第10話 2004年1月4日 御伽桟敷界隈

 午後13時00分の目処。戦飯を終えた77名の騎馬行列の一個大隊が、画帖山麓の本宮家邸の庭先に設営された見晴らしの良い御伽桟敷の先の、二の丸環状通りに荘厳に居並ぶ。観衆に応える為の騎乗礼はどうしても華やかで、活況の中に佇む俺にも何事が起こるかの期待が高まる。

 陣太鼓の音も軽やかに、御伽桟敷に立つは桔梗柄で意匠が施された紫の晴れ着のご当主涼宮可憐さんだった。大きな式辞用紙の開かれ展開する音が聞こえた。それは図らずも皆の固唾の声が伝わってくる程だから、ここはかなり厳粛なお触れであるらしい。

 ご当主が響き渡る音声で訴えかける。


「古えの正伝より伝わる、御馬烈走登りの始まりを、今日平成15年西暦2003年1月4日に唱えます」


 ここで勝ち鬨かのレスポンスが騎馬行列のみならず観衆より雄叫びに近い歓声が劈く。物騒通り越して、流石は豪族街である事に感心以外の感情しか湧いてこない。俺の武者震いは、俺にもそう言う一面もあるのかと嫌が応にも興奮がこみ上げる。

 そして、ご当主が皆に応える様に発布する。


「一同に、巡りと騎馬と乗り手を申し伝えます。

 一の巡り。常陸号、花房昌道。

 二の巡り。櫓憐丸、卜部杏奈。

 三の巡り。尽誠丸、渡海那由多。

 方位の巡り。金剛丸、天宮ルイ。

 五の巡り。華菱号、荒川剣之介。

 道の巡り。千里丸、碓井舜夏。

 七の巡り。雷迅丸、渡辺鴇生。

 八の巡り。隆世丸、谷口志信。

 天の巡り。南郷丸、本宮サクラ。

 十の巡り。豪気丸、坂田優子。

 十一の巡り。快音号、畠山順希。

 十二の巡り。芝本号、涼宮ハルヒ。

 以上、昭和再制定の御馬烈走登りを、十二の人馬を一体として、何事も怠り無く事を進める様に申し伝えます」


 次々のどよめきが多いも、俺としてはやや知ったる面子なのだが、そこはかとなく御伽桟敷界隈で挨拶のままに合流した案内役の鶴屋商会の大番頭渡海純蔵さんに伺った。


「まあ、ざわめきもするかな、このお歴々は。ご当主今年は神事:御馬烈走登り狙いに行ったよ、九度超えどころか下手すれば全ての巡りが登り上がってしまうかもね。まあ何よりは8年連続でハルヒお嬢様の連続参加かな。ここ迄連続だと血縁とかのそれよりその手綱捌きを信用している事だね。今年こそはかな。とは言え市井の家格であれば、一度二度いや多くて三度かな、騎馬行列に参加するだけでのやっとの出資だからね。その騎乗衣装は引き継いだ年代物としても、直しより一から新調した方が手頃な事もままではあるし。何より馬体への付け届けが相当なものでね、この駆け上がりの難事に及んで、万が一の安楽死でオリンピック馬術競技出場クラスの馬体を至らしめるのがね。鶴屋の紗矢香お嬢様は馬術を嗜むものの心根が優しいから、皆に促されて5年前に一回騎馬行列に参加して、もう十分だって今も無邪気に逃げ回ってるからね。そう言う優しいところが思われてこその、紗矢香お嬢様の実に良いところだね」


 その渡海さん、俺は確かに鶴屋さんから神事:御馬烈走登りが始まる午後13時には本宮邸の雅門にいる様にと指示されたが、まさかの親派大番頭渡海純蔵さんを派遣するとは。祭りに絆されて俺が誰かと引っ付くのを警戒してるのか、俺はそこまで女子に傾倒するのではないのだが、いやある、今日は一段とたおやかな朝比奈さんは一体何処にいるのだろう。これが鶴屋紗矢香の深謀遠慮なのか、実に理に叶ってるが、やれやれなのか。


「渡海さん、この流れから、俺はあの格式高そうな御伽桟敷に招かれちゃうのですか」

「キョン君、そこは、当分は無いかな。招かれたらかなり悲惨な目に会うと言うか、本宮家が本領発揮しちゃうからね。今は設営されてる御伽桟敷だけど、現在の三面席とは違って昔は一面席でね。それも、多田一族と鶴屋家が利休七晢ゆかりの茶人芝山光宗さんを招いての重職懇談であるお茶会に転じてる側面もあって、結構シビアな下りなんだよ。とは言えそれも張りの一つかな。麓すぐ側の本宮邸はほぼ出城であって、戦中戦後の凋落を経てはお庭も池も荒れちゃってね。昭和後半に盛り返しては大層な錦鯉が泳いでいたのだけど、サクラお嬢様始め悪がき等が鯉釣りしてたからすっかりその目で見られちゃって、まあ今時錦鯉でも無いでしょうで埋め立てられての現在の普段は平造り庭園でね。何より苦い思い出が本宮家代々にあって、悪さをしたらオールシーズン今はなき池に放り込まれ過ぎたら、それはもう今はそう言う時代じゃ無いって事にしたいよね」


