悟られないよう、次々と出される菓子や酒にかろうじて手をつけながら、何度も横を見つめていた。
事の起こりは、今から三十分前のことである。
* * * *
成人式は国王の演説から始まった。
これから国を支えていく若い原石へ向けたその言葉に、誰もが胸を打たれ、気持ちを高ぶらせた。
露台の下には庭園があり、式の開始を告げる音楽団の演奏と共に踊り、食べ、皆が思い思いにこの特別な時間を楽しんでいた。
ルーナフィリアも同様に、菓子を食べ、酒を飲み、ノアやラリア、そしてガリアンと言葉を交わした。
庭園の五分の一ほどの広さがある露台は、階段で庭園に繋がっている。そこから次々と貴族たちが王族二人に挨拶をしに来るので、それの対応でとても忙しかった。
あからさまに次の王座を狙ってルーナフィリアに色目を使う貴族のどら息子もいたので、剣を抜きかけるノアをラリアが止める、という茶番まで起こった。
そうして、成人式は順調に進んでいた。
だが、開始から三十分が経ったある時。
国王の護衛の一人が、ばたばたと走ってきたと思ったら、国王に何かを耳打ちした。
それを聞くと、国王は一瞬目を伏せ、ゆっくりと席を立ち上がった。
「少し席を空ける。何かあれば、すぐ私の護衛に伝えなさい」
そう言ってガリアンはルーナフィリアの頭を撫で、城の中に入って行った。
それから、もう三十分も経っていた。
このような式典で、主催者である国王が三十分も席を空けるなど、普通なら有り得ないことだ。
(……まさかそんな、城の中なのだから)
平気だ。
そう何度自分に言い聞かせても、朝から執拗に付き纏う不安は離れてくれない。
最初に嫌な予感を感じたのは、いつだっただろう。
(……ああ、そうだ)
ストレギーの、あの冷えた笑顔を見た時だ。
するとその瞬間。
物凄い轟音と共に、爆風が背中を襲った。
椅子から体を投げ出され、庭園で踊る人々も雪崩のように爆風に煽られ倒れ込んでいる。
そして、追い討ちをかけるように、城の内部から爆炎が上がった。
大爆発だった。
阿鼻叫喚。
民は皆、城門へ我先にと走って行った。焦りと恐怖に顔を歪ませ、人々をなぎ倒すようにして駆ける。
ルーナフィリアが倒れこむ直前で体を支えたノアは、彼女を立たせると状況を把握し兵に指示を出した。
ルーナフィリアは、意外にも冷静だった。いや、冷静を保とうとしていた。
上に立つ者は、ここで揺らいではいけない。
非常時に取るべき行動は分かっている。王女である自身は、誰よりも先に安全な場所へ避難しなければならない。例えそれが望む行動でなくても、王女という立場である限りそうしなければならない。
(大丈夫。民の誘導は、兵たちがやり切ってくれる)
そう自分に暗示をかけ、ルーナフィリアが露台を降りようとした、その時だった。
ふと、何か光るものが目に入った。
――――金色の月。
(倒れたとき落としたかな……)
そう思って、床に落ちた耳飾りを拾い、耳につける。
途端、また猛烈な悪寒が身体を駆け巡った。
「あれ……」
ばっと隣を向く。
「……さま」
「姫、そろそろ姫も脱出を……」
「……お父様!!!!」
声をかけるノアを押し退けて、隣席の後ろで身体を震わせる父の護衛のもとへ走った。先程父に耳打ちをしていた護衛だ。
その男の肩を掴み、大きく揺さぶる。
「お父様は、お父様はどこにいるの!?」
そうまくし立てるように問うと、護衛の男は顔を真っ青にして下を向いた。
父、国王ガリアンは、この男に何かを言われてから、まだ戻ってきていない。
爆発の起きた、城の中から。
「答えなさい!! どこにいるの!!」
「じょ……城内、に……」
「だから、城内のどこなの!?」
強く問うても、その男は下を向くだけで、決定的な答えを口にしようとしない。
「……なんか、答えられない理由でもあんのか」
蒼白な顔で俯く男に、ノアが鋭い視線でそう言う。
男は「ひっ……」と口をわななかせ、三番隊隊長の圧に負けたかのように、ゆっくりと口を開いた。
「さ……宰相、ストレギー閣下の、執務室に……」
それを聞いた瞬間、ルーナフィリアは悟った。
父が、危ない。
「っ、姫!!!!」
懸命に保っていた冷静さは、もう失われていた。
ルーナフィリアは露台から炎の燃え盛る城内へ走って行った。
手を前に掲げると、紫色の光に炎が相殺されていく。ルーナフィリアが進むたび、その場の炎は消し去られた。
後ろからノアの制止の声が聞こえる。彼もまた、自身の大剣で炎の間に道を開けながら、主を追った。
露台のある階は二階。宰相の執務室は同じく二階で、すぐそこにある。
すぐそこにあるが、その道のりは永遠のように感じられた。
何度目かわからない魔法を放つと、炎が消える。その先に、宰相の執務室が見えた。
(早く、早く……っ!!)
