ごくごく普通の短編集

色々太郎

男女の話

「僕は、君が好きだ」


一人の男が、田んぼの近くの草原で女に向かって言った。夏の長い太陽の光は着々と減っていて、田んぼの周辺には、たくさんの蜻蛉が飛び始めていた。男の目の前には、女がいた。男よりも背は高かった。男は女の背中を見ていたが、女は男を見ようとしなかった。




「君はどうなんだい?」


男が聞いた。


「私は……」


女は動揺したかのように、口を虚しく動かした。


「ごめん。僕の事、嫌いだった?」


男が少しだけ手を伸ばしながら、女に聞いた。


「違うよ!。好きだよ!」


女ははっきりと言った。声は震えていた。


「じゃあ――」


「でも!好きだから、私は一緒に居たくないの!わかるでしょ!」


「……僕にはわからない」


男が言った。その言葉に、嘘偽りの一切は無かった。




「なんで!」


女が、さらに強く言って振り返った。女の視界に、男が思わず映り込む。しまった――と、女は必至で目を瞑って、何も考えないようにした。彼の元へ思わず動き出しそうになってしまう体をすんでの所で食い止めた。


「私と一緒に居たら、死んでしまうかもしれないんだよ!?」


女が目を瞑ったまま、そう言った。何も考えなくても、言葉は自然に出てきた。


「違うよ」


男が言った。強くはっきりと。


「僕はこれから、君の中に住むんだ。君の体と心の中に」


「私は……ずっと一緒に居たい……君と一緒に……」


「君は、優しいんだね」


と言って、男は女の体を抱きしめた。優しく、しかし、決して離す事の無いように強く。


女は、驚いたように体をぴくりと反応させた。本当は、今すぐにでも引き剥がすべきであったかもしれない。だが、女にはそれが出来なかった。




「ありがとう、けど僕は、君に好きに生きて欲しい。僕の事なんか遠くに忘れて、好きに生きて欲しい。けど、そうだね。もし僕の我儘を聞いてくれるなら、時々で良いから、僕の事を思い出してくれると、うれしいかな」


男が言った。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


女が言った。泣き叫ぶような声だったが、涙は流れていなかった。


暫くの間、時間が流れた。いつの間にか、空は赤く染まっていた。


男が、女から離れた。


「ありがとう……そして、さようなら」


男が言った。次の瞬間――




女が、男の頭を引きちぎって、食べ始めた。






*   *   *






「ねえ、お父さん。カマキリがカマキリを食べてるよ」


「ああ、それはね、蟷螂は交尾すると、雌が雄を食べちゃうんだよ。卵を産む栄養源としてね」


「それって、すごく可哀そう……」


「雄がかい?」


「雄もそうだけど、雌もきっと、食べたくて食べているわけじゃないんだよね?」


「……確かにそうかもしれないね」


「どうしたらいいかな」


「どうもしないで良いさ。僕たちには僕たちの考え方や生き方があって、カマキリにはカマキリの生き方があるからね。それを邪魔しちゃあいけないよ」


「……うん。わかった」


「よし……うん?雨が降ってきたな。そろそろ帰るぞー」


「はーい」




子どもが、その場から離れた。そこには、一匹の大きな蟷螂が、頭部のない小さな蟷螂の死骸を抱えていた。




その蟷螂の頭上に、一滴の水滴が落ちた。

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