 そう言う時代も何も、本宮家の沸点の高さはこの体が良く分かってる。サクラさんの絞め技だけは、もう勘弁して欲しいものだ。とは言えか。


「笑うのは失敬でしょうけど。この画帖山一帯に関して女傑が多いのは、豪族由来かと思いますけど、それにしてもですよね」

「ウーマンパワー大いに結構じゃ無いかな。何より参加女子の比率が多いのは馬体の叱咤激励の妙でね。裏の厩舎は血族婚避けて牝馬が多いから、その時期時期の気性の荒さと体調の波を考えると、がさつな男子はどうにもだからね」

「その中に、俺のよく知ってる谷口って奴がいて、女子を格付けしては女子にモテないは、いや事情有りきで今は彼女がいるのか、いやまあ、そんな奴でも選出されるものですか」

「ああ、谷口志信君ね。私が知ってる彼はそれなりに人望ある方だよ。ハルヒお嬢様がつい何かと軋轢生じると、仲立ちに入ってはまあまあにしちゃうからね。そうかそうだね、北高に入学したらそのお役目はキョン君になってしまったのだね。ここは皆に変わって厚くお礼を申し上げておこうね」深く一礼


 いやいや、鶴屋家筋に畏まれてもと何とか姿勢を正して貰った。

 と言うべきか谷口よ、いつの間にその権限委譲したんだよ。いや、もし涼宮に気があるならやめとけは言われたがそう言う事か。まあSOS準団員なら完全委譲でもなさそうだから、ハルヒをかすがいとしても悪友とは切れないものなのか。

 それからの鶴屋商会大番頭渡海さんとの会話は、神事:御馬烈走登りとの仔細を指南された。

 画帖山は標高101mの急勾配の小山。旧名不落城はそのままで、ここを陥落せよとは織田信長も本当無茶言うなしかない。それでも精鋭騎馬31騎が当時生えていた茨をもろともせず駆け上がって奇襲を成功させたのだから、この整備された采女石階段全250階段を駆け上がる位はとついになる。ところがここ最近での所感はこれだ。この急勾配の階段で滑ろうものなら残らず皆麓まで転げ落ちて全身打撲だろうと。だがそれも慣れらしい。ペース配分を得れば頂上の御殿迄辿りつけると。よっぼどの降雪でも書生が全員で出払って雪掻きするから負傷者は聞いた事は無いよとも。いやそれもクリスマスの夜にあの長門が慄きでエラー起こした位だからも言いそうになったが控えた。

 昭和後期の大整備で、車二車線の山道を5周でアクセルのままに登れ、中踊り場/1合目希望静夜教会/上下踊り場/2合目画帖山公園/頂上画帖山御殿それぞれに円周道が設けられるも、昔は相当攻めを退けた佇まいだったらしい。改修前は細い山道一つで、籠城戦の為に直径1m級の丸い岩石が幾つも置かれては、攻め子を押し潰す気満々だったらしい。そんなの大地震が来たら丸い岩石の施錠が外れ落ちますよねも。まああったかものね、ただ山道の麓の先に強固な慰霊岩石碑があるからそこで止まったそうだから先人の知恵は確かだよ。普段でも物騒だったのか画帖山は。

 そして采女石階段の謂れは、戦国時代を経て平和な江戸時代に入ってから、多田一族から宮中に出仕する女子が幾人も輩出に至り、その祭礼の一環として設けられたらしい。宮中に行く程だから美貌の持ち主ではあろうが、これまでに多田一族のその女性陣を垣間見るに至り万が一の沸点が無いかとてつもなく心配したが、そこは払拭された。折々の感状から文武両道に長けては不毛事案にも毅然と対処したとご当主から聞き及んでるから皆才媛だよ。そうだね、キョン君もひょっとしたら何れは采女石階段の送り迎えの先にいるんじゃ無いかな。罷り間違ってハルヒお嬢様と結納したら立ち会う事になるからね、その時は見送りに来て泣いちゃおうかな。いやそれは未来永劫無いでしょうと強く言っておいた。

 その采女石階段も神事:御馬烈走登りに至っては着飾り、麓から頂上迄の両側には紫の陣幕が厳かに引かれ、神事の気運を上げる。

 そして頂上と麓と各踊り場には、往年の審査員二人いては手旗方と監察方が進行を見届けるらしい。選出は過去神事:御馬烈走登りに騎乗した強者らしい。ただ余りに奉公が熱心過ぎて老中方が奮闘しているのは、往年ならではの観察眼と感が働く故にもと。

 あとは同じく踊り場には、地元密着のケーブルテレビ局ザクネスのカメラ班7つがスタンバイのサインを忙しげにサインを送っては順調の様だ。本当に3時間ダイジェスト放送してるのですかも。そこは再開当時の端折り映像にご当主様の怒気も凄まじくどこも放送出来なくて、しかし記録の残しておきたいから、鶴屋商会がケーブルテレビ局の設立をかなり前倒しにしたからね、うちに来て1991年からの御馬烈走登りのビデオでも見るかいは、そこは紗矢香お嬢様に言うべきだね、大画面で仲良く見た方が良いよ。そこを踏み込んだら後戻り出来ないじゃないですかも。大番頭渡海さん曰く、もう手遅れで託詩お坊ちゃんが絢文は見どころあるで持ち上げて帰って行ったから、鶴屋商会重役一同がどうにか品定めしたいらしいから話が込み入る前に各門前先でさり気無い雰囲気のままお邪魔しますお邪魔しました位が良いよ、鑑賞会はいつにしようか。それは昨日今日で止めておきますとも言うが、初デートのそれも如実にそのまま鶴屋さんが難関突破したの余韻に浸ってるらしいから、ここもかになる。そこの先々のお話は渋りましたよね、鶴屋紗矢香嬢さんは。