必死に足を前へと進めた。
あと三歩、二歩、一歩。
執務室の扉を、前に倒れこむ勢いで押し開ける。
「…………っ!!」
絶望とは、このことを言うのだと、そう思った。
部屋に入った瞬間、目の前に広がっていたのは、二人の男の姿だった。
一人は床に倒れ、胸元から血を流している。
もう一人の手には、血の垂れる剣が握られていた。
「お……おとうさ…………」
国王である父ガリアンの目は、既に閉じていた。
力が抜け、ぺたりと床に座り込む。
すると、手が何かの液体に触れた。
「あ……あぁ……」
真っ赤な血だった。
父の胸から流れるその血は、ルーナフィリアの視界を赤く染め上げた。
一足遅れて辿り着いたノアは、その状況に目を見開き、すぐに理解したのか、顔を歪ませて視線の先の男を睨み付けた。
「……これは、一体どういうことっすかねぇ……ストレギー宰相」
剣を握り、王女に冷たい目を向けるその男、ストレギー・ヘイルランスは、ノアに視線を移した。
剣についた血を払うと、いつものような笑顔に戻る。その笑みに、ぞわっと体が波打った。
「……見ての通りですよ」
そう言うと、ストレギーは後ろで結んだ栗色の長髪を揺らしながら、ルーナフィリアに近寄った。
そして、剣を大きく振りかぶる。
瞬間、白い影がその剣を弾いた。
バチイィイン、と大きな金属音が鳴り響く。
「ノークスレア。状況が、掴めませんか?」
「……悪いけどな、お偉い宰相サマに剣向けるくらいには掴んでるよ。……お前が、殺したのか」
国王を。
ストレギーは、低い声で問われたその言葉に、一瞬目を伏せると、また軽い笑顔で応えた。
その笑顔が、全てを物語っていた。
ノアが、また剣をストレギーに振る。
避けきれなかったストレギーの左肩に、軽くその大剣が滑った。それだけでも、大きく血飛沫が飛び出る。
だが、その剣がもう一度振られる事はなかった。
強烈な轟音が、またも鼓膜を大きく揺さぶる。
外からは民の叫び声と、誘導する兵の声、そして火花が散る音だけが聞こえた。
(……え)
その時、なにか違和感を覚えた。
足に力が入らず、膝を引き摺るようにして扉の外を見る。
そこには、先程まで目の前を埋め尽くしていた炎が全くなかった。ルーナフィリアが魔法で消しても、燃え移ってすぐにまた炎が上がるはずなのに。
「不思議ですよねえ、魔法というのは。執務室の周りだけ燃えないようにできるなんて、なんて便利で器用な技なんでしょう」
ルーナフィリアの考えを察したかのように、ストレギーが変わらない薄っぺらな笑顔で言う。
その言葉の意味を理解するのに、時間はかからなかった。ノア同様なようで、彼の喉から出る声は、心なしか震えていた。
「この爆発も、あんたが……?」
「うーん、爆発を起こしたのは僕じゃないですけど……シーマンさんの発案ですよ。まぁ、最終的には僕が命じたので僕で間違いないですね」
「……大隊長が、グルだっていうのかよ……」
は、とノアが鼻で笑う。
大隊長シーマン。一番隊を取り仕切る者であり、ソルテリス王国軍の統括者。統率の腕は誰も敵わず、強い信念を持つ男。ノアも長年尊敬してきた。
そんな男が、反逆の加担者だったというのか。
(何を、言っているの、この男は……)
立つ力も、言葉を発す力も、何も出てこなかった。
もう動かない父の亡骸を、開かない目を、ただ見つめることしかできなかった。
「それにしても、ちょっと誤算なんですよね、貴女様に見られちゃったのは。どうしようかなあ」
ストレギーが、頭を掻きながら言う。
すると、何かを思いついたかのように、「あっ」と右の掌に左の拳を落とした。
「僕、あまり姫様を自分の手で殺したくはないんです。殺す予定もないですしね」
笑顔を浮かべ、絶望に打ちひしがれたルーナフィリアの顔を覗き込む。
一見優しく見えるその笑顔は、もう既に、彼女の恐怖材料でしかなかった。
「でも、炎のせいなら、僕がやったことにはなりませんよね。なら、こうすればいいんだ」
ストレギーはそう言うと、胸元から、四角い箱を取り出した。
――――
ストレギーが魔法具を見つめ目を閉じると、魔法具からが放たれ、執務室がその光に包まれる。
瞬間、執務室の外から中へ、火が燃え移っていった。
「おまえ…………っ!!!」
すぐに状況を飲み込んだノアが、殺気めいた鋭い目をストレギーに向ける。
執務室にかけていた魔法を解除し、火がつくようにしたのだろう。炎はどんどん勢いを増していく。
「ここから先、他の方はどうか知りませんが、僕はお二人に関与しません。燃え盛る城から出て生き延びるか、出られずに死ぬか。正直僕はどちらでも構いませんから」
宰相は一度も表情を緩めず、不気味な笑顔を保っていた。ストレギーが魔法具を懐にしまい、そのまま部屋を後にしようとした、その時。
「………なぜ……お父様を殺したの……?」
ストレギーの動きが止まる。
ルーナフィリアの口が微かに開き、小さな声を発した。今の状態で出来ることの、限界がこれだった。
「……姫様は、知る必要のないことです」
そう答えたストレギーの顔が、一瞬だけ曇ったように見えたのは、気のせいだっただろうか。
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