 不意に陣太鼓が小刻み良く打ち鳴らされた。いよいよの開始と陣列待機に入ったらしい。観衆中頃からでも見える限り、何れの馬体も熱り立つ様子もなく、乗り手は和装に鮮やかな襷を掛けての籠手脛での軽微仕様。万が一為の乗馬ヘルメットを必ず着けてるのが意外だった、采女石階段はこれまでに負傷者いや死亡は無い筈も。そこは時代でありテレビの時代劇以外疾走でほぼ乗馬ヘルメット着けないなんて有り得ないよ、シドニーオリンピック見たならそんな感じだよねと。確かにスポーツ観戦は日課でBSでシドニーオリンピックの馬術も見たのでそこは激しく頷いた。

 そして陣太鼓が二度響き、馬列から一巡りの人馬が進んだ。そして花房さんが声の張り通る音声のままに。


「一の巡り。常陸号、花房昌道。参ります」


 叱咤を促す長鞭が二度しなり、勇猛に助走を疾駆し采女石階段の一段に脚を掛けたと思えばもう一合目中腹にいた。この速さは流石はオリンピック馬術競技出場クラスの馬体なのかと。堪らず渡海さんに振り向いた。男性が主に使う騎乗浮草形は巧み浮かせ体重を感じさせないからね、しかも号の付く牡馬ならば嵌れば速いものさ。確かに速い、一向に怯まない馬脚は、1合目希望静夜教会を超え、上下踊り場を超え、左側に配置するザクネスのカメラマンの全力振り向き映像がやっとかの勢いだ。そしてもう難所と言われる2合目画帖山公園と頂上画帖山御殿間の更に急勾配を我武者羅に駆け上がる様を見ては拳も震え、堪らず観衆一同と同じく“頑張れ”の大声を上げていた。そして、ラストラン。そこは確かに、麓にダイブしようかの凄まじき頂上の采女石階段の最後の階段であった。出来るのか、いや出来たのかと信じられなかったが、この歓声が目を覚まさせた。

 花房さん、確かにここ迄の武辺ならば、宇喜多本家に帰投せよの声も分かる。ただそこは出会いと人情がこの西宮に有り、本家であってもそうですかで相済まぬのが現代でもあってで。今時傅くって何なんだろうな。


「キョン君、花房は凄いけど、まだまだ凄いの続くからね」


 この言葉を今すぐ真に受ける事が出来なかったが、それは確かに凄まじい幕開けだった。


「二の巡り。櫓憐丸、卜部杏奈。参ります」


 杏奈さんの女性の軽さを生かした騎乗一体形で牝馬にしがみ付くように前掛りになっては駆け上がる。

 夏の集中アルバイトでは仁鶴キッチンのギャルソンのチーフとして、アルバイトも程々に細かい所作を指導して貰った。本当に時給分貰ってますかねも。風来坊になっても将来きっと役に立つわよ、きっとそれは無いでしょうけど。今となっては何もかもが鶴屋家の根回しだった訳だが。杏奈さんはギャルソン以上に秀でるのは陰陽道の修練だった。ある日店のドアベルが確かに鳴るも、現れたのは何かの影だった。杏奈さんは透かさずポケットより依り代を放っては影を砕いた。対策はしてるけどお盆前は襲来群が多いから、見えるなら気をつけてねと。九字を教わったが俺風情で効くものか。

 そんな思いを巡らすも、杏奈さんは堅実なペース配分で、見事頂上迄辿り着いてしまった。頑張れの声援も出ない位自然だったので、神事:御馬烈走登りは意外とそんなものかと安堵するも、渡海さんに釘を刺された。渡辺鴇生/碓井舜夏/卜部杏奈/坂田優子の通り名頼光四天王はどうしても別格だよ、多田家の業種交換留学生で鶴屋商会に来てるけど大手企業なら喉から手が出る程欲しい人材だからね、もっとも酷使され過ぎては困るから丁重に預かるけどねと。


「三の巡り。尽誠丸、渡海那由多。参ります」


 そうどうしても同じ渡海姓だ。それは気付くよね家の一人娘だよ、東中迄はハルヒお嬢様のお付きもただの使番になった為進学と同時にお役御免になってね。確かに消失事件でハルヒが光陽園学院生徒になっていた時忙しげにお世話していた女生徒で、それかと面差しが頭の中で戻ってきた。那由多さんは乗馬部で高校1年生ながら国体にも出場したともで、皆の頑張れの声援の中確実に采女石階段を読み違えること無く頂上に辿り着いた。俺は良かったですねも。それはどうかな初回ルーキーはままあって、ここからのジンクスを越えるのも大変なのだよ、そういう緊張って馬体の方がよく分かって頑張ってるって事だよね。


「方位の巡り。金剛丸、天宮ルイ。参ります」


 ルイさんの音声は皆に響き渡った。初っ端から長鞭で牝馬に叱咤する激しさはもはや侍大将かのそれで、歓声どころかただ畏怖のどよめきが寄せては返して行った。ただ俺としては、これは内緒に鶴屋さんと風雅彩色美術館デートしてしまった為に苛立つ気配なのかも。ルイお嬢様の交友録は広いから気にする事はないさ、何より多田一族と鶴屋家は歴史上の共闘があって誓詞の不可侵条項がある為、今のキョン君と紗矢香お嬢様のお仲に入れないからね、もっともこの場ではルイさん本人は自覚してないだろうけどそういう堅苦しさが苦手なだけの張りだよと。

 このハイペースも、その金剛丸では勢いが無いと辿り着けないだろうの声が周り遠巻きから聞こえてきた。それでも愛でるのはルイさんの愛情なのかと思った同時に頂上に辿り着いてしまった。歓声たるや盛り上がりを更に盛り上げる勢いに乗せてしまった。


「五の巡り。華菱号、荒川剣之介。参ります」


 剣之介は北高同級生だ。東中出身であるし、まさかは無く極めて妥当と至った。体育の柔道の乱取りでは相手になったが、空手を嗜むくせに俺との間合いをやたらと測られた。剣之介曰く俺は心体一致して組み難しと言うが。いざ尋常に組み合うも、思わず見届けてしまった大外刈はやたら綺麗な放物線を描き、投げ飛ばした後でそれを言われても皆が信じないだろうに。まあこの場には乱取り最高ステージでベストバウトしたレスリング部の彼女待遇も来ている事だろう。男性乗り手となるとひたすら野太い男衆の歓声が湧くが、懸命に女子の高い声が聞こえるのはそう言うことだ。

 ただ意外に善戦に見えるも、渡海さんが頑張れを一際掛ける。牡馬だから行ける雰囲気もあるが、華菱号は癖があってね乗り手を選ぶんだよ、乗馬の馬体でそれは致命傷でこのまま神事:御馬烈走登りの参加は無理だろうの諦めの声があったが、今回は選出されてしまってね、応援せざる得ないだろうね。俺は剣之介行けを只管連呼した。それに負けじと金切り声のあのレスリング部の咲葉の声が剣之介と華菱号に届いたのか、後半ペースを崩しても何とか登りきっては、更なる歓声が上がった。剣之介、やたらガッツポーズしてるのはもう見えてるって、彼女待遇さんにな。


「道の巡り。千里丸、碓井舜夏。参ります」


 舜夏さんは、夏の集中アルバイトでは鶴友フラワーのチーフでお世話になったけど苦手な御仁だ。いや嫌いではない、その愛くるしい瞳は大人の女性に相反するものの稀な魅力である。しかし、俺はこれでもかと心内を読まれてしまう。キョン君の人物評は皆の通り相違ない誠実さ、曰く盛りが過ぎると面白みが無い男に転じるのは止む無き瑣末さで、そこは世の男性は得てしてそう言うものだから気にしないでとも。

 俺も舜夏さんも互いについ人柄を見てしまう分がありますけど、ここの厚く見えない壁って何でしょうねも、渡海さんは。代々頼光四天王碓井家はヘッドハンティングの家筋だから、そこは生まれ持ったものだよ、男女の縁ではある時点からどうしても深い仲になるだろうけど、残念キョン君には決まった方いるから、今も先もそんな感じで良いよ、もっとも舜夏さんはそれにも気付いているだろうから気遣いしなくて良いよ。使えそうで使えない言葉運命、そう言う出会いもあるのか。今の俺には全く分からないですよ。

 舜夏さんはただ馬なりに沿って、長鞭も入れずに千里丸の首筋に触れては何事も無く頂上に辿り着いてしまった。ここでの観衆は真っ二つに割れた。流石の手練れと牝馬の状態が最高潮であったと。それも3時間ダイジェスト放送では天宮ルナ様の直解説が入るから、そう言う事かでやたら膝打っちゃうんだけど、キョン君ザクソンに加入しないかな、あの住宅街なら翌日には俺の手配でケーブルテレビ工事行けるよのお誘いも。そこはBSのスポーツ中継観戦で十分堪能してますので、就職したらかなり検討しますで終えておいた。


「七の巡り。雷迅丸、渡辺鴇生。参ります」


 その頼光四天王筆頭渡辺鴇生さん。女性で有りながら鶴全運送スペシャル配送員であり、夏の集中アルバイトでは専属助手としては鶴屋商会の馴染み客を巡りに巡っては、残らず邸中迄招かれ一服に次ぐ一服で夏痩せする暇も無かった。いやもう一つ加えれば昼食は決まって鴇生さんの実家の華西飯店で激安お代わり自由セットで、焼飯で空腹を満たしてはよくも太らない方が不思議である。鴇生さんは健気にも実家の暖簾分けを自らの積立金で店を構えるらしく、あとは腕の立つ旦那を見つけないとね。いやここに入り込める男性はいないでしょうを口籠っては視線そのままにした事から、これはまずいと察するも。それなら全て込み込みでもう目ぼしい男子を調理学校に行かせれば良いわよねと笑い飛ばすも。それは明らかに俺も従業員候補と合わせて言えない何かの候補に入ったかと戦慄したものだ。いや、今にして思えば決して飽きないレシピは、クリスマス集会の炊き出しに通ずるもので有り、華西飯店暖簾分け次期店でそう言うお客さんが大満足して帰って行く姿に感激するのも有りかなとつい渡海さんにポロリも。キョン君、渡辺家は戦前の画帖山御殿のレシピを色濃く引き継いでの今日だから、料理人になりたかったら本殿に入った方が良いよと。それはそれであ奴が毎日しゃしゃり出ては癪に障るので思考を際限なく止める。

 いや、思いが巡り過ぎて、鴇生さんは180cmを超える長身なのに男子そのものの騎乗浮草形で鮮やかに駆け上がるのを普通に見届けている。そして最後の長鞭入れで見事頂上に辿り着いた。その歓声の端々は、男気溢れる麗人鴇生さんの親衛隊であろうし、俺も賞賛を惜しみなく送った。


「八の巡り。隆世丸、谷口志信。参ります」


 いよいよ谷口が疾駆。騎馬行列待機中に図らずもすれ違ったので一言二言は交わした。黒髪ロングの清楚な彼女は光陽園学院1年以外は何れかのタイミングで紹介するさで。まあ案の定謎の宇宙人とは分かってないなと言わずに止めておいた。この瞬間にも何処かで見届けては何かしでかすか気が気でないが、長門も通りすがらに了承してるから無事牽制出来るだろう。

 そして渡海さん。志信君も結構目利きなんだよね、乗馬の隆世丸の賢さと行ったら、散策中の信号機も道路の白線も認識してるし、通行者も優先するからね。ここなのか、あいつがやたら女子を格付けしたがるのは、全く性別女子なら何でもラベルしたがるのはあいつなりの生真面目さなのか。

 ただ、周囲が軽くざわめき始めた。谷口と隆世丸が上下踊り場を超えた辺りで明らかに失速し始め、2合目画帖山公園の踊り場で手旗方による赤旗が上がった。今日初めての審査のこれはと。赤旗は馬体の調整限界でこの失速なら、隆世丸が察したんだろうね、馬体を大きく揺らしては登りきれるだろうが志信君を落としかねないの優しさだよ。

 谷口は下馬しては泣き崩れていたが、隆世丸の頭を撫でては良くやったの労いで、咽び泣く観衆も見受けられる。全てが成功すべきの見届けで無いのが御馬烈走登りが神事足らしめる所以であろう。俺も自ずと涙を拭った。隆世丸と谷口の思いが深過ぎて人馬の共存とは日々の積み重ねなのかと。良く頑張ったよ谷口は。


「天の巡り。南郷丸、本宮サクラ。参ります」


 サクラさんは助走も豊かに駆け抜けて行く。いざの絡め技も今後は対策を研鑽するとして、クリスマス集会の後に履歴書を店員さんに手渡しお伝え下さいと委ねるも、翌日の朝早々一番に携帯が鳴ってはファミリーマート画帖山麓店に駆けつける様に出向いた。理由は他でも無い志望動機だ。学生生活を通して社会に貢献できる術を身に付けたいに、やたら難癖付けられた。キョン君は奉仕活動者じゃないでしょう、ここはこう書きなさい、美人店長本宮サクラさんと挨拶を交わす内にこの方の為に粉骨砕身頑張ってみたいと奮起しました、分かった。それって実質従属契約書以上の何かですけどと思わず抵抗したのがまたも失態だ。今度は泣き落としで迫ってきたものだ。俺の左手を両手で包み込んでは暖かい涙が滴り落ちて、こんな切ない想いは初恋が吹き飛んだ以来の久しぶりよ、何で書けないのと。今にも事務所を越えて店内に響き渡りそうだったので、止む無く書き直しに応じた。硬軟織り交ぜての多田一族は本当手に負えずやれやれと。まあその後のモーニングタイムはほのぼのであったり。

 サクラさんは猛然と駆け上がり、既に難関である2合目画帖山公園越えの更なる急勾配に挑み、女性で有りながらも長身体躯を存分に生かし騎乗浮草形で軽やかに舞おうかだ。さすがだねサクラお嬢様は、女子が迂闊に騎乗浮草形に手を出そうものなら一瞬で往なされては麓まで転げ落ちるに違いない筈だけど、その弁えも普段の弛まぬ修練故だね。

 その頂上で蹄の連なる音が三度響いた。その勇猛さから歓声も程々に皆目を丸くしては声を失くしていたところに、サクラさんのガッツポーズを見ては、サクラさんならこれだよの観衆の歓声が忽ち沸き返った。


「十の巡り。豪気丸、坂田優子。参ります」


 優子さんにはあらゆる意味で金輪際関わりたく無い。頼光四天王の件は後になって聞くのだが、夏の集中アルバイトで入った鶴丸ストアの副店長でのべつまくなしに業務指示をされるのそれではなく。ある盛夏の日の事、ぶっ飛んでるチンピラが俺の品出しが邪魔とかこうとかで、慇懃にも無礼を詫びても尚も食いつくので、優子さんが間に入ってはがブチ切れて互いに言葉の応酬から、チンピラが小柄な優子さんの胸ぐらを掴もうとした瞬間、いやもう1秒の閃光でマーシャルアーツの流れからの腕挫十字固で床にねじ伏せカウントスリーで混沌に叩き込んだ。そこからは鶴丸ストア全店員が手慣れたもので、獲物を猪の丸焼きにするかの様に四肢を縛り上げご丁寧にも樫の棒を挟まれた。既に大阪の末端の組組織の名前が出たので、丸焼き準備状態にされたチンピラを業務用バンに放り込み怒鳴り込みに付き合わせられた。盛り場雀荘ビルを潜りに余りにも無残になったチンピラをドンと放り投げて、お前ら一切出禁だと啖呵を切ったのは良いが、組員らのがなり声と共に明らかに刑事ドラマより安い発砲音を俺は確かに聞いた。優子さんと振り向いた時には、既に3人が床に這いつくばり、2人が壁に張り付き、一般客は出口に殺到して悲鳴を上げて帰って行った。キョン君警察に電話して。程なく機動捜査隊が来ては難無く逮捕されて行った。ああ勿論優子さんも俺も事情聴取を受ける訳だが、坂田優子の名を出すと敬礼とたわいも無い世間話で5分で帰された。そういう事だからと無邪気に笑って背中を押され帰路を促された。仮にも発砲されてそれは無いですよねも。まあそうなんだけど、キョン君びびらないしちびってもいないから見どころあるね稽古付けようかで、かなり丁重にお断りしておいた。当たり前だ発砲されても果敢な女性に誰が付き合うかだ。

 渡海さんは宥めながらも。まあまあ盛り場雀荘ビルもあの日の内にロックアウトして、今は解体され平地になってるから逆恨みも何も無いよ。何よりあの勇名の坂田優子に喧嘩売って無事に済む筈が無いよ、ほら優子さんってあの部類の強さだから各団体の強化合宿の際に対戦相手に指名されてはの武勇なんだよ。まあJOCも目ざといものでオリンピック肉体格闘競技で何れかのメダルは確実にもぎ取れるから何卒招聘に応じてくれだって。客家鶴屋家も主家多田一族もその器では無いで丁重にお断りでね。キョン君、ここ優子さんの強さを知ってるならその殺法はやたら滅多に披露するべきじゃ無いって分かるよね。

 殺気の瞬きすら超える達人は伝説上いるが、優子さんはまだまだ若いし女性だ、まあそれを具に見たなら受け入れざる得ないか。そして疾駆したのも逸したが、もう中腹で小柄な女性ならではの騎乗一体形で渾然一体となっては、難なく駆け上がって行く。確かに十分すぎる乗り手の読みに入っているが、順調な馬なりなのは優子さんの優しさにも触れての事だろう。あの愛くるしい笑顔はそうでないと浮かばないものだ。

 そして人馬一体の勢いのまま頂上に到達。歓声が一際上がるのは分かるのが、その後のざわめきが幾重にも取り巻き、これは。そうだろうね明らかに取りに来た序列だからね、これで神事:御馬烈走登り過去最高の九回到達に並び、公式文書に新たな記録を残す瞬間があるかどうかだね。どうかも何も後二人いれば、もう新記録じゃ無いですかも。それはどうかな先手3人が到達しても後手9人が未達の80年代後半の時期もあったりでそうは簡単に行かないものだよ。


「十一の巡り。快音号、畠山順希。参ります」


 巡って畠山順希さん。質実剛健全てにおいてパーフェクトであり、涼宮家にあるべき女中頭であるのは分かるが、あのご当主可憐さんにかしずく事は勿論ハルヒさえも往なしてとは、その極意を是非とも聞こうとするが何かはぐらかされる違和感で有り。

 渡海さんは一瞬の逡巡もこう丁寧に切り出す。畠山さんは阪神淡路大震災で旦那と義理の家族に死に別れているのだよね。画帖山御殿は若くして女中は少なく勤め人の経験有りきで、畠山さんは今はもう無い輸入靴卸しの柳雪貿易で家族経営の細川護登社長と結婚して神戸市に夫婦で切り盛りしていてね。まあ多田一門衆ではごく有り勝ちな送り出しだったのだけど、どうしても阪神淡路大震災だよね。畠山さんは多田一族の正月の仕置確認で御殿に詰めていて難を逃れたけど、細川家がね、あの火炎に飲み込まれちゃって。ご近所さん曰く夫婦新居の細川護登さんは瓦礫の中から這い出てきたけど、そのまま実家細川家に向かって、政府の対応が遅れた被災地域で懸命に見るに見かねて救助活動していたら、あっと言う間に火炎に取り込まれて最後を見た者もおらずそのままでね。ああその後きっちり発見されて、ただ黒焦げには至らず肺が焼かれての焼死だから、心穏やかな死に顔を畠山さんに見せられたのがたった一つの救いだったかな。そうなんだよね、決まって畠山さんは気丈に言うよ。旦那様も根っからの武人ならば立派な最後だって。そんなさ、そんな訳で無いだろうに、誰かに憤りを聞いて欲しだろうけど、それが一角の武門畠山順希なんだろうね。何か未だ水くさいよね、俺達はあの日から寄り添って生きようって復興に今日も腐心してるのに、まあ泣けるよね。渡海さんの溢れる涙が冷え切った地面に落ちてはパッと広がる。

 俺は、順希さんの凛とした笑顔しか思い浮かばない、そんな事って。いや俺達はどうしても被災当事者なんだよ。まだ十年一区切りもついて無いのに俺と来たら。

 渡海さんは気を取り直してこうと。いやごめん畠山さんは続きがあってね。画帖山所縁のお抱え肖像画家で荒木紀薫氏という四十路の風来坊風情がいてね、腕は確実なのだけど各家の上がりがあっても無頓着でアトリエと着の身着のままだから、これはいつ死んでもおかしく無いのがもっぱらの評判でね。ああ勿論ご当主様もこちらの鶴屋商事社長鶴屋由嘉里様も入れ替わり立ち替わり縁談進めるも梨の礫でえらく手間取ってね。ただそれも三年前かな、荒木氏が畠山さんのそれをそっくり貰うと、画帖山御殿の離れの邂逅の間で洋画を書き上げてからは、畠山さんの背負ってたものが何かごっそり落ちちゃってね。絵画ってどうしても俺達やや常識人の理解を超えるね。まあそれからは長髪がトレンドマークの荒木氏も一ヶ月に一度は画帖山御殿に現れては、畠山さんに髪を整えて貰ってはいつになったら一線越えるかの仲でね。荒木氏の勇気には皆感服なのさ。

 俺は口籠もりながらも、あの、その肖像画はと。

 ああ哀悼の像だね、気になるだろうけど聞いた話では白いサマードレスを着てるから何かの機会を得て見ても大丈夫。でもね巨匠画家黛定春氏曰く全ての悲しみをそこに置くかの様な佇まいは三日三晩泣けるよで、哀悼の像一枚だけが飾られた画帖山御殿の離れの邂逅の間にはうっかりでも滑り込まない事を釘を刺しておくよ。ただねでもか、口さがない輩がうっかり国立美術館に寄贈した方が良いのではとも進言したが、ご当主様が奇跡とか呼ばれかねないのは肖像画哀悼の像の有り様では無いとぴしゃりだとか。ご当主様のご気性なら、画帖山一帯出禁なのにその哀悼の像を介してきっとそれにそぐわない所作であろうからが察して余り有るね。

 このまま阪神淡路大震災の後に降ったあの青い雨に打たれたい気持ちだった。全身に溜まっていた涙のありったけを、あの青い雨に打たれるまま落としてみたい。

 いや、ここ迄の話は短くも長い印象だが、順希さんはまだ山なりの疾駆の途中であった。次第に人馬の歩みはゆっくりになり2合目画帖山公園の踊り場で息を整えたと思えば、監察方と長らく話し合い手旗方による黄旗が上がった。ああ乗り手棄権の申し入れだね。ままあるよ乗り手が巧みであっても、馬体が張り切っちゃうと踏み込み強くて蹄鉄が削れちゃうからね。それに気づく乗り手もかなりの手綱捌きだから、これは止む得ないよ。渡海さんも周りの観衆も暖かい拍手を送り始めたので、俺も倣った。いや神事:御馬烈走登りもここまでくると、大人の嗜みとかを超えてますよも。キョン君も厩舎に来て手解き受けて見るかい、何をやっても俯瞰出来るのはきっと筋が良いって事だよ。ここは今は丁重に断った、こんなやや無頼派に寄り添ってくれる奇特な馬体がいたら、いやのめり込んでしまうかもかと。


「十二の巡り。芝本号、涼宮ハルヒ。参ります」


 あ奴の角張った音声を初めて聞いた。無理も無いか最後の巡りなら重責も重い、何より十回到達の公式新記録になるかの皆が固唾を飲み込んでいるのだから。

 あいつの無茶は全て現実になる。だがやや遠目でもぎこちない緊張が、競馬テレビ観戦慣れしてる素人目の俺にでも分かる。人馬一体とはそのままの節なのか。ハルヒ頑張れ、この為に今日このNo.21新珠次元戻って来たんだろ。俺は、ハルヒのひたむきさを見たいんだよ。

 渡海さんが微笑みながらくすりと。


「ハルヒお嬢様と芝本号は、都合三度かな。馬体は産後以外ほぼ固定だから、勝手知ったる仲だから行ける筈だよ」

「とは言え、ハルヒは騎乗一体形で疾駆するも空回りしてますよ、これは」

「そこは、序盤の緊張はどうしても有るよ。神事:御馬烈走登りはスポーツ競技ではなく、野戦から這い出た神事。緊張の丈が段違いだよ。生きて足掻いて奮闘して無事帰還する。とは言えそもそもの世の競技はそこの気構えから来てるのに、スポーツルールとはどうしても世知がなくなるね」


 俺はここに来て、はっとする。


「ハルヒは長鞭持ってますよね、何故入れないのですか」

「さあ、芝本号の出産の様を二度立ち会ってるから、神々しいんだろうね。長鞭を入れる迄も無い信頼って事かな」

「そうじゃ無いですよ、全く、冗談じゃない。そんな芸当出来るので舜夏さんの人たらしだけなんですよね。あ奴は何処の頂点に向かってる」

「キョン君、ハルヒお嬢様に是非言ってあげなさい」

「ハルヒ!長鞭だ、入れろ、捲るんだよ」


 直ちに渡海さんに背中をとんと押された。


「キョン君、声援と言うのはね本人に届かないと、今一つ欠けるものなのだよ、行って来なさい」

「はい、」


 俺は熱をひたすら帯びる観衆に詫びながら掻き分け、前に、ただ前に進んだ。“ハルヒ!”を何回大声で連呼したか分からないが、まだぎこちないって事は聞こえてないんだろ。ふざけるな、いつもはむきになって噛み付いて来るのに、何故俺の声が聞こえない。こなれは怒りじゃない、ハルヒと芝本号への応援なんだよ、届けよ!

 俺はいつの間にか開かれた道なりに大通りを超え、本能のままに采女石階段の段を上がっていた。何故止められないかは、振り向いた先の騎馬行列の一行がただ熱く古参の審査員を阻んでいたからだ。

 そして、もはや聞き知った鶴屋紗矢香嬢の一本通った声が御伽桟敷界隈からでも聞こえた。


「行って、キョン君!」


 分かってますって、俺はどうしてもこの瞬間この瞬きにも、あ奴が無様に気落ちする前に伝えなくちゃいけない。この急勾配での采女石階段俺は必死に駆け上がりながら叫んだ。


「ハルヒ、頑張れ、頑張るんだよ、ハルヒ、この声援の中に俺がいたの聞こえないのか、ハルヒ、良いから頑張れ、頑張れ!」


 芝本号に乗ったハルヒが一瞬振り向き、直ちに向き直っては言い放った。


「キョン、聞こえない訳ないでしょう、静かに見届けなさい」


 俺は直ちに血管が浮き上がった。それでこれか、今年はSOS団皆見届けてるというのに、お前と来たら。


「ハルヒ、長鞭入れろ、お前の人情なんて一切聞かん、俺をいつもしばくのに何なんだよ、良いか、仕掛けるだよ、」


 観衆が爆笑しては声援が尚更に上がる。これだよ、これ位が涼宮ハルヒたる由縁だろう。そう頑張ってる奴にもっと頑張れと言って何が悪い。そんな根性論なんてナンセンスだと言ってる奴がナンセンスだ、熱量に溺れてみせろ、そこから這い上がって来れるのがこの摂津民だろ。この全ての声届けよ涼宮ハルヒ。


「よくも言ったわキョン、絶対ついて来なさいよ、」


 ハルヒは腰を浮かせ騎乗浮草形に宗旨変えした、そして大きく長鞭が三度しなり、自らを発奮させては忽ち咆哮した。


「それで良いんだよハルヒ、頑張れハルヒ、」


 そして、いつの間にか背後からいつもの声が階下から聞こえて来た。お前達の熱量はそうだったかと。


「涼宮さん、頑張って下さい、応援してますよ」


「はあ、はあ、涼宮さん、がんばってー」


「涼宮ハルヒ、頑張れ、ふれふれ」


 俺は嬉し涙で曇る前にただ駆け上がった。右手で拭うのが邪魔だが振り返らない。きっと古泉も、朝比奈さんも、長門はまあ良い、これが青春なんだろ、存分に満喫してやる。

 ただ采女石階段は歩いて30分なのに、駆け上がって何分掛かるんだよ。7分がこの周知で許されるラインか、えい、汗だくで無様になって辿り着いてやるよ。

 それからのハルヒは圧倒で、あのぎこちなさは何だとばかりに鮮やかに駆け抜け、そして勢いそのままに250段を踏み込んだその瞬間、ハルヒと芝本号が空を翔た。俺のランナーズハイかと思いきや、麓も崩れ落ちそうな歓声が木霊したので確かに翔たと言う事か。

 俺は堪らず右拳を掲げた。


「よくやった、」


 勿論、麓の御一同が忽ち拳を上げ勝鬨を上げようとは、堪らず振り返って見たがそれは壮観なものだった。

 やや視点を下ろし眼下にはやはりいた。古泉はいつもの笑みでも涙を浮かべているようだった。朝比奈さんは和装の動き難さであってももはやくしゃくしゃで咽び泣いていた。長門は淡々と最後方にいては確かに口元が微笑んでいた、ただお前さんの身体能力はそこじゃないだろう、この内の何れかが踏み外して食い止めようとしてるのは友情として長く語り継いでやるさ。


 それからは流石に息が切れた、普段から運動全般には本気出しておくべきだと後悔はしたが、俺でさえも皆の声援に支えられ、あと五段だ。頂上のハルヒはただただ手を伸ばし俺を待ち構えていた。伸ばした手と手は二度密な空気を掠ったが、最後にがっちり握り合った。見た目華奢なハルヒの腕力で俺は掬い上げられ、何故か引き寄せられた。俺が疲労困憊とかでは無く、おいそんな体力どこにあるんだよと突っ込む前に、もうハルヒの顔が垂れ下がっては、号泣迄のカウントダウンは2カウントも無い。まあそんな泣き顔見せるべくも無いのが実質13歳のハルヒちゃんたるところで、俺の懐に飛び込んでは。


「キョン、キョン、出来たよ、キョン、ねえキョン」


 良いからずっと泣いてろ。お前は望んだ目標へと届くか届かない位のそれで良いんだよ、そういうのが青春の爪痕なんだよ。

 そうしている間にも古泉と朝比奈さんと長門が登りきっては、この状態を然もありなんと距離を置かれてるが、俺は逡巡しては。


「なあ、こ奴のただこの一方的な抱擁が、恋人のそれかで麓の方の75%が誤解すると思うので、どうにかこの画帖山一帯に来てもその視線に耐えられる様にするにはどうすればいい」


「えーと、キョン君」


 すいません、時間跳躍は無しです。


「キョン君、ここはケーブルテレビのザクソンの中継録画も入っていますから、インタビューに答えるのは如何でしょうか」


 流石は古泉だが。今の俺にこのままのハルヒの激情を具に跳ね除けては、的確に伝える術はまるで無い。


「了解した、カンペは用意する。SOS団事世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団を内外に知らしめ、友好的融和を抱かせる。その過程で友情とは契約関係を遥かに凌駕する事も付随しておく。そう友情とは熱いもの、夢は叶えるもの、努力は隈なく実るもの。如何です」


 やや微熱混じりの長門のそれで採用しよう。長門の言葉なら照れずに言えるから非常にありがたい。

 それでだ、いつになったら泣き止むんだハルヒは。このままもか、まあ良い、そんな特別な一日がまたあるから俺達は皆生きて行けるんだろうな。今日も明日も、その先も、思う存分生きてみせるさ。



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涼宮ハルヒの誘拐 -Christmas, Baby Please Come Home- 判家悠久 @hanke-yuukyu